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短編【宇宙の芸術】小説

息子夫婦が亡くなって三十三年になる。一九八九年二月十八日、黒烏山くろからすやまでイチゴ狩りバスツアーのマイクロバスが転落した。死者は八名。その中に私の息子とその妻が乗っていた。

イチゴ狩りバスツアーは私が息子夫婦に勧めたものだった。二月のある日、趣味で始めたばかりの盆栽の木瓜ぼけの花が咲き始めた頃、私は盆栽に使う、さつき鋏を買いに商店街にある行きつけの園芸店へ向かった。

いままで使っていたステンレス製の鋏よりも値ははるが安来鋼やすきはがね青紙あおかみ2号で造られた、ずっしりと重みがあり切れ味のよいさつき鋏を手に入れた私は気分良く帰路につく途中で、商店街の福引きの場に差しかかった。

そういえば福引券があったはずだと思いだし財布の中を見れば確かにそれはあった。何を買った時にもらった物だったかは忘れてしまったが。

私はその福引き券を使い黒烏山のイチゴ狩りバスツアーのペア券を引き当てた。

その日の朝のことを今でも覚えている。息子の妻の美代子みよこさんは、たくさんイチゴを持ってきますからねと無邪気に微笑んで息子の新一郎しんいちろうと共に家を後にして二人とも灰になって戻ってきた。

三十三年経った今でも、私は悔やんでいる。息子夫婦に黒烏山のイチゴ狩りバスツアーを勧めなければ、商店街の福引きをしなければ、買い物をして福引き券をもらっていなければ、さつき鋏を買いに園芸店に行かなければ、盆栽の趣味を始めなければ……。

盆栽の趣味。その趣味を私に勧めたのは美代子みよこさんだった。美代子さんは盆栽士の資格を持っていた。そのころの私は盆栽に資格があることも知らなかったし、盆栽の面白さも知らなかった。

「お義父さん、盆栽の面白さはね、長い長い時間をかけて、ゆっくり解っていくもんなんです。私はお祖父ちゃんの影響で十代から盆栽を触っていて、二十代になってようやく、その面白さに気付きました。あ、宇宙だ。これは宇宙の芸術だ、って。お義父さんなら、多分二、三年で分かると思います。盆栽は自分の思い通りに育てる事が出来ます。同時に、思い通りに育たないんです。言ってる事が矛盾してると思うかもしれないけど、やってみたら分かります。思い通りに育てても思い通りに育たない。かと思えば、思い通りに育ってないのに気がつけば思い通りになっている。毎日毎日少しずつ変化して気がついた時にはガラッと変わっている。本当に不思議なんです。盆栽って、その矛盾の中で宇宙を見つける芸術なんです」

そう言うがね、美代子みよこさん。私はそれで苦しんでいる。私に盆栽の面白さを教えたのは、美代子さん、貴女だ。その盆栽の面白さが引き金となって、貴女と新一郎を死なせてしまった。貴女たち二人が出会っていなければ死ぬ事はなかったのかと思うと私は辛い。

いや、それは責任転嫁だ。まるで盆栽があったがために二人は死んでしまったかのような言い分ではないか。盆栽を愛する貴女に対して私は非道いことを思ってしまった。すべては私が悪いのだ。

「それは違いますよ、お義父さん。お義父さんは悪くありません。自分の思い通りに行くのも人生、行かないのも人生。その矛盾を楽しみましょう。そんな事より朝ごはんが出来ましたよ」

そう言って美代子さんは慰めてくれる。

去年の三十三回忌の法要が終わった直後、私の目の前に美代子さんが現れた。幽霊なのか幻覚なのか、あるいは実は美代子さんは死んではいなかったのか私は分からない。分からないが、もう、そんな事はどうでもいい。私は美代子さんが作ってくれた味噌汁をゆっくりと口に含んだ。

⇩⇩別の視点の物語⇩⇩

木瓜の花が咲く頃に

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