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短編【勝ちと負けの境界線】小説

「ほんと、あの男はサイテーなのよ」
「もう判ったから、いい加減帰ってくれよ」

俺はチラッと時計を見る。100均ストアで買った壁掛け時計は二十三時を示している。引っ越してきた時に買ったものだから、もう五年は持っている。けっこう持つもんだなあ。


「お兄ちゃんも、やっぱり男だね」
「はぁ?」
「あんなサイテーな男の肩を持つの?」
「何言ってんだよ。なあ、もうそろそろ」
「帰んないよ」
「お前、まさか、泊まってく気か?」
「いいでしょ?一人暮らしなんだから。一緒に住もうか?」
「馬鹿言うな。旦那がいるだろ、お前には」
「あんな男は旦那でも何でもない!三度目よ、三度目!もうしない、もうしないって言って、三度目!しかも、今度は私よりも年上よ!信じられる?!」
「分かったから。じゃあ、もう別れろ!」
「あったりまえじゃない!別れるわよ!今度と言う今度は、絶対に別れてやる。別れないでくれって、泣いて頼んでも、もう、無理!絶対に別れる!」

妹の美紗子みさこがそう言ったとき、アルミの玄関ドアから安いノック音がした。ドアを開けると美紗子みさこの夫の郁夫いくおが立っていた。

「すみません、お義兄さん」
「あ、いや」
「美沙子!やっぱり、ここだったか!」

郁夫は俺の肩越しに美紗子に声をかける。

「お義兄さん。すいません、美紗子が」
「あ、いや。うん。ちょっと、俺、外出てくるから、二人でキチンと話し合って」
「いいわよ!お兄ちゃん、ココにいて」
「いや」
「こっち来て座ってよ、お兄ちゃん。アンタも何してんのよ。さっさと入ってココに座んな!」
「美紗子、話があるんだ、二人だけで」
「そうだよな、二人で。じゃあ、俺は」
「いいわよ!座ってお兄ちゃん!何よ、話しって!」
「いや、でも…」
「座ってお兄ちゃん!話って何よ!」
「あの…。もう、別れよう」

俺と美紗子は「え?」と声を綺麗に合わせた。玄関に立っている俺はゆっくりと振り返って美紗子を見る。驚いているわけでもなく、怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない、無表情の美紗子が居た。

「浮気ばっかりして悪かった。ホントにお前には申し訳ないと思っている。だけど、今度のは、今度のは…本気なんだ。あいつの事を愛している。お前も、もう俺と別れたいんだろ?」
「何言ってるのよ。今度のは私よりも8つも年上のオバサンじゃない。また出来たの?新しい女が」
「ちがう!確かにアイツはお前よりも年上だよ。だけど、ホントに好きになってしまったんだ。頼む!勿論、慰謝料とか出来る限りの事はする!一緒にいても、俺達はもうダメだろ?それは一番お前がわかってるじゃ、」
「嫌よ」
「え?お前、さっき」
「お兄ちゃんは黙ってて。私、離婚なんて嫌だから。絶対に別れないから」
「頼むよ」
「嫌」
「解った、改めてきちんと話そう。お兄さん、すみませんでした、こんな夜中に」
「いや、べつに…」
「失礼します」

郁夫は軽く頭を下げると去って行った。


「おい、お前、別れるんじゃなかったのかよ。なんだかんだ言ってまだ、愛してるんじゃないか、アイツの事。ま、ちゃんと話しあってさ」
「馬鹿じゃないの?」
「は?」
「あんな、男、顔を見るだけでも吐き気がするわよ!死ぬほど嫌いよ!」
「じゃあ、なんで別れないんだよ」
「嫌いだからに決まってるじゃない!なんで嫌いな奴のお願いを聞かなきゃならないよの!」

と、妹は言っているが、それは違うな。ただ単に、年上のオバサンに負けたのが悔しいだけに違いない。勝ちと負の境界線。別れない事で夫を苦しめるつもりだ。俺は、コイツの兄貴だから、よーくわかる。

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