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短編【英雄の嘘】小説

『氷上のチェス』と呼ばれるスポーツをご存知だろうか。その名はカーリング。氷の上で行われるウィンタースポーツだ。4人1組で行ない、4人のうち1人がストーンと呼ばれるカーリング専用の玉を滑らす。ウィーパーと呼ばれる2人が氷の床の表面をカーリングブラシで掃きながらストーンをコントロールし、ハウスと呼ばれる円の中に入れる。最後の一人が司令塔になり、戦略を考えて指示する。

『氷上のチェス』と呼ばれるのは、非常に知的なスポーツだからだ。そのカーリングには他のスポーツにはない、いや有り得ないルールが有る。それは反則をしたら自己申告で審判に申し出ると言う事だ。これはカーリング精神に則った行為なのだ。他のスポーツでこんな事があり得るだろうか?他の競技なら例え反則をしても審判が気づかない限りそれはノーカウント。しかし、カーリングは自ら反則を宣言する。勝利よりも名誉を重んじる。正真正銘フェアプレイを追求した紳士のスポーツ。それがカーリング。

申し遅れたが私はスポーツライター。今、伝説のカーリング選手、篠山ささやま達夫たつお氏との対談をしている。篠山氏は伝説的な試合をしたカーリング界の英雄だ。伝説的な試合。それは、30年前に遡る。世界大会をかけた試合で、篠山氏のチームは圧倒的な強さで勝ち進んでいた。そして、最後の試合。この試合に勝てば世界大会の切符が手に入るという局面で、篠山氏は自らの反則を宣言したのだ。

相手チームのストーンに触れてしまったと言うのだ。その瞬間を誰も見てはいなかった。味方のチームも敵のチームも、そして審判も誰ひとり見てはいなかった。篠山の、そのたった一言で勝利目前のチームは敗退した。しかし、カーリングは紳士のスポーツだ。非難する者もいたが多くは賞賛を篠山氏に送った。そのカーリングの英雄、篠山達夫氏との対談が今、終わった。

「今日は、取材協力ありがとうございます」
「いやいや。こちらこそ有難う。楽しかったよ」
「来月には記事になりますので。それでは」
「ああ、ちょっと待って。一つ言い忘れた事があるんだが」
「はい。なんでしょうか?」
「話そうかどうしようか、悩んだんだがね、昔のことを色々話しているうちに、やっぱり言った方がいいと思ってね」
「はい…なんでしょう?」
「実はね、僕は癌なんだ。末期のね」
「え!」
「だから告白すると言う訳でも無いんだが、30年前の試合で」
「ああ、あの伝説的な」
「実は、僕は反則をしていないんだよ」
「え?どういう事ですか?」
「嘘の反則を宣言したんだ」
「何故?そのせいでチームは」
「負けた。しかし、私は英雄になった。30年たっても語り継がれている。私はチームの勝利より個人の名誉が欲しかったんだよ。あの時、勝ち得た信頼が、今の地位を築いた。記事にするかどうかは君の任せるよ」

カーリングは紳士のスポーツ。その信念が音をたてて崩れていくのを、私は感じた。

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