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スタイルのお話し

ROCK&SNOW最新号(#092)の特集「私のとっておきGEAR」はもう読まれたでしょうか?

大先輩の方々がこれはといった逸品を紹介するコーナーだったはず?ですが、中には何故これを選んだのと首をかしげる一品もあったのではないでしょうか?
僕が一番感銘を受けたのは北海道のクライマー奈良誠之氏のカヤックでした。さらっとカヤックの機能性のみ述べておられるのですが、そこに至るまでの何故アイスクライミングなのか?
海からアプローチして氷瀑を登ってまた海から帰るというスタイルにどうして帰着したのか?
奈良氏のクライミングと環境に対するスタイルは過去の記録をずっと調べないと、わからないかもしれません。

さて、ここでお話は僕が山を始めたころに移ります。

山の先輩はたくさんおられるのですが、雪の便りが聞こえるようになると山の会の事務所にひょっこり顔を出す吃音症の年配の先輩がおられました。

どこが気に入られたのかわからないのですが、時々一緒に雪山に行くようになり、スキーに興味があるかと聞かれ、僕のスキーの師匠となりました。
スキーの師匠といっても、華麗な滑りを見たことはほとんどなく、教わったのは急斜面の安全なトラバースや、板やストックをなくした時のサバイバル、山スキーのメンテナンス(エッジの研ぎ方からビンディング、ワックスまで)など・・・・でも、身長よりも30CMほど長い板を履いておられたのでかなりのベテランだったのでしょう?

「人が歩くとそこに道ができる。ほら、なだらかな山の山頂には縦横無尽に道がついているだろう。どんなに自然を守ろうと思っても人が山に入る限り無理なんだよ。だから、僕は雪のある山しか登らないんだ。」

当時はそういって、雪山しか登らない師匠を変人だとしか思ってなかった。ご高齢なのでもう一緒に山に行かなくなってから、頂いた著書で何故、雪山にしか登らないのか、そして公害問題や有名な冤罪事件(甲山事件)の支援活動もされていたことも知りました。山ではそういう話は一度もされたことがなかったなあ。

本当にかっこいいという事はこういう人なんだと今は思う。

まだ、自然保護とか環境問題とかが世間の話題にもならなかった時代の話です。



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