小説を書いて

小説を書いて幸せになれますか? ①「小説の執筆は自己啓発と同じだった!?」

はじめて小説を書く方へ。

あなたの夢は叶いそうですか?

プロの小説家を目指している方へ。

あなたは幸せになれそうですか?


漫画で楠みちはる著『8エイト』にこんなセリフがあります。

「音楽の森だよ。音楽はね、アマチュアがいちばんいいんだよ。好きな時に好きなように森のそばで楽しめばいい。でもプロは森の中に入らなければいけない。入らなければ手に入らないモノがあるからね」

小説も同じだと思います。

小説の森は、とてつもなく深い。

森に入れば入るほど、なぜ進むのか、なぜ森が楽しいのか、わからなくなってしまう。それが小説の森なのです。

物語の基本は、行って戻ってくるモノです。

昔話の桃太郎は、鬼ヶ島に行って故郷に帰ってくる物語。そして物語の元祖であるギルガメッシュ叙事詩は、王であるギルガメッシュが不死を求めて旅に出るが、悲嘆に暮れて国に帰ってくる物語です。

小説の森はとても魅力的ですが、深くて戻って来られなくなる迷宮でもあるのです。

芥川龍之介や太宰治、ヘミングウェイやジェイムズ・ティプトリー・Jr.。いずれも森に入ったまま戻れなくなった作家たちです。

はじめて小説を書く方が、森で迷わぬように。もう小説を綴っている方が、森の暗さに負けずに戻って来られるように。

すこしでも力になればと、このコラムを綴りたいと思います。


ここまで読んでくれたあなた。「お前なんかに教えてもらいたくねえ!」と心の裡で舌打ちしているでしょう。

そうです。世の中には「小説指南書」という便利な読み物がありますからね。

しかしながら、自分もたくさんの小説指南書を読んできましたが、大切なコトを書いている本にはなかなかお目にかかれませんでした。

世にあまたある小説指南書でも曖昧な技術論しかないないのです。なにせ三人称一視点の具体的な技術を教えてくれたのは藤井太洋さんのブログだけですから。

それもそのはず。小説家の技術など、作家の数だけあるから。

たとえば、「自動車の運転」と同じです。

自動車を評論する本は数多くありますが、自動車の運転を教える本はなかなかないものです。それもそのはず、自動車の最高峰F1ドライバーは極めて限られた人数しかいません。F1ドライバーの運転を参考にしても、街中を運転する人には参考にならないでしょう。

ですから、有名小説家が書いた指南書など、あまり参考にならないのです。

要は、どうやって書くかではなく、なぜ書かなければいけないのか。その「本質」なのです。それがいちばん大切なのに、小説指南書は教えてくれない。

それならば、だれに訊けばいいのか──。


敵を知り己を知れば百戦危うからず。

孫子の兵法ではありませんが、敵を知れば負けないという言葉。小説の敵を知れば負けないという理屈になりますよね。

では、小説の敵とは何でしょうか?

ここで出版社が不況だと言われている時代にあっても売れている書籍があります。

それが自己啓発系を売り物にする本です。

いわゆる「引き寄せの法則」で、イメージされたものは現実となると謳われています。『カーネギー 人を動かす』や『ザ・シークレット』などが有名ですね。

そりゃそうだ。誰だって成功したい、金持ちになりたい、幸福になりたいものです。それが叶う絶対の法則があるのなら、誰だって知りたいと欲するのは当然でしょうね。

「凡人は模倣し天才は盗む」

画家であるピカソの至言です。

いわく、小説の敵である自己啓発から盗めばいいのです。

真似るではなく、盗むのです。その技術の本質を知り、そして己の武器に変えればいい。


ここで唐突ですが、あなたは知っていましたか?

実は、自己啓発と、小説の執筆が同じだというコトを!

そりゃーウソだぁ。そう疑うのは当然です。

片や、素人から見れば才能だけの世界で、「たくさん書け」と決り文句で片づける小説指南書の執筆術。

片や、エマーソンやマズロー、ナポレオン・ヒルやロンダ・バーンなど、いずれも売れている書籍があり、おおよそ明確な方法を論じてる自己啓発。

その相反する自己啓発の世界と小説の執筆が同じだと言うのですから、信じられないのは同然でしょう。

それでも、いまいちど言います。

自己啓発と小説の執筆は同じなのです。その本質が同じならば、小説の執筆に役立てればいい。

それを仮に「自己啓発執筆術」とでも名付けましょうか。

あなたが小説の森で迷わないように、すこしでも道標になればいいなと思い、拙いコラムですが4回にわたって連載していきます。

では次回から、その「自己啓発執筆術」を具体的に探っていきましょう。

またこのコラムを読んでくれると嬉しいです。

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