ヘッセン家の二系統(カッセル、ダルムシュタット)について【金融ユダヤ・ロスチャイルド陰謀論】

1.はじめに

ロスチャイルド家と言えば、聞いたことが無い者はいないだろうとも思われる世界トップの金持ちであるが、「彼らとて欧州貴族の手下にすぎず、特に初代のマイアー・アムシェル・ロートシルトを取り立てたヘッセン家は、ロスチャイルドの主人」であると、まことしやかにささやかれている。

そのヘッセン家であるが、カッセルとダルムシュタットの主要二系統に分かれることは意外と知られていない。どちらもドイツ・ヘッセン州の都市であり、カッセルとダルムシュタットの距離は、徒歩で40時間(Google map調べ)と近い。二家の先祖は共通であるが、ロスチャイルドと関連が深いのは、ヘッセン・カッセル家の方である。今回はヘッセン家二系統について解説する。

2.ヘッセン家二系統の分裂経緯、関係性

1567年、ヘッセン方伯フィリップ1世の死後、4人の息子に分割相続されたが、2家は断絶し、残った2家がヘッセン・カッセル家、ヘッセン・ダルムシュタット家である。1604年、ヘッセン・マールブルク家(断絶した2家のうちの1家)が断絶すると、マールブルク方伯領継承をめぐり、カルヴァン派領邦のヘッセン・カッセルと、ルター派領邦のヘッセン・ダルムシュタットの間で、長期にわたり激しい対立関係が生じた。同族関係にあるヘッセン・カッセルとヘッセン・ダルムシュタットの争いは、カトリックとプロテスタントの間で行われた、最後で最大の宗教戦争といわれた三十年戦争(1618~1648年)にまで及び、前者がプロテスタント側で戦ったのに対し、後者は神聖ローマ皇帝軍に味方をした。

3.ヘッセン・カッセル家

いわゆる「ロスチャイルドの主人」とは、ヘッセン・カッセル家を指す。ヘッセン・カッセル家の躍進は、1714年のハノーファー選帝侯ジョージのイギリス王即位に端を発する。ドイツの地方貴族に過ぎなかったジョージ1世の国王即位により、ハノーファーから徒歩で28時間(Google map調べ)と近隣のカッセルを支配していたヘッセン・カッセル家は、一躍イギリス王室の親戚になり、アメリカ独立戦争を裏から支援したことで、ヨーロッパ有数の資産を保有することになった。子孫は現在もヨーロッパ各国の王室の君主である。(下記リンク参照)

4.ヘッセン・ダルムシュタット家

一方、ヘッセン・ダルムシュタット家はルートヴィヒ9世(1719年生まれ)の娘たちが、相次いでヨーロッパ各国の貴族に嫁ぎ、子孫にはプロイセン王国(のちドイツ帝国)、ロシア帝国、オーストリア帝国の皇帝を輩出したが、いずれも第一次世界大戦ごろに消滅した。

https://note.com/kouki5656/n/n2a519e6a2b29

5.バッテンベルク家(ダルムシュタット家の傍系)

ルートヴィヒ9世の孫ルートヴィヒ2世(父の代でヘッセン・ダルムシュタット方伯からヘッセン大公に昇格)には、アレクサンダーという息子がいたが、実の父はルートヴィヒ2世ではないと公然に言われている。アレクサンダーは下級貴族の出であるユリア・ハウケと結婚し、大公家の爵位を放棄せざるを得なくなり、新たにバッテンベルク家を興したが、出自の謂れにもかかわらず、アレクサンダーの子や孫はイギリス王室と相次いで結婚し、次期イギリス国王チャールズ、現スペイン国王フェリペ6世はアレクサンダーの子孫である。

【参照文献】

・Wikipedia

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?