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短編【二百二十日】小説

南鳥島から南西に十三キロ地点に無人の七枝島ななえじまはある。南北2.3キロ、東西2.5キロのいびつな円形の島で標高248メートル。島の南側には断崖絶壁の岬があり、岬の根元には気性の荒い波が幾重もぶつかり白い泡となって消える。空にはセグロアジサシの群れが騒がしく飛び回っている。

無人島であるはずの、その岬に男女の姿が見える。女は右手でスマートフォンを持ち左手で白いつば広の帽子を左手押さえいる。それほど風が強い。

「なんだよ。お前が行きたいっていったんだぜ、無人島」

波と風の音が轟音となって鼓膜にぶつかる。男はついつい声が大きくなる。

「なによ、いきなり」
「なんか、つまんなそうにしてるから」
「つまんなそうに見える?」
「さっきから空ばっかり気にして。ここは、無人島だよ?俺とお前しか居ないんだから、お前が白けたら、俺も面白くないよ。迎えの船は夕方にしか来ないんだぞ。頼むからもうちょっとは楽しそうにしてくれよ」

女は男を見ることなく遠い海の向こうを見つめている。海の向こうからやってくる何かを待っているかの様に。

「…あんたの気持ちが私にあるんだったら楽しくもできるけどね」
「なんだよ。どういう意味だよ」
「知ってるよ。かえでの事。あんた、かえでと寝たんでしょ?」
「お前、なに言って」
「いいよ。もうバレテるんだから。寄りによってかえでと…。まだ他人と寝たんだったら我慢も出来るけど、かえでは私の妹だよ?」

男はここであれこれ言い訳をするよりも一旦認めてしまって、その上で謝った方が得策だと、そう思った。

「その…あの…あれは、はずみで」
「三回も弾むんだ」
「いや、だから、それは」
「今日、何の日か知ってる?」
「え?」
「今日。九月十一日」
「なんだよいきなり。しらねぇよ」
「今日は、『二百二十日』よ」
「にひゃくはつか?」
女は白いつば広の帽子を押さえながら振り返って音を見た。その目は、男が今まで見たことのない冷たさを湛えていた。

「立春から数えて、ちょうど二百二十日目」
「だからなんだよ」
「この日はね、台風が来やすい日のな。台風の特異日」
「お前、そんな話をする為にわざわざこんな所に連れてきたのか」
「今日、台風が来たらあんたを殺すつもりだったの。台風のドサクサに紛れてあんたを殺すつもりだったのよ。でも、台風は来なかった。運が良かったわね」
「お前、そんな事をする為に…」
「そして、台風が来なかったら、私、この崖から飛び降りて死ぬって決めてたの」

女は男を見詰めたまま後ろに一歩下がる。
あと二歩分、足を動かせば、そこには地面はない。

「信じてたのに!!何で、何で楓と寝たのよ!あの子はいつもそう!私の大切なものばっかり奪っていく!…さようなら」
「待てよ、あかね!話を」
「あんたの事は絶対に許さない」

女は男を睨んだまま、何のためらいも見せずに岬の向こうに消えた。


「おいあかね!おい、おい!!!あかねーーーー!」

男は飛び降りた女の名前を叫んで崖下を見る。荒波にさらわれたのか女の姿はなかった。あるのはただ荒々しい白浪と轟音と男の顔を叩く潮の粒だけだった。

男は崖下を見つめながら、笑っていた。ついつい芝居じみた大声で叫んでしまった自分がおかしかったさ。ホントに飛び降りやがった。ホントに自殺しやがった!アイツとの関係、どうしようかと思っていたのに。ホントに俺は運がいい!男の笑い声を止めたのは携帯電話の着信音だった。

男はコートのポケットから携帯電話を取り出す。ディスプレイには楓と書かれている。姉が死んだときにタイミングがいいな。虫の知らせってやつか。男は通話ボタンを押した。

「もしもし!!楓か!大変だ、茜が!茜が崖から」
「もしもし!!トシさん!お姉ちゃんを!お姉ちゃんを殺したの!!」
「な、何いってんだよ、茜は足を踏み外して崖から」
「お姉ちゃんからメールが有ったよ!!トシヒコに殺される、助けて!って、一斉メールが!もしもし!トシさん!聞いてる?もしもし!」

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