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読書【俗説 徹底検証】感想

『俗説 徹底検証』完読。

巷に流布する俗説を検証する本です。

例えば。

【青木ヶ原樹海では方位磁石が狂う】
溶岩流の上にできた樹海なので地中に含まれている磁鉄鉱の影響でコンパスが狂うことはあるが方位が分からなくなる程ではない。

【蜂に刺されたらオシッコをかける】
全くのデタラメ。一般的な治療法は抗ヒスタミン剤を含んだステロイド軟膏を塗る

【「板垣死すとも自由は死なず」と彼は叫んだ】
板垣退助、明治の自由民権運のリーダー。1882年、岐阜で遊説中に暴漢に襲われた。その時に発したとされる名高い名セリフ。実は「いたいがーやきぃ、早う医者を」と言った説や演題のタイトルだった説、新聞の見出しだった説があり真相は藪の中。

板垣退助はあの名言を叫んで死亡した。と僕は思っていたけれど実は違ってました。

天皇陛下が国会開設の詔を出して半年がすぎた明治十五年。自由党党首、板垣退助は日本の未来を見据えていた。

九年後に日本初の国会が開かれる。その日のために政党を結成し盤石の基礎を築く必要があった。自由党党首として組織を全国に広める必要があったのだ。

その日、板垣は岐阜にて遊説中であった。

四月六日、午後六時半。

遊説を終えた板垣は中教院の門を出た。そして苔生して湿った石階段を降りていた。

「将来の賊め!天誅を下す!」

突如、一人の暴漢が現れた。暴漢は刃渡り九寸の短刀を振りかざして板垣を襲う。短刀は一直線に板垣の左胸を刺した。

しかし板垣は柔術・呑敵流小具足の使い手である。胸を刺されながらも暴漢の腹部に強烈な当身を打ち込み相手を怯ませる。

右胸に一箇所。
左手に二箇所。
右手に二箇所。
頬に一箇所。

先に刺された左胸を合わせて計七箇所の負傷を板垣は負った。それでも倒れるわけにはいかなかった。

余が倒れる時は日本が倒れる時ぞ。

その熱い想いが。その尊い精神が。その気高い意志が。卑劣な暴漢に屈することを許さなかった。

騒ぎを聞きつけた内藤魯一が暴漢を取り押さえた。

気力のみで立っていた板垣は内藤の手助けが入るやいなや、その場に倒れこんだ。

「板垣さん!大丈夫ですか!」
内藤が叫ぶ。

「板垣!」
板垣退助は眼をカッと見開いた。

「板垣死すとも…自由は死なず!!」
宙を睨みながら板垣は吠えた。

いや、宙ではない。その視線は遥か先の日本の行く末を見つめていたのだ。

その強襲事件から十日後。板垣は演説を再開していた。傷は意外と浅かったのだ

後日、酒の席で板垣退助は内藤魯一に

「板垣さん。なんでしたっけ、あの時。あの〜、板垣死すとも〜、のあと。なんでしたっけ?板垣死すとも〜、のあと。ハイッ!板垣死すとも〜、自由は〜?」
「や、やめろよー、内藤〜」

とイジられたとか。イジられなかったとか。真相は藪の中。

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