不安と対人恐怖と僕の半生

こんにちは。
僕はね。正式に診断を貰ったわけではないんですがまぁ多分タイトル的な何かだと思います。
不安障害。社交不安障害。回避性人格障害。なんちゃら。
小さい頃から順に語っていこうかな。

園児時代

この頃は別に対人恐怖的なものは無かったような。よく覚えてません。
ガキ大将みたいなやつが少し怖かったのと、理由は覚えてませんが一度だけ登園をサボろうとしたくらいかな?(しかしおばあちゃんに「公園に遊びいこ~」と言われてのこのこ行ったらそのまま保育園に行かされた)

小学生時代

小学1年生のとき、初登校日だったかな……覚えていませんが何だか凄い怖い日があって親に「お腹が痛い」と嘘を付き、休んだような覚えがあります。

小学1年か2年のとき、授業の課題で『短冊の願いを書こう』みたいなのがあったんですが、書けなかった記憶があります。
「自分の願いってなんだ。何を書けばいいんだろう。他の人に何て思われるか怖い」
確かこんな感じでした。どうやり過ごしたかはもう覚えていませんが、教室で泣きそうになっていたのは何となく覚えています。

小学3年生の図工の授業
何かの創作でした。上記と似たような感じで「何を作ればいいんだろう。他の人に自分の作品を見られるのが怖い」です。
ズル休みしました。喉に手を突っ込んだり、自分のうんこの臭いを嗅いだりして嘔吐し、親に具合が悪いと伝えました。
その創作の授業が終わりそうになるまで2・3回休んだ覚えがあるのですが、結局授業とは関係なく作らされました。

その後は陰キャながらも穏やか...…(小3の時虐められそうになった事を除く)な小学校生活だったと思います。

中学生時代

何年生のときかは覚えていませんが、自分は給食中他人と雑談するタイプではなかったので、さっさと食べて掃除に向かう。みたいなスタイルでした。
玄関の掃除を担当していたころ、正式な手順として『水で洗い流す』みたいなものがあったのですが掃除グループの暗黙の了解で「面倒臭いからやらないでおこう」となっていました。
なので自分のやる分の掃き掃除だけ終わったらサボっていたんですけど、ある日担任でもない教師にそれがバレて怒られました。
自分だけ先に掃除してサボっていたので自分だけ怒られました。
「お前はもうここの掃除をするな。担任に言って別の掃除をやらせてもらえ」
……そんな恥ずかしいこと、とてもじゃないけれど言えませんでした。「皆していなかったのに何で俺だけ」みたいなことも思っていました。
何日間かは覚えていませんがその掃除場所は怒った教師が監視をし、行き場のなくなった僕は掃除の時間中校内をさ迷ったり、外の倉庫の裏に隠れて掃除の時間をやり過ごします。開き直った訳ではなかったので、罪悪感でとても辛い時間でした。
ある日、雨が降り始めても外で隠れていたら外の掃除を中断したクラスメイトに見つかり、ヘラヘラしてやり過ごしたような覚えがあります。
嫌な記憶です。

中学2年生の時、仲良くなろうとした相手に裏切られ、そんなに酷いものではないですが虐められました。
喋り方をバカにされたり授業中ゴミを投げられたり物を少し盗まれたりトイレで軽めにですが複数人に殴られたり、そんな感じでした。飽きられたのか数ヵ月くらいで終わったのが救いです。
更に中2の後半と中3でインターネットにどっぷりハマり、夜遅くまでネトゲやチャットをし、上記の件もあり現実での人間関係がとても苦手になりました。
中3では風呂に入らないまま登校したり、登校してもまともに話を聞けていなかったのか覚えていませんが中間試験当日に「え?今日試験なの?」と驚いた記憶があります。登校していない日もあったのかな?それさえ覚えていません。
今思えば、多分軽い鬱だったんじゃないかなと思います。
よく覚えていませんが、中2~中3では休み時間殆ど寝てやり過ごしていました。

高校生時代

中3のころ、親にほぼ無理やり学校に通わされていたおかげで良くも悪くも高校に進学することができました。
中3のネット依存症の時オタクになり、中学ではオタ友さえいませんでしたが、いつの間にか高校ではオタクの友人ができていました。
きっかけは全く覚えていません。自分から話しかけられるタイプではなかったので多分相手のおかげだと思います。
そのおかげで卒業まで完全ぼっちになることはなく割と平穏な高校生生活でしたが、1つだけ対人恐怖の思い出があります。
ある日そのオタ友とエヴァの映画を見に行くことになったのですが、急きょそのオタ友の友人(別の学校)が参加することになり、映画館の建物にまで入った僕でしたが知らない人がとても怖かったのとエヴァにそこまで興味がなかったため「やっぱりエヴァよく知らないから見なくていいや帰る」と逃げ帰りました。

すいませんもう1つエピソードありました。自宅から高校まで8キロほどの距離があり、最初は電車通学をしていたのですが度々中学時代の知人と鉢合わせるのが嫌で自転車通学に切り替えました。登校時は下り坂だったので楽でしたが下校時は…まぁ良い運動になっていたのか当時の写真を見返すとスッキリ痩せてます。

商業科なのでほぼ就職&進学するにしても推薦制度を周囲が使う中、ネット依存症の僕は学歴厨の影響を受け一般入試を受けます。「少しでも学歴良くしないと将来ヤバい!」みたいな感じだったと思います。
結局偏差値40少しの商業科から50に少し届かない程度の大学に進学しました。悪くはない程度の結果ですが、もっと進路についてよく考えるべきだったなと思います。

大学生時代

東京の大学に進学しました。略して東大です。うわつまんね。
サークルに入ろうとしました。最初はオタク系の
緊張しながらサークルのドアを開けたところ「新入生?絵描いたりすることはできるの?」みたいなことを先輩に言われた僕は「いえできません…(できないとダメなのかな)すいません失礼します」と焦ってその場を逃げた記憶があります。
今思えばこれから練習しますとでも言えばよかったかもしれません。
結局、株とかに興味があったので、そういうのを勉強?する系のサークルに入りました。
特に親しい友人を作れないまま適当に講義を受けたりサークルに静かに参加したりしながら数ヵ月過ぎます。
ある日サークルに新しい人が入ってきました。
僕は即座に対人恐怖を発動し「あ、無理だ」となります。普通の人からすれば信じられないかもしれませんが、たったそれだけの事で僕は次のサークルの予定に参加することができなくなり、その日の先輩からの電話を無視し、大学に行くことも怖くなって引きこもり、ネトゲをして数ヵ月引きこもりました。
大学を中退しました。
親に「休学でもいいよ」と言われましたが、休学した後に卒業したところで自分の対人恐怖コミュ障では文系大学を卒業したところでまともに働ける気がしなかったため、中退を選びました。

無職時代と超短期離職

薬剤師にでもなればコミュ障でも良い給料でやっていけるんじゃないか?と思い何となくで目指しますが、対人恐怖絶好調だったため塾には通えず独学するも当然ながらうまく行きません。1・2年程度で諦めます。
その間に成人式が訪れたのですが、悩むまでもなく行かない一択でした。
その日の晩、高校時代のオタ友が酔いながら電話かけてきたのが印象に残っています。何を話したかは覚えてませんが1分程度だったと思います。

進学を諦めた僕はちょいちょいバイトに応募したり、落とされたり、怖くなって応募を辞退したりしながら数ヵ月過ごします。
ある日応募した現場とは違う部署で「こっちなら採用できるよ」と言われホイホイと就職しました。
数日で腰を痛め、先輩の先輩に対する悪口を聞き、通勤中キツい坂道でボロ車で後ろの車への申し訳なさ、ある日「今度こういう子が入ってくるよ」と見せられた顔写真があからさまにDQN。
不安感で軽いパニック状態になり退職を決意し電話で「腰痛が酷いので辞めます」と伝えました。案外すんなりと通りました。
そしてオタ友にヘラったメールを長文で送ります。返事はありませんでした。その日以来連絡は一切ありません。
腰は普通に激痛でしたが、たった数日の労働での痛みだしすぐ治るだろう&病院は怖くて行けなかったので、自然治癒を待ちました。
完治まで2年くらいかかりました。

暇な無職時代、アニメ漫画を嗜んだり、アニメのOPEDやえっちな画像動画を収集したり、ネット対戦ゲームをしながら時を過ごします。
誰かと一緒にネット対戦ゲームをしたくてTwitterのアカウントを作ったことをありましたが、当時はネットでさえ他人と関わりに行けず結局ネットフレンドもできないまま長い無職時代を過ごしました。

ある日、おばあちゃんに「電気マッサージチェア店に行こう」と誘われます。断ることができず、祖母と母親と一緒に車で向かうのですが、行く途中で不安感マシマシ軽いパニック状態です。
怖すぎて「やっぱり車の中で待ってる」と結局祖母と母親だけ店に行く中自分は車の中にいるのですが、車の中で待ってる時間もなんだか辛く、家まで8キロほど離れていましたが歩いて帰りました。

無職時代の余談
・長い無職時代、酷い時期は冬場2週間ほど風呂に入らなかったときもあります。
自分で自分の事が臭いと感じていました。
「鬱になると風呂に入れない」みたいなことをよく聞くので、多分それだったんじゃないかなと思います。中学生時代からずっと風呂に入るのは億劫です。
でもまぁ、外出しないなら風呂なんて入らなくても問題ないので……
・髪を切るのは理髪店等が怖かったため、大学進学後(18歳~)から社会復帰しても暫く、31歳までセルフカットしていました。
・Twitterでも時々呟きましたが、社交不安がピークだった時は実の兄と
久しぶりに会話しただけで顔が火照っていました。
・ある時期、1・2週間程度ですがキチガイになり100均で物を買っては壊すというストレス発散をしていました。突っ張り棒(100円ではなかった)で地面をガンガン叩くのがオススメです。
普段物に当たったりするなんて全くないのですが、無職のストレスでこの時は狂っていました。

社会復帰(短期離職)と短期無職

26歳の時社会復帰を決意しました。
1番のきっかけは「父親がそろそろ定年を迎える」からです。
将来への不安・父親からの愚痴暴言・これ以上歳をとる前に今何とかしなきゃヤバい・メンクリ行きたいけどもし障害判定されるなら基礎より厚生がいいから
等々考えていた覚えがあります。
過去に作ったTwitterのアカウントを再稼働し、ネットでいいから人と繋がることに決めました。
皆さん経験があるかは分かりませんが「掃除をするぞ」と宣言し、掃除への意欲を高めるみたいな。なんか心理学用語ありそうな気もしますが分かりません。
そんな感じで社会復帰を目的としながらTwitterをしました。
FFを増やしながら社会復帰に向けて運動したり仕事を探したりして、派遣ですが仕事が決まります。
事実としては履歴書に書ける職歴は1週間の物だけでしたが1年に捏造したり、コンビニで数年バイトしてたみたいなことを書いた気がします。(コンビニで働いたことなど一度もない)
残りの空白期間は伯父の仕事を手伝ったとか、家の畑で家庭菜園したとか面談で言った覚えがあります。(数年の中で数日くらいしかしていないけれど、度々している風に言った)

さて、長期引きこもりからの脱引きこもりです。
無職中は過眠とまでは言わないまでもロングスリープ傾向で、1日10時間程度は寝ていたし、割とすんなり寝入ることができていました。
ですが、寝れなくなりました。
本当に凄い眠いのに寝れない。初めての経験です。
寝れそうなのに寝れない。寝れたと思ったらすぐ起きる。寝れては無いけど半分寝ている(?)
1週間程度は酷い状態でした。少々落ち着いて寝れるようになっても4・5時間程度で起きてしまう、無職時代に比べると圧倒的に睡眠時間が激減し、メンタルが不安定になりやすくなっていたと思います。
メンクリに通い睡眠薬(サイレース)を処方してもらいますが、リラックスはできても睡眠に効いてる実感はありませんでした。仕事のミスが気になり、WAISを受けましたが発達はグレーゾーンだと言われました。ある日、担当医が予約日に休みなため別の医者が担当することになった時、怖くて通院をバックレて行かなくなりました。

仕事の話に戻ります。
約半年の間誇張なくほぼ毎日退勤時に駐車場につくたび吐き気を催し「オエエッ」と呻いていました。たまに朝にも吐き気していたかな。
仕事で別の部署の人に連絡しなければいけないとき、すんなり見つけられればいいのですがそうではないとき、あまり行かないような場所へ行き、関わったことない人に「〇〇さん見ませんでしたか?」と聞いたときテンパって上手く喋れなかったことを覚えています。絶対変に思われました。
仕事が少し難しくなり始めると「この方法で大丈夫なのか?」と不安になりながら作業をしていました。そのことを上司に相談することはできず、無理くりやっていました。
ある日仕事の事で同僚の女性に話しかけた際なんかすごい嫌そうな顔をされました。
毎日の吐き気・仕事上の焦燥感・人の嫌われた(思い込み?)
耐えられず、退職しました。上司に引き留められましたが、精神的にしんどい事だけは素直に言い話を通しました。
多分5ヶ月くらいでの退職です。
社交不安&回避性人格エピソードですが、5ヵ月の間トイレに行くのが怖く車の中で容器に用を足していました。
人が近くにいると小便が出ない、「先に居たのに後から来た人に変に思われたくない」みたいな理由で出してもいないのにトイレを出るのが苦痛でした。
大じゃないのに個室に入るのも何だか恥ずかしく、車を選びました。

そして半年ほど無職に戻ります。
従姉に誘われて1ヶ月の短期の短時間の派遣を一緒にします。発達障害的な失敗をしますが、今回は割愛します。

また半年ほど無職をした後、労働の定時が7時間(or6時間)の派遣に応募します。
女性が多い職場で男性(派遣)は4~5人ほど。内2人はベトナム人で休憩室は更衣室で皆各々スマホ弄ったり寝たりしていました。好みな雰囲気です。
時々機械にトラブルが発生したときは焦りますが社員の人に対応してもらえるので報告すれば自分に責任はないし、ほぼ同じことの繰り返しのライン作業が自分の性に合っていたおかげか2年9ヵ月務めることができました。
辞めたきっかけは3年経ちそうだったので社員に誘われていたのですが「対人恐怖コミュ障(&片耳聾)の俺に五月蠅い工場の中でパートのおばさんお姉さんたちとやっていける自信がない」からです。ははは。
上司には上京したいから辞めると言いました。半分本音でしたが結局上京しませんでした。

1年ほど無職をし、また働き始めます。
仕事上もやもやすることが多く、自分に合わないと思い辞めました。
辞める際上司に「お前もう30越えてるだろ?身の振り方考えろよ」等言われガチで泣きそうになりました。というか涙を流しさえしませんでしたが涙目になり決壊寸前でした。
対人恐怖や発達障害傾向やらで自分でもちゃんと出来てない部分があったなと自覚しています。申し訳ありませんでした。
辞めるまで約5ヵ月でした。

また1年ほど無職をし、現在の仕事に就きます。
馴染めてるとは言えませんが同僚はオタクっぽい人が多く比較的居心地が良いです。
しかし勇気を出して参加した忘年会では周囲と全然話すことができず絶望しました。ひたすら苦痛な時間でした。
でもフォークリフトに乗るのは楽しいし、身体を動かす作業もパソコンを扱うのも性に合っていて、今まで働いてきた仕事の中で1番好きだなと思って何とか続いています。

職種の流れは
畜産工場(1週間)→品質検査・入力事務(5ヵ月)→入力事務(1ヵ月短期契約)→紙製品加工工場(2年9ヵ月)→組立工場内で手作業ピッキング(5ヵ月)→倉庫・フォークリフトピッキング(現在約6か月~)
です。
ちなみに仕事に応募する際毎回履歴書を捏造していますが、バレたことは一度もありません。
短期派遣以外は全部1~3年程度に延ばしているので現在の仕事に就いたとき面接官に「どれも結構長く続いてるね~」と褒められました。ごめんなさい。

生き甲斐と対人恐怖症

26歳で社会復帰するまで、ほぼ死んだような無職生活を送っていました。
ネトゲ・アニメ・漫画で適当に時間をつぶし、ムラムラしたらシコって昼寝。
外に出るのは月に1回あるかないかでした。(食の買い物か少ない金でたまの外食)
そんな生活している自分がダメ人間すぎて人と関われる気がしなかったのと、無職に恋人なんてできる訳ないだろとという完全な諦念で「彼女欲しい」なんて思いもしなかったような気がします。

しかし、しんどい思いしながら働いてると「なんだこの人生は??幸せが欲しい」と思うようになります。
オタクでラブコメも普通に嗜むため恋愛に憧れてる所があり時折彼女が欲しい時期が訪れるようになりました。
「彼女作ってその人のために生きるのを生き甲斐にしたいな~」と

ツイッターやってるうちにリプで絡んだり、ツイキャスで絡んだりとで1人の女性と初めてネット通話することになります。
前回のノートに書いた人なのですが一緒に映画を観ようかみたいな話にもなりました。
隣の県の人です。その人はたまにネットの人と会い食事をするそうで、他に相手がいるなら俺じゃなくていいじゃん……ともやもやしたのと、現実で会うのがとても怖くオフ会の話は無しになりました。
その人が「イケメンは苦手だからイケメンじゃない彼氏が欲しい」とツイート?してたのを今でも覚えています。
そしてその映画は地元では上映していなかったのですが観たかったので隣の県まで行き一人で観ました。虚しかったです。賛否両論ですがコードギアスは面白かった。

ラリとネット通話

上記の人は向こうから誘ってくれたので受け身なまま通話できました。
しかしある時期FFの中でこの人と仲良くなりたい!!みたいに思うことがあるも、恐怖心のせいで通話に誘うことができません。
悶々としたまま月日を過ごしてるとき、ハイプロンという薬に興味を持ちます。
個人輸入で買うことができ、酒と摂取すると眠剤ハイができる薬です。
試しました。
恐怖心は吹き飛び、理性も吹き飛び、通話に誘うことができ、現実では緘黙系コミュ障なのにスラスラ楽しく喋ることもできました。でも理性がぶっ飛んでるので迷惑もかけました。
異性と楽しくお喋りするなんて初めての経験だったのと、理性がぶっ飛んでるのですぐ告白するも撃沈しました。おわり

(以後、通話関係無しにしんどい時は眠剤ハイして現実から逃げていましたが、離脱症状が苦しいため最近はしていません)

もうちょっとだけ続くんじゃ(R18)












ある時マッチングアプリに興味を持ちインストールしました。
稀にマッチングしても、よく知らない相手にどんな会話すればいいのか分からないコミュ障&現実で会うのが怖いのでメッセージさえまともにできず、度々インストールしてはアンインストールの繰り返しです。

他人と会うのを想像するだけでこんなに怖いのはヤバイ、
何とかしなければと考え、
とち狂い、
GW中、
金を払ってでも女性と触れ合い女性慣れするしかないんじゃないかと、
風俗やらを利用するも勃起できず、射精できず、ラブホの使い方が分からず店員に怒られた後にやっと1射精終え、
充実感や幸福感は全然ありませんでした。
性行為ってもっと宝石なようなものだと思っていましたが、黒光りしていた糞だったのかなと考えを改めそうになりました。
原因は分かっています。見知らぬ他人と緊張しながらおっかなびっくり行為をした所で楽しい訳がありません。
試行錯誤しながら何度もソープに通えば少しは楽しめるかもしれませんが、風俗沼にハマりたくないし、俺が本当にしたいのは大好きな相手とのイチャラブセックスなんだなと思ったのでもう二度と行かないと思います。多分。
女性と手を繋いだことも無かった32歳元童貞の怒涛のGWでしたが、これで対人恐怖症が直ったかというと直るわけねえだろと。
でも恐怖レベル85から80程度にはなったんじゃないかなと思います。(数字は適当)
未だに恐怖症は全然ありますが、怖くても、理解のある彼女を作ってゆっくり克服したいと思います。

余談
翌日、嬢の日記を覗いたら他の人に対しては「楽しかった~」や「気持ちよかった♡」とか書かれてるのに自分の事は「終始挙動不審でびっくりした」と書かれていました。

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