「学び」とは?~2020年における学び方の刷新を図る~

佐藤さんのブログが非常に示唆に富んでいるのでシェア。
いつも読者に寄り添う構えを変えない佐藤さんのスタンスには脱帽せざるを得ない。

佐藤さんは、常に自省的、つまり自己再帰的な思考で、問い掛けます。

さて、この佐藤さんの発信に対し、学びを実践する者は、どのようにこの情報を受け取ることが大事なのかをお話したいと思います。

その問いかけに対して、「佐藤さんの言うことは真っ当だな」と共感しているだけでは何も学べません。

大事なポイントは、「佐藤さんの真意は何だろう?つまり最も重要なポイントはどこなのだろう?」と考えることができることが「学び」の要となるのではないでしょうか。

先日、とある経営者と対話して、改めて認識したことがあります。
「学びの本質」とは何か。

教えよう、伝えようと行動する達人や超越者(平たく言えば先生)が発する情報に対して、「表面的な言葉」だけを見るのではなく、その奥底に潜む「真意」を如何に汲み取れるかが、私のような学びの最中に佇むものの資質として問われるのではないかということです。

先生たちは、「伝えます」。
これは、ギフトとも言えます。

それを、私たちは「受け取ります」。
重要な事実は、「受け取れ」ますが、「返すことができない」のです。

私たちが為すべきことは一つ。

「伝えられた」言葉を熟読して、何を感じ、何を考え、何を行動に変えれそうか、そして、過去の自分を振り返りながら、過去の体験を通して、これらの言葉をどう解釈して理解しようとしているのかという「構え(姿勢)」について報告するという形で「返せる」のではないでしょうか。※例えば、この投稿のようなものを指します。

これらのやり取りを積み重ねていることも、深い「信頼関係」の構築に大きな役割を果たすことも肝心です。

佐藤さんのような達人もしくは、レベルの高い人たちは、常に「弁えている」という事実を多くの頓馬は理解できていないのが昨今の問題です。

彼らが「弁えている(押し付けずに、理解させる節度あるコミュニケーション)」がゆえに、私たちのような受け手は「甘えがち(受け取る情報の質の高さに、自分にはない全能感を誤感し、理解したかのように慢心するアティチュード)」になります。

つまり、あり得ないような「勘違い」を生み出すのです。

その勘違いが、最終的に、ギフトをくれた人からの信頼(もしくは託された想い)に泥を塗るという現実にさえも気づかない現状が昨今に多いことに、先生方は常に絶望を感じる今日この頃なのではないでしょうか。

なので、私たちは「甘えがち」を懸命に防ぐために、さらに精進していくのです。この姿勢、構えが、ものすごく、「伝えるもの」と「受け取るもの」にとって、互いに大切な営みだと確信しています。

そして、私が唱える営みも「依存からの脱却→自立型→自己実現型→自己超越型」への到達するためのものだと改めて気づくのです。

学びとは、「参照点を見つけ、いつでも参照できる自分の智慧として体得する営み」だと私は結論づけました。

佐藤さんの発信する情報を「参照点」として自分の中に取り込んで、自分なりに咀嚼し、理解し、仮想的に体得すること。

それが出来る者は、成長を加速させるだろうし、出来ない頓馬は田吾作へまっしぐらなのだと感じて仕方がありません。

さて、2020年、如何に「自己超越型」へ突き進めるのか。
個人個人、トコトン、しっかりと考えることが今この瞬間に一番大切なことなのではないでしょうか。

今年も、ガシガシ、学ばせて頂きます。

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