弱者男性という属性付けによる固定化

にゃんだかんだわんだー。マッケです。
最近、弱者男性という言葉が流行ってますね。
自称社不や自称コミュ障みたいによく見かけるようになりました。
自称弱者男性
自分もよくするからこそ分かるんですが、こういう自虐ってなんか自分という存在をその枠組みに閉じ込めてしまうような気がします。
自分は社不だから働けなくて仕方ない、コミュ障だから話しかけることができなくても仕方ない。
もちろん発端は逆で、働けないから社不であり話しかけるようなことが出来ないからコミュ障なんですけど……人間って変化したり成長したり、コンディションによっても違ってきますからね。
あまり…使いすぎない方が良いと思います。

じゃあ何故使ってしまうのかというと"努力"して変わることは面倒臭いし、努力しても変われないような人はいます。なので
①自分はこういう人間だから仕方ないと納得するために使う(心を守るために必要)
②弱者のコミュニティに属するために使う(居場所を見つけるために必要)
大体この2通りなんじゃないかなと思います。
普通に人生割とうまくいってるのに②のために中途半端な人間が使ってるのはモヤモヤする……というのは僕の鬱屈したどうでもいい感情です。

前置きここまで

弱者男性って?

結論から言うと男として一切魅力のない人だと考えています。
Twitterでさ…見かけるんですよ。
恋人はいるけど手取り少ない社会的弱者だから弱者男性だ
医師免許持ってるけど恋人いたことない恋愛弱者だから弱者男性だ
いやいや~~~君たち何言ってんのって思います。
前者は普通に容姿か性格でオスとして魅力があるんだろうし、後者は経済力があるという点でオスとしての価値が高い。
(ていうか完璧な人なんて滅多にいないし何かしら弱点ある人の方が多数やろ…)

少し前インターネットで見かけた画像で下のようなものがあります。

比較される程度には全員優れている所があるのでしょう。
逆に、この人ら全員から短所を抜き出せばどうしようもない人物が完成するのでは? ふと思いました。やってみましょう。
年収200万代以下、給料が大幅に上がることは見込めない、身長165cm以下、顔がブサメン、偉そうな態度をとる、隠れて風俗に行く、尖った靴を履いている、女性をエスコートできない、共働き必須、浪費癖がある
…どうしようもない気がします。
これら全て満たす人は堂々と弱者男性を名乗っていいんじゃないでしょうか?

僕は…弱者男性ではないと思いたいですが、陰キャでコミュ障な恋愛弱者です。
おわり

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