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住職の週報7 -2021/4/10

 光教寺から朝倉遺跡まで、往復1時間ほどの散歩には時々出かけています。

 6日には、鯖江市東大味町の「明智神社」を初めて目指しました。明智屋敷跡(土居ノ内)にあると伝わる3軒の農家が、光秀の恩義に報いんと400年以上も秘かに光秀座像(木製13センチ高)を守ってきたものです。

 当時、信長の命令で柴田勝家が越前の一向宗徒をなで斬りにした際、光秀が勝家に頼んで、世話になった東大味地区を助けるために出させた安堵状2通が、近くにある天台宗の古刹「西連寺」の寺宝として伝わっています。

上城戸から西新町を通り鹿俣(かなまた)町手前からの山沿いや山中には、京に向かう「朝倉街道」が残っています。現在は舗装道路が東大味まで続き、東大味側へは急坂になりますが、お寺からは片道4キロ弱、2時間あれば散策もかねて往復できました。

70年ほども前になるでしょうか、祖母(すゑを)と東大味バス停からお寺まで、蛇の出るような山道を歩いた記憶が蘇ってきました。

「謀反人」とされた光秀の真の姿や業績は、かなり抹殺されています。しかし、民間の伝承や言い伝えなどは、真実の歴史を反映しているに相違ありません。

明智神社
明智神社

明智神社です

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