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短編【間の抜けた電話】小説

携帯電話が震えた。

仕事帰りの電車の中だったから出なかった。発信元は公衆電話からだった。携帯電話を持つようになって、多分十年以上は経つ。初めて持った携帯電話は高校生のころだった。可愛いからという理由でハローキティが印刷された限定モデルを買った。今ではアイボリーカラーの標準モデルを持っている。その携帯電話のディスプレイに【非通知・公衆電話からの着信です】という文字が出ていた。そんな表記を見たのは初めてだった。携帯電話は私が電車を降りるまでの間に五回震えた。

六回目に携帯電話が震えたときは駅を出ていた。駅から二十分はかかるアパートまでの道のりの丁度半分に差し掛かったときだった。

「はい」
私は歩きながら携帯電話を右耳にあてた。

「旦那、を、誘拐、した」
合成された音声が無感情にそう告げた。

「ダンナ?」
ダンナと言う音が、旦那を意味すると直ぐには気が付かなかった。何故なら——。

「アイカワ、ナリミチ、を、返して、欲しければ、」
「ちょっと、ちょっと待って!私に旦那はいませんけど!」
合成音声が話し終えるのを待たずに、私は声を荒げて訂正した。だから音声の後半は何を言ったのか聞こえなかった。だけど、そのアイカワナリミチと言う人に何かしらの危害を加えるつもりらしいことは分かった。

数秒間、電話は沈黙した。私は足をとめて電話の向こう側を探るように耳を澄ました。

「嘘、だろ」
相変わらず合成音声は無感情だったけど、その感情の無さが、かえって焦っているように聞こえた。

「本当です。そんな人、知りません」
私がきっぱりそう言うと、再び数秒の間があって、

「嘘、を、つくな」
と返答があった。どうやら、その場でパソコンか何かで文章を打ち込んで、それを音声に変換しているらしい。嘘をつくな?なんだそれは。私は何だか腹が立った。

「嘘じゃないです。誘拐電話の間違い電話って、ちょっと間抜けじゃないの?」
私は電話を耳に当てながら歩き出した。

「しらばっくりな、本当に、殺すぞ」
しらばっくれるな。という文字を打ち損じたのか、間の抜けた日本語で脅してきた。かなり焦っているようだ。

「どうぞ、私には関係ない人、」
です。まで聞かずに電話は切れた。なんなんだ、腹が立つ。まあ、いいや。早く返ってあの子の夕御飯の準備をしなきゃ。私は歩きながら携帯電話をバックにしまった。そして急に不安になった。

アイカワナリミチ。全く身に覚えのない名前。だけど、本当に誘拐されていて、本当に身に危険が迫っていて、そして本当に殺されてしまったら。

私は踵を返して駅に向かった。駅前の交番に。今あった出来事を交番のお巡りさんに全部話した。イタズラ電話かもしれないけど。いや、イタズラ電話であっても悪質だ。キチンと調べて欲しい。

それから八日後、私は鮎川あいかわ成路なりみちというIT会社の社長が死体となって山中で発見されたとテレビの報道で知った。場所は、私が住んでいる県からずっと離れた他県だった。

私が殺したようなものだ。私の対応が不味かったから。いや!でも!本当に関係ないし!間違い電話をする誘拐犯の方が阿呆なんだ!でも、私が機転を効かせて上手く立ち回れたら。私の心は自分を責めたり誘拐犯を責めたりで疲弊していった。

そして、半年後、再び携帯電話のディスプレイが公衆電話の表示を光らせて震えた。十コールを過ぎて私は恐る恐る通話ボタンを押した。

「よくも、警察に、知らせ、やがったな。お前の、せいで、計画が、台無しだ。仕返しに、お前の、娘を、誘拐、した、返して、欲しくば」

合成音声の後半は耳に入ってこなかった。どうしよう。どうしよう。警察に連絡したら二の舞だ。どうしよう。私、独身なのに。

狼狽えながら私は愛犬ランディーの夕御飯の準備をした。

上手く立ち回らないと今度は知らない女の子が殺されてしまう。

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