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私は記述されていない

 「人」は政治、経済、法律、道徳、宗教、学問、芸術etc・・・。によってその振る舞いが決まるものと思っていた。実際にそれはその通りなんだと思う。「人」はそういうものだと思う。

 私はそれをそのままそのようなものだろうと考えていたし、自らオリジナルを生み出している感覚も希薄であり、様々な尊敬している人の真似をしていいればいいのだと。「人」はそういうものだからと思い何の疑いもなかった。

 たしかに「人」というものはそういうものだろう、だけれど一般化された「人」を記述したものに私が100%はまるということはないのではないだろうか。偉大な哲学者や思想家の書籍に私の固有名詞は出てこない。もっと言えば、私の親の名前も、師の名前も、恋人の名前もその他もろもろ出てこないのである。

 

私の名前はどこを探しても出てこない。その出てこない私。記述されていない私。


それが私なのかもしれない。



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