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周りのせいになんかしない。自分で選び、自分で決める。

突然ですが皆さん。自分が人生を終えるときを想像してみてください。
人はいつ終わりを迎えるかわからない。あなたは死を目前にしたとき、心から最高の人生だったと思えていますか?
実際に死を目前にした人は、自分の人生を振り返った時にどんな後悔しているのでしょうか。
私はこの事実を知って、大きく価値観が変わりました。皆さんも、これからの生き方を考えるきっかけにしていただけたらと思います。

人生の最期を目前にした人が、後悔していること

これは、私が以前読んだ本『エッセンシャル思考』に書かれていた内容です。オーストラリアの看護師ブロニー・ウェアという方は、死を迎える患者たちが最後に後悔していることは何かを聞き、記録し続けていたそうです。

その結果、もっとも多かった答えは
「他人の期待に合わせるのではなく、自分に正直に生きる勇気がほしかった」という回答だったそうです。「自分がどうしたいのか」よりも「周りにどう思われているのか」を考えることで、自分を押し殺していたことに後悔をする人が多かったのです。

私の解釈では、あくまで自分の行動に関しての話だと思います。もちろん、集団でいるときは良好な関係を築くために、自分を押える場面はよくある。友達とご飯に行くときは、友達の意見を尊重することもあるだろう。しかし、自分の行動に関しては、どうだろうか?

「自分の夢はあるけれど、周りにバカにされないだろうか」「周りと違うことをすることで、みんなに嫌われないだろうか」
親が言うから、周りが反対するから、一般的には~だから私はこうしなきゃいけない。しかたない。自分の気持ちは押し殺して、与えられた枠の中で波風立てないように生きよう、、、って。

私は思う。
自らにフタをして、自らの可能性を失ってしまうのはもったいない。しなきゃいけないなんてないでしょ。したくないこと、間違っていると思うことを無理にする必要はない。自分のしたいことを応援してくれる人、共感してくれる人はたくさんいる。その人たちを大切にするほうが幸せだなって。

誰かのせいにしたくない、言い訳はしたくない

周りに合わせて自分の行動を選択して、もしもうまくいかなかったとき、きっと周りのことを言い訳にする。「環境が良くなかったから」「誰かがそういったから」「みんなしてるしこれが当たり前だから」って。そして周りを憎み、周りの人をきらいになる。さらには自分のしたいことをできなかった自分を憎み、自分のことも嫌いになる。「~しとけばよかった」「思い描いていたのとは違った」って。そんな人生は嫌だと思った。

自分の行動を自分の意志で選択して、その行動に自分で責任を持つ。すべての人から支持を得る必要はない。自分の行動に対して応援してくれる人、共感してくれる人を力に自分のしたいことをする。それによって成し遂げたことを、支えてくれたみんなで分かち合いたいなって。

これは別に大きなことじゃなくてもいいと思う。
毎朝、親に起こしてもらっている人がいるとする。たまたま起こしてもらえなくて遅刻したとき、あなたならどうするだろうか。親にあたって怒り、親のせいにして憎み、イライラする。親も朝から嫌な気持ちになる。こんな悪循環をしたいと思う人はいないはずです。

これを、「毎朝自分で起きる」と自分の行動を自分で決めてみてはどうだろう。もしも起きれなかったとしても、誰もせいにすることもなく、自分のせいだと思える。周りのせいにすることもなくて済む。


多くの人生の先輩方が伝えてくれた、「自分に正直に生きること」というメッセージ。「周りにどう思われているのか」ばかりではなく、「自分はどうしたいのか」も同時に考えてみてはどうだろうか。

自分の行動を自分の意志で選択して、その行動に自分で責任を持つ。私はそんな人生を歩んでいこうと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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