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短編【東京へ行けば】小説

きっと東京は物語に溢れているに違いない。


国道402号を単車で走る。潮の匂いの風が冷たい。私は目的地の越前浜えちぜんはま海水浴場にきて愛車のYAMAHAトリッカーを停めた。今日のように晴れた日は日本海の向こうに佐渡島がくっきりと見える。ヘルメットを取ると冬の潮の粒が髪にまとわりつく感触がした。

小説が好きだった。別に小説家になりたい訳ではないけれど、物語を紡いでみたいという思いはあった。だけど刺激のない毎日に物語は降ってはこなかった。物語を書ける人が羨ましい。部屋の中で悶々と考えるより外へでたら何か思いつくかもしてないと思い単車に跨ったけど、ただ爽快な気分になるだけだった。


国道402号沿いには他にもいくつもビーチはあるのに私は決まって越前浜海水浴場にゆく。なぜ越前浜海水浴場に来てしまうのか。理由らしき理由は特に思い当たらない。

幼い頃、私は誘拐されたと両親から聞かされた事がある。それは私が四歳の頃だった。ある女性が幼かった私を車に乗せて三日間連れ回した。最終的に、この越前浜海水浴場で私は保護されたというのだ。私を誘拐した女性は私を抱いたまま夕方の海の中へ入っていったという。たまたま居合わせた男性に止められ、私は助かった。

そんな事があったらしいのだが、私は全く記憶がない。あの時、何があったのか少しは覚えていれば、それを小説に出来たかも知れないのに。

日本海に夕陽が沈んでゆく。佐渡島が濃ゆい影になってゆく。強く冷たい風が耳を叩く。その風の音にまぎれて、おおーい!と男の人の声がした。しばらくはその声が、ただの風の轟音だと思っていたけれど、それはやはり明らかに人の声がだった。それもかなり切羽詰まった叫び声に近かった。

私は不審に思い、その声の方へ行ってみた。岩影の向こうの砂浜に声の主はいた。その人は肩から下が砂の中に埋まっていた。何故かは分からない。その男性は日本海側を向けて埋められていて私に気づいていない。両腕も完全に砂の中に埋められていて身動きが取れない状態だった。ただただ、日本海に向かって必死に、おーい!おおーい!と叫んでいた。

悪い事をした人なのか悪い人に埋められたのか、それは分からない。私は怖くなってその場をそっと離れた。見なかった事にしようと思った。関わってはいけないと思った。

私は愛車のトリッカーに跨りヘルメットを被って、越前浜海水浴場を後にした。

結局、小説の構想は何一つ浮かばなかった。国道402号の冷たい潮風を潮風を受けながら、東京に行こうと私は思った。何もない平凡な人生には物語は降ってはこない。

きっと東京は物語に溢れているに違いない。

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