「今、思うこと」を書き綴るためのnote

常に、自分の思考をアウトプットしたいので、noteで書き綴ります。

基本的には、自分の思考や感覚をアップデートするためのランダムメモ。

Facebookでは鬱陶しい内容かもしれないのでnoteに記憶しておく。

読みたい人がいれば、勝手に読めばいい感じで。


さて、早速。

昨年の11月から未だに一息つく暇が持てない。

というよりは、仕事が増えてきている。

作業量よりは、案件。

稼げるからいいじゃないのか!と思いたいのだが、最近はちょっと受け止め方が変わってきた。

そもそもカメラ屋(私の店の場合、現像プリント、商品販売、室内・室外の撮影、集配など、業務のカテゴライズが多い。

それは、この店は生まれた過去の背景がある。

創業は両親だが、ド素人から始めた仕事だったがため、稼げる業務は何でも始めたのだ。

その結果、ある種バブル期までにこのような多業務による稼ぐ構造が出来てしまった。

今は、当時の市場規模は5分の1でありながら、この業務種類は変わっていないのが問題点と言える。

しかしながら、カメラ屋(写真屋)とは正反対の業務量が絞り込まれたモデルも存在する。それが、写真館である。

主に、写真の撮影・販売に一点集中したビジネスモデルであり、写真業界の中では唯一生き残るビジネスモデルである。

カメラ屋と写真館の対比は、非常にシンプルとなる。

それは、小売業と製造業のような相違がある。

小売業は「売り方を極める」のに対して、製造業は「作り方を極める」のである。つまり、主体性を発揮する方向性が異なる。

小売りは「他人という外へ(販売技術)」、製造は「自分という内へ(撮影技術)」が主な課題設定となる。

私は、カメラ屋の集まりも写真館の集まりも両方参加している。

しかし、その集まりでの対話は、両者、全く異なる。

カメラ屋の集まりのテーマは「あれが売れる?これが売れない」、写真館の集まりのテーマは「あの撮り方はいい、この撮り方はイマイチ」となる。

両者に共通している部分もある。

それは対話の中に「お客さん」が存在していないこと。

「自分たちが、お客さんにとって何なのか」や「自分たちが、世の中においてどうなのか」という対話は聞いたことがない。

写真業界は斜陽産業と言われるが、その理由は「客任せ」でしかない。

商品を買う理由、店を選ぶ理由、写真を求める理由、業界が存在する理由、そのすべてが「客任せ」にしか見えないのが私の本音となる。

たかだが2,000億ちょっとの業界において、衰退が顕著に見える理由は単純だ。

主体性が無く、受動的でなのだ。

例えば、カメラ屋は「どれが売れるか」に依存し、「どう売るか」に思考が及んでいない。

例えば、写真館は「どうしたら上手に撮れるか」に依存し、「どうしたら価値を感じてもらえるか」に思考が及んでいない。

両者、ムーブメントや文化をテコにした華々しいビジネスモデルではあるものの、社会性によるムーブメントが過ぎ去った今、どのように自分たちを再構築して、異なる側面によるムーブメントや新たな文化を生み出すには至ってもいないのだ。

メーカーは自滅的な商品開発を繰り返し、個店を置き去りに独自で売り始めた。

問屋は、メーカーのスタンスを知るほど思考が足りず、個店にめんどくさいことばかり押し付けられて疲弊し、やる気もない。

個店は、「お客」を見ずにやってきたツケを今払っているが、何故払わなければならないのかの自覚が無く、被害者意識しか持てない残念な状態。

結局、まとめて「お客を見ないで、売りさばいてきたツケ」を払うしかない。

まとめて同じ思考を感じる、そう、それは「自分は悪くない(間違っていない)」だ。

自分のこれまでを否定するには、これからへの肯定が出来ないのだ。

そう、ビジョンというか、こういう存在になる!という方向性を個店が持っていない部分が顕著にみられる。

これまでは、不足した要素を「組合、協会」のような束になって補ってきたことによって、逆に、「個店」一人で考える、やってみるという原点を見失ってしまったように感じる。

これからの写真業に携わる者として、また写真が人々の生活に根付き、輝くために思うことは、「写真を通して、自分が何をお客に提供し、自分は何者として役立つのか」という使命を徹底的に思考していくことではないかと常々思う。

同世代でお付き合いある同業の仲間にも、常々、口を酸っぱくして言っているのがまさにそれである。

それをちゃんと考えてくれる人もいれば、全然話を聞いてくれない人もいる。まあ、それはそれでいい。10年後に結果が出ると思えば。

これは綺麗事なのではない。極めて、物事においての存続には必要な要素ともいえる。

写真は、決して人々の思い出から存在を消すことがないそれは、人が持つ根源的な欲求を満たす物質であることは周知の事実だ。

だからこそ、人が欲しがっているものを、右から左へ売るような商売は避けたい。そんな次元の低い仕事には興味はない。

個店、もしくは商人の役割は、「自分が純度高く作り上げる商品を、如何に多くの人に広めて文化的な消費へと導けるか」ではないだろうか。

そこまで行くと、まさに商業者であるが。

とにかく、自分の店の周辺に住む人々に、写真が持つ魅力、可能性、価値を、最大限工夫しながら伝えきれるか。

今の課題は、そこに尽きると考えている。

そういう意味では、仕事の依頼が増えているのは、単純にお店が少ないからではなく、想いは人に伝わるくらいに表出化し始めているということかもしれない。

私は、写真が好きではない。

好きでも嫌いでもなく、単純に家業が写真業なだけだ。

だからこそ、写真業に携わる人々には見えていない領域が見えたり、お客さんのニーズに気づけたりできるのだと感じる。

そう、これが私の特異点なのだ。

業界の常識や通例など、私には意味が無い。なぜなら、写真を守りたいのではない。写真を使って、お客さんの想いや思い出を支えたいと決めたから。

商品を通して、お客さんに影響を与える。そこに商売のカタチを感じている。

今思うことは、一つ。

自分の宿命、運命、使命を通して、自分は何になるのか。

そして、その自分が、商売を通して、何を成し遂げるのか。

そこを日々、より深く、思考しながら、成長したいということかもしれない。

「僕は間違っていません、僕のせいではありません」という人が世の中の9割くらいいる中で、如何に自分の責任とコミットメントで、自分の人生を動かすことができるのか、そこが根っこかなと。

先日、仕事のトラブルがあった。

クライアントから責任を全部押し付けられた。

正直、心が折れた。いや、失くしたに近い。

しかし、現象を感情的に受け止めるのではなく、意識的に客観的に、その本質を見極めるようにしたところ、新たな思考が生まれ、結果的に、新しい商品づくりが出来た。

自分のメリットは全然ないけど、これで日本中の同業が救われるビジネスモデル。

あとは、この企画をあげた事業者が、そのプランを実行するかどうかだ。

すれば、業界に新たな風が吹くだろう。

しかも、相当利益になる。

再度申し上げるが、私にはメリットは全くない。

でも、そのプランのおかげで、クライアントも、同業も、みんな安心でハッピーになれる。

そんなアイディアをトラブルの中から見出した。

たった10分の修羅場から、革新を引き出した。

これぞ、私の真骨頂かもしれない。

影響を与えるとは、誰も気づかない価値を表出化して、差し出すこと。

そんな気がする。

さて、引き続き、終わらない繁忙期を頑張ります。

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