美人局はなんで「びじんきょく」と読めないの?
Twitterでは定期的に同じネタで盛り上がる。サイゼとスタバ(二郎系)はテッパンである。
ここ数日でn番煎じの盛り上がりを見せたのは、「美人局」の話題である。
「美人局」を「つつもたせ」と読めないことに対して、辛辣な批判を加えている人が少なくないらしい。
しかし、そもそもなぜ、「美人局」を「つつもたせ」と読めるのか、逆に「びじんきょく」と「読んではないけない」ことに理由はあるのか。
結論からいうと、私は「びじんきょく」とも読みうるのではないかと考える。
日本では、漢字の読みは音読みと訓読みとにわかれる。音読みは主に中国の漢字音を日本語に写したもので、訓読みは漢字の意味を読みとしたものである。英語で例えてみれば、Mountainを「まうんてん」と読めば音読み、「やま」とよめば訓読みである。
また漢字二文字以上になると、漢字1字のときの音訓から離れて訓読みを与えることがある。これを「熟字訓」という。
「いちょう」は「銀杏」と書くが、それぞれが「い」「ちょう」と読むわけではない。「銀杏」という単語に日本語の「いちょう」という意味があるから、「銀杏」で「いちょう」と読むのである。国の定めた常用漢字表にも、補足的にいくつかの熟字訓があげられており、意識せず日常的にも見かけるものも多い(例えば「明日(あす)」や「一日(ついたち)」も熟字訓である)。
しかし「銀杏」は「いちょう」と読むのみが正解ではなく、「ぎんなん」と読んでも「いちょう」の意味を有する。(また「ぎんなん」と読んだ際には、その種子を意味することもあり、実際の生活においては、読みで役割を分担している)
以上から「美人局」を「びじんきょく」と読んでも、即座に間違いとは言いきれないのではないだろうか。
ここで次のように指摘する人もいるだろう。
「為替」は「いたい」と読んだら、意味をなさないではないか!「美人局」を「びじんきょく」と読むのも同じく以ての外である!「つつもたせ」が正解だろう!と。
ここで重要なのが、その熟字がどこで生まれたかである。「為替」を「かわせ」と読む所以は、日本で発達し用いられた独特な漢文体である「変体漢文」に由来する。そこにおいて「為」は返読文字(下からひっくり返る文字)で読み、使役の助動詞「す」(「〜させる」の意味)と訓じる。日本語では動詞や助動詞の連用形が「〜すること、もの」という意味を表せるから「かわせ」と読める。いうなれば、日本で生まれており、かつ訓しか想定していない熟語と言えるだろう。
「美人局」という単語はどこで生まれたかといえば中国で、宋代以降の資料にしばしば見受けられるそうだ。実際の用例を拾ってみれば、『西遊記』にし「如し今怎麼以て美人局来り貧僧を騙害す」とあり、『武林旧事』には「所謂美人局有り。娼优を以て姬妾と為し、少年を誘引し事を為す」とある。
つまり「銀杏(ぎんなん)」に「いちょう」という訓があたえられたのと同じように「美人局(びじんきょく)」という中国由来の単語に「つつもたせ」という訓があたえられたといえよう。
このような次第で「美人局」を「びじんきょく」と読むこともできるのではないかと結論づける。実際に『漢辞海』(第四版を参照した)で「びじんきょく」と「つつもたせ」の二つの読みを挙げているのはこのような意識もあるだろう。
今回は「美人局」という単語自体の、日本での受容や「つつもたせ」という訓と結びついた時期などは検討していない。僕は日本語学には疎いので、誰か詳しい人により細かくやってほしいな。
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