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短編【上を向いて歩こう】小説   

「いやぁぁ、今日のあの店。あそこは当りだったな」
「まったくだ。値段もちょうどいいし、何より、ネェちゃんが綺麗だった」
「だよな!だよな!あんな綺麗所をそろえて、ホントに一人三千円ポッキリだったよな。俺、店に入ってネェちゃん見た瞬間に、やられた!って思ったもんね」
「俺も」
「五万円は覚悟したもん」

サラリーマンが二人、雨上がりの夜道を歩いている。繁華街からだいぶ離れ数メートル置きに街灯が灯る寂しい道を二人は歩いている。彼らの名誉のために仮にA氏とB氏と呼ぶ事にする。B氏は左側の袖が濡れたスーツを小脇に抱えている。


「ほんと、いい店見つけたなぁぁ。ミサキちゃん、いただろ」
「うん。可愛かったなぁぁ」
「あの子、絶対おれに」
「バカ!それは無い!」
「なんで」
「俺に惚れてるよ、あの子」
「お前こそバカ!そんな事あるか!俺だよ!」

俺だよ!いいや!俺だよ!と二人は戯れ合うように言い合っている。ほどよくアルコールが入っている。俺に惚れている!いいや俺だ!と掛け合っていた二人だが、急に二人揃って「はぁぁぁぁ」とため息をつく。

しばらく二人は無言で歩きA氏がぽつりと呟く。
「いいお店だったなぁ。ほんと良心的なお店だった」
「なぁ」
「ん?」
「もう、やめないか?」
「何が」
「やっぱり無理だよ。俺、俺…」
「下を向くな!上を見ろ!ほら!星空が綺麗だろ」

A氏は、何故かくじけそうなB氏の肩をぐっと上に向けて空を見せる。

「曇ってるよ」
と言うB氏の声は涙でかすれている。

「雲の向こう側を見るんだよ!想像するんだよ!現実を見ちゃだめだ!あの、雲の向こうには綺麗な星がきらめいているんだから」
「現実逃避?」
「現実逃避とかゆーな!もー!いいお店だっただろー!安くてミサキちゃん可愛くて」
A氏の声も、いまにも泣き出しそうになっている。

「もう、やめようよ。現実はそんなに甘くないよ。無茶苦茶、高かったじゃん!三十分居るか居ないかで6万取られたじゃん!一人6万じゃん!ミサキちゃんも50過ぎたオバサンじゃん!」
我慢出来なくなったB氏は、ついに胸のうちを吐露して半分濡れたスーツを抱きしめる。6万は高い!とナイトバーのホールスタッフに突っかかったB氏は、小柄だけど意外と力が強かったホールスタッフに店の外に叩き出された。その時に無様に倒れて路地の泥水でスーツの左半分が汚れたのだ。

「言うな!6万の事はいい!ああ!6万取られたさ!でも、ミサキちゃんの事はいうな!ミサキちゃんは可愛い20歳の女の子だった!」
「もう、やめようよ。初めてのキスがミサキちゃんだったからって、記憶を改ざんするのは」
「言うな言うな言うな!奪われたんだ!童貞って言ったら、あのババアに奪われたんだ!不可抗力だ!あーーん!ちくしょう!初めてのキッスは初めてのキッスは、色白で長い黒髪で瞳が大きくて清楚で、笑うと少しだけ笑窪がでて、趣味はピアノとお菓子つくりで、一生懸命走っても、歩いてるのと同じくらい遅くて、何か失敗したら小さな舌をペロッとだして、頬を赤らめる。そんな子としたかったのにーー!ちくしょー!ちくしょー!ああーーーん」
「わかった!わかったから、もう泣くな!俺が悪かった!いい店だった!あの店はいい店だった!」

B氏はA氏を抱きしめて鼻を啜りながら言う。

「ホントに…いい店だったな…」
「うん。今日のあの店。あそこは当りだったな」
「まったくだ。値段もちょうどいいし、何より、ネェちゃんが綺麗だった」
「だよな!だよな!あんな綺麗所をそろえて、ホントに一人三千円ポッキリだったよな。俺は、店に入って、ネェちゃん見た瞬間に、やられた!って思ったもんね」
「俺も」
「五万円は覚悟したもん」
「ほんと、いい店見つけたなぁぁ。ミサキちゃん、いただろ」
「うん。可愛かったなぁぁ」

二人は力無く濡れた歩道を歩き出す。しばらく二人は無言だったがB氏が堪らず言葉を漏らす。


「やっぱ、やめよう…」
「何が」
「やっぱり無理だよ。俺、俺…」
「下を向くな!上を見ろ!ほら!星空が綺麗だろ」
「雨降って来たよ」

二人の顔に雨粒が当たって涙と混じり合う。B氏は自分も童貞であることをA氏には黙っていようと思っていた。

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