見出し画像

短編【夢野蝶々】小説

「あなたは他の人とは違うわね。目を見れば解るわ。共感は出来なくても理解はしてくれそう。少なくとも理解しようと努力はしてくれそうね」

夢野ゆめの蝶々ちょうちょう、本名水口みずくち紀江のりえはゆっくりとそう言った。

2033年6月27日午前3時12分。その日、夢野蝶々は血にまみれていた。血にまみれながら本宮町三丁目を虚ろに徘徊している所を警察に連行された。その時、彼女は右手に小さな肉の塊をぶら下げていた。ひと月後に生まれてくるべき胎児の頭部を、鷲摑んでいたのだ。

グラビアアイドル夢野ゆめの蝶々ちょうちょう、妊婦を殺害!連日連夜各メディアは、そのショッキングな事件を報道し、視聴者の脳細胞に刺激的満足感を与え続けた。殺害された女性は臨月間近で、来月には出産の予定だった。

夢野蝶々の人生は華やかだった。株式会社、『ミズクチ硝子』の社長令嬢としてこの世に生を受け何不自由なく育ち、父親のコネクションを使いアルバイト感覚で芸能界に入った。しかし、決して才能が無いわけではなかった。得意な英語とハングル語を巧に操り、不自然な程に丁寧な言葉使いで日本刀のような切れ味の毒舌を発する。しかも愛くるしい笑顔で斬られた心を優しく癒す術まで心得ていた。夢野蝶々は瞬く間に知性と美貌を兼ね備えたトップアイドルになったのだ。

そのトップアイドルのスキャンダルが………殺人事件だったのである。前代未聞のテレビタレントによる猟奇的殺人事件の報道は加速を増した。夢野蝶々は何故、妊婦を殺害したのか。憶測が憶測を呼んだ。しかし、どれも推測の域を出るものは無かった。動機なき殺人。

「あなたは他の人とは違うわね。目を見れば解るわ。共感は出来なくても理解はしてくれそう。少なくとも理解しようと努力はしてくれそうね」

夢野蝶々は精神鑑定官、三条さんじょう清彦きよひこの目を真っ直ぐ見て言った。夢野蝶々の瞳は、光を取り込んで逃がさない光沢のない純粋な黒色に見えた。

「勿論。僕は君の唯一の理解者だよ……」

精神鑑定官として五年間、三条さんじょう清彦きよひこは犯罪者の心の闇を見てきた。三条の役目は、彼女の心の叫びを聞くことなのだ。目の前に居るグラビア・アイドルは何故、妊婦を殺害したのか。彼の仕事は、彼女の殺人動機を探る事にある。

「あなたを信じてもいいのね。私が何を言っても絶対に信じてくれるって」
「ああ、勿論だよ。なぜ、あんな事を?」
「天命」
「てんめい?」
「そう。天命」
「……何か、聞こえて来た。って事かい?神様の声とか」

蝶々、ゾッとするほど美しい微笑みで三条を見る。

「あなたはこの世に何をしに生まれてきたの?」
「え?」
「人間はね、三条さん。この世に生まれて来るのは何かしらの意味があるの。そういう話、聞いた事、あるでしょ?」
「ああ」
「どう思います?」
「この世に生まれて来るのは確かに意味が有ると思うな。意味というより使命だな。何度も生まれ変わって、魂の経験を積む為にね」
「魂の経験。良い事を言うわね。そうなのよ、人は経験を積むために何度も何度も生まれ変わるの。私があの人を殺したのも、そういう事なのよ」
「どういう事?」
「生まれてくる事には意味がある。やるべき事が有って人は生まれて来る。色々な言い方があるわ。…でもね、人は綺麗事でしか世界を見ないから。自分が生まれてきた理由は、人を救うためだとか、人徳を磨くためにとか、そう思い込みたいのよ」
「つまり…。君は人を殺す為に生まれて来た、と?」

三条は遠い昔、同じような事を聞いた気がした。この雰囲気。どこかで。誰かが。故意に心の奥底に封印してた禍々しい言葉の記憶が込み上げようとしている。

「そう。誰でも良かったの。私は人を殺して、死刑で死ぬ経験をこの世でしなくては成らないの。今までの前世では出来なかったから。人間はね、三条さん、平和の為に身を尽くす経験も、快楽で生き物を殺す経験も、男になって女を犯す経験も、女になって愛される経験も、他人の秘密を暴く経験も、孤児に愛情を注ぐ経験も、放火して興奮する経験も、男根を切り落とす経験も、神を信仰する経験も、神を冒涜する経験も、長生きをする経験も、自殺をする経験も、金持ちに成る経験も、貧乏に成る経験も、薬に溺れる経験も、夢を与える経験も、尊敬される経験も、軽蔑される経験も、人を騙す経験も、騙される経験も、親を殺す経験も、子供を殺す経験も、国を憂う経験も、国を売る経験も、人を殺す経験も、そして…他人に殺される経験も………しなくては成らないのよ。魂の経験に善悪はないのよ。いい?魂の経験に善悪は無いの…だからね、三条さん。あなたはこれからも沢山の人殺しの心の中を見るワケでしょ。だからね、これから沢山出てくる人殺しの、どうしようもない気持ちを少しは理解してあげてね。それはもう…天命なのだから」

三条は思い出していた。夢野蝶々の美しい口調に乗った恐ろしい呪いの言葉を聞きながら、遠い昔、同じことを言った人がいた。

浅見屋あさみや霧人きりひと。12年前の2022年11月に死刑でこの世を去った男。

三条は一度、この男に会い、同じ事を言われた。その記憶がありありと蘇る。そんな馬鹿な。なぜ夢野蝶々がその言葉を知っている。夢野蝶々は今年二十一歳。計算が合わない。浅見屋あさみや霧人きりひとが逮捕された時、夢野蝶々は三歳か四歳。浅見屋あさみや霧人きりひとに出会っているはずがない。

三条さんじょう清彦きよひこは自身の忌わしい記憶が這いずり出てくる悪寒にも似た感触を覚えた。

幼い頃、三条は大量の猫を殺した事がある。三条自身、殺人者としての資質を十分に持っていた。しかしそれを理性で押さえつけ隠して生きて来た。その殺人欲求の追求が三条清彦を精神鑑定官にした。

「あら。一緒じゃない、貴方も。こっち側の人間。生きづらかったでしょ?」

夢野蝶々は、三条清彦の僅かな目のよどみを見逃さなかった。

「もう、我慢することはないのよ。魂の経験に善も悪も…ないのだから」

水口みずくち紀江のりえの瞳は慈悲で潤んでいた。

⇩⇩別の視点の物語⇩⇩

魂の経験

主よ御許に近づかん








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?