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ヘンリー8世の1回目の離婚は必然だった?(世界史再検証)

今回取り上げるのは、テューダー朝イングランド王ヘンリー8世です。ヘンリー8世と言えば6回の結婚、4回の離婚をし、離婚問題でローマカトリック教会を脱退し、イングランド国教会を立てたことで悪名名高いですが、宗教問題にまで発展した1回目の離婚は、決してヘンリー8世のわがままだけでは済まない状況があったのでは無いかというお話しです。

ヘンリー8世の1回目の結婚はカトリック両王と呼ばれたアラゴン王フェルナンド2世、カスティーリャ王(ともに現在のスペインの一部)イサベル1世の娘キャサリンです。義父のフェルナンド2世には男子も生まれましたが幼くして亡くなり、長女フアナと結婚したハプスブルク家のフィリップが、王位を継承することが決まっていました。

一方、ヘンリー8世、キャサリンの間には、なかなか男子が生まれず、長女メアリー(後のメアリー1世)はフィリップ、フアナの息子であり、メアリーのいとこであるカール5世(父フィリップが早世したため神聖ローマ皇帝、兼スペイン国王になっていた)に輿入れすることが決まっていたが、スペイン王国の相続事情を知っていたヘンリー8世からすれば、このままキャサリンとの間に男子が誕生しなければ、長女メアリーの夫になるカール5世にイギリス国王の座が渡る(当時の慣習では嫡子以外には相続権は無かった)ことになり、血統が断絶する危険性があったため、メアリーの輿入れを渋っていた。

他方でカール5世としても、嫡子が生まれなければ今度は自分の血統が断絶する危険性があるため、しびれを切らしてメアリーと婚約破棄し、他の女性と結婚してしまいました。

次第に、嫡子が生まれない状況に堪えかねたヘンリー8世は離婚を考え出すが、ヘンリー8世に男子が生まれなければ、叔母に当たるキャサリン、いとこに当たるメアリーがいる自分が、イギリス国王の継承権に近いことを理解していたカール5世が、キャサリンと結託して、ヘンリー8世の離婚を邪魔してきた。結果としては、この事がヘンリー8世の1回目の離婚の決定打になったと言われています。

ヘンリー8世とキャサリンの結婚は決して幸せなものとは言い難いが、嫡子相続、男子相続の当時の慣習において、血統の断絶を回避するためには、離婚は必然だったかもしれない。

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