進撃の巨人の絶望感
心地よい絶望感みたいな話。
あんまり心理状態がよい話ではないのかもしれないが、心地よい絶望感を与えてくれるような物語が心地よく感じることがある。
アニメ進撃の巨人を見ていて、幾度か「うわ、やっちまてたかもしれないな」という、ある種落ち込むような、ちょっと今までを振り返って間違ってたなと、思うような感覚におそわれるシーンがある。
初めてそう思ったのは、エレンが巨人の記憶で”ヒストリアの一族を襲うシーン”の記憶を思い出した時である。
ストーリーの大筋として巨人は悪であり、エレンはその巨人への対抗手段として強力な武器である。記憶を思い起こした瞬間は、その自分も仲間を害する存在だったのかもしれない。との選択肢が出てくるシーンである。
アニメ展開的にはあまり、重くは受け止められていないようだったが、私は思いのほかダメージを受けた。
自分がまごうことなき大義名分として抱えていたものが、間違っていたのかもしれないと思う。
また、自分自身が憎んでいたもの自身であったのかもしれない。と思うようなシーンは絶望感が強い。
絶望感を心地よいと思うのは、外から他人事として見れているということや、「物語なんだから絶望だけでは終わらないだろう」という期待があるかもしれない。
また「絶望的な状況」が生じたときに、物語ではそれに立ち向かう。結果がどう動こうと絶望な状況で何かを考えようとするのが、いいなぁと思う。
また、絶望感にはある種のリアリティというか、そんな簡単にいかないですよねとある種の”共感”みたいな視点がある。上に書いたものと相反するが「ご都合展開じゃないよね」と思える。ある種身近に感じる。感じるだけであるが、自分がダメージをちょっとダウンしかけたときに、ちょっと踏ん張る理由になる。
絶望感ではなくても、ぶつかり合う正義の多元論みたいなみたいなものでも似た感情は生じるかもしれない。
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