平成のラジオ(3) 「映像の時代」のラジオニュース。

1月19日、TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」の放送終了が報道された。

週が明けて21日、パーソナリティーの荒川強啓の口から、終了が報じられた。

番組は1995年4月スタート。
平成の歴史の中でも、大きなニュースが相次いだ年。阪神淡路大震災で「ラジオの役割」が改めて注目されし頃、東京は地下鉄サリン事件が発生。社会の行く末に不安が立ち込める時代。夕方の大型ワイドニュース番組の登場は、時代の潮流に合致したものである。

関東地方で夕方の時間帯に「ニュース」を軸にした大型ワイド番組は「デイ・キャッチ!」が初だった。この1995年まで、ラジオの夕方の時間は、ドライバーを対象にした音楽、トークを軸にした番組が大半を占めていた。ラジオは生放送がほとんど、ゆえに緊急時のニュースも、道路交通情報もすぐに挿入できる。番組開始当時の番組プロデューサーは取材に対し「これまでも情報は扱っていたが、ゆったりした音楽を流すなど昔ふうの作りだった。動いている話題をもっと積極的に扱おうと考えた」。

「音楽を流すなどの昔ふう」とは、前番組「若山弦蔵の東京ダイヤル954」のことだ。

今回「デイ・キャッチ!」の終了に際して「ラジオの根幹であるニュース(の枠)が、どんどん小さくなる」という声があったが、その実、ニュース番組のワイド化は、朝以外は平成になってから本格化しているともいえる。

元号が平成になる1年前、1988年にスタートした文化放送の番組が「梶原しげるの本気でDONDON」だ。

もともと報道番組に定評のある文化放送。朝の時間には、世界各地を国際電話で結ぶニュース番組「ワールドホットライン」なども存在し、何より全国ネット枠は2019年の今も続く「ニュースパレード」があったが、この番組は「即時性」「同時進行」を軸にしたワイド番組だった。

朝8時にスタッフが集合し、朝刊や当日発売の雑誌などからテーマを決定。午前11時から2時間の生放送の準備を短時間で進め、ニュースの当事者へのインタビュー、電話取材などで構成する。したがって台本なし、簡単な進行表のみで番組を進める。スタジオにはホワイトボードが用意され、電話出演や中継がOKになると、順次そこに書き込まれるスタイルだった。

ちなみに1991年、文化放送は四谷社屋(当時)に、新しい報道フロア一体型の生放送スタジオ「Jスタジオ(情報パーク)」が完成している。放送にのせる電話音声の入力回線数の多さや、ファクシミリ、テレビモニターなどが充実しているのが売りだった。スタジオと報道デスクはガラス一枚、緊急ニュースにも対応できる場所だが、「これは『本気でDONDON』のためにできたスタジオ」と言われたという。事実、Jスタジオの運用開始までは、放送のスタンバイ場所と、スタジオは別のフロアにあり、スタッフは苦労が多かったという。

こうした背景は80年代中盤、テレビのニュース番組の大型化、演出の多様が影響している。

1984年10月、フジテレビが番組タイトルから『ニュース』の冠を排した1時間のワイドニュース「FNNスーパータイム」をスタートさせ、同じ時にTBSは伝統のニュース番組「JNNニュースコープ」を7時20分まで拡大し、NHKの7時のニュースに勝負を挑んだ。そして翌年には、久米宏の「ニュースステーション」がテレビ朝日でスタート。取材映像はもとよりスタジオセットまでを豪華に仕立てた報道番組は、テレビ史を代表する番組となった。また、テレビ朝日は80年代前半にアメリカ・CNNと契約し、さらにニュースステーション開始とともに東京・六本木のアークヒルズに放送センターを完成させる。

NHKラジオに代表されるような、定時ニュースの形から、生中継や電話取材などで、テレビとは違った手法をラジオは模索した。その結果「本気でDONDON」のようなワイド番組が生まれたほか、音楽主体のFM局は「ヘッドラインニュース」の形式で、情報を伝えていった。

一方で、夕方のニュース番組を拡大し、新たな報道番組を築き上げたのが大阪のMBSラジオだ。

1984年にスタートした「MBSイブニングレーダー」は、それまでの30分のローカルニュース番組「ホットラインMBS」と、前時間帯のドライバー向け番組を集約し誕生した60分の番組だ。

1990年春には、約1時間45分の大型枠に拡大。パーソナリティーの諸口あきらと専門家によるトークニュースショーに進化した。その後もMBSラジオは朝、夜などに時間を移しながらも、ニュース単独の番組を継続している。また、その間に阪神淡路大震災を経験したラジオ局ゆえ、防災に特化した「ネットワーク1・17」を継続している。

無論、こうした背景には、バブル経済も反映されている。
しかし機動力や簡便さを、今もなお持ち続け、テレビやネットとは違った形の報道ができるという点も、ラジオメディアの可能性である。

<参考資料>
 「22年間の放送に幕閉じる TBSラジオ『若山弦蔵の東京ダイヤル954』」(読売新聞 1995.04.05 東京夕刊 9頁)
 久米宏「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(世界文化社 2017年)
 文化放送編「梶原しげるの本気でDONDON-われらニュースの探検隊-』(メディアファクトリー 1998年)
 諸口あきら、毎日放送ラジオ報道部 編著「ラジオ屋稼業 諸口あきらのイブニングレーダー」(リブロ社 1994年)
 毎日放送40年史編纂室 編「毎日放送の40年」(毎日放送 1991年)

☆当noteでは、筆者の記憶とある程度の資料をもとに「平成のラジオ」を残していこうと考えています。記憶違いも多々あろうかと思いますが、ご指摘などありましたら本コメント欄や、Twitter @fromcitytocity までいただけたら幸いです。

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