運ゲーも運ゲー排除もクソ。

前に機会均等と結果平等の話をしたじゃないですか。あれ?前は形式的平等と実質的平等って言ったんだっけ。まあいいや。
あれでなんでぼく機会均等好きじゃないんだろな〜と漠然と考えたりしてたんですけど、まあ色々見聞きしているうちにとりあえず一つの結論というか、まとまって文章化できるくらいのものに至ったので紹介しておこうかなと思います。

まず考えたいのは、

本当に機会は均等か??

という話です。
というか、まあ突き詰めれば本当に機会が均等ってこたあないし、全てが自己責任ってこともないよな。
あなたの人生はあなたの意志ではどうにもならない偶然にたくさん左右されているはずです。突然交通事故に遭うかもしれないし、宝くじ高額当選をするかもしれない。生まれにしても、性別、国籍、親の経済力、周囲の環境、健康状態、その他諸々…
まあ、スタートが全員同じっていうのはありえないわけですね。
前に「機会均等は老若男女問わず一斉にヨーイドン」って言ったけど、年齢や男女の差がある時点で平等な条件ではないじゃん。本当に平等にしたかったら全員を同じ性別同じ年齢同じ体格に魔法の力で揃えてからやらないとだめじゃん。そしてそんな仮定は人生において無意味でもありますよネ。

要するに、機会均等はスタート地点しか平等じゃないんですね。スタート地点に至るまでの諸々が無視されていると思います。
というか人生にスタート地点もクソもないでしょ。みんな違う家庭に違う環境で違う時代に生まれてるのに、しかも我々は自分が物心ついた瞬間すら覚えてないのに何がスタートだとかわかってないでしょ。
人間がある瞬間に「よーし人生始めるぞ!!!」って発生するならともかくとして、実際は違うでしょ。我々は気づいたらこの世に存在していて人生を走っているんだぞ。自分が平等なスタートを切ったかなんて認識する前に既に20mぐらい走った後じゃんね。

それに第三者から見ても平等なスタート切れてるかって言ったら微妙じゃん。さっきも言った性別国籍性的指向その他諸々もう条件が違うじゃん。走る距離しか平等じゃない。マリオカートのロケットスタート使えるやつが居るかもしれないし逆さに地面に埋まった状態でスタートかもしれん。

それに細かい話は省くけど「実力も運のうち」であることが科学的に実証されてきて、結局この例だと「速く走れる身体に生まれるかどうか運ゲー」じゃん。実力主義とか成果主義と言うと聞こえはいいけど結局実力のある肉体や精神を持って生まれるか•それを育める環境に生まれるか運ゲーじゃないですか。この差がたいしたことなけりゃいいけど世の中の成功者とか見てるとそんなことはなさげじゃん。

不幸な境遇でも夢を叶えられるかも!ってのは、スタート地点で全身複雑骨折してても100m走でトップアスリートに勝てるかも!みたいな話じゃん。仮にめっちゃ頑張って勝てたとしてもそれは「めっちゃ頑張れる」っていうブースト持って生まれただけで、全身複雑骨折だけど新幹線に乗った状態でスタートみたいな話でしかなくね?どう?

結局どうあがいても自分の力ではどうしようもない運ゲーで人生の勝敗が決まってしまうのが機会均等と主張されてるもののあんまり好きじゃない点というか、結局均等にはならんじゃんっていう点なんですよね。

で。

じゃあ結果平等を目指せばいいのか?

というと、なんかそんなに単純な話でもなさげなんですよね。究極の結果平等ってつまりあらゆる競争が存在しない世界ってことですよね。
うん。無理ですね。
人間に競争するなって言うのは無理だと思うんですよ。違う人間が複数居たらもうそこで競争が発生するんですね。

それにそれこそ目に見えるでかい格差をあとから埋めたところでしょーもない勝負が別に発生するのは確かにそうだ。

そりゃあ学力だけで決まる社会よりは社会性とかみて色々総合的に判断した方がいいんだろうけど、だからといって医師になりたいやつ全員医者にするわけにも医師国家試験をくじ引きでやるわけにもいかないじゃないですか。どうしても適材適所って観点で見て明らかに適材じゃないやつを本人の希望だけで采配はできないでしょ。

結果平等って結局「この世から運ゲーをなくすこと」であって、不可能なんですよねえ。神はサイコロを振りますネ。まあほとんどの運ゲーが無くなった世界にはできるとしても、我々はそんな世界で何を目的に生きるんでしょうかね?

生きる目的ってやつ、おそらくまあほとんどの人はそんなこと考えずに適当に生きてそうなのでそういう人には運ゲーレス社会けっかびょうどうは良いのかもしれんけど、逆に人生が上振れる夢もないからなあ。なーんか、単純に昨今の 個性を大事に!夢を持とう! っていう教育と相反してるような気はするんよな。この考え方って基本的に機会均等だけど、真に機会均等なんてないってそろそろみんな勘づいてきた感はあるよな、確かに。

この世から運ゲーが無くならない限りは運ゲーに敗北して不幸な人生送る可能性は排除できないし、運ゲーが完全に無くなったけっかびょうどうとしてそれは幸福なのか?という話でもあるのでこれ多分永遠に解決しないんだろうな…と。人間に「競争に勝ちたい」という気持ちがある以上絶対に解決しないだろうね。

となると、「そもそも勝負の舞台に立たない」を是とする反出生主義が人気になるのは必然では?と思う次第です。

この世に救いなどないことが明らかになったところで終わります。

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?