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お寺にお参りしてきた その2

 前の文章の続きというか追記というか思ったことを書いてみる。

 お釈迦様の話で幸と苦という話も出てきた。で、お釈迦様は苦行されていた時代があったと。お釈迦様と自分を比べるというのも怒られることかなとは思うけど、お釈迦様も幸と苦の間をジェットコースターみたいに行ったり来たりしていたのではないだろうかと思った。

 たぶんジェットコースターのように幸と苦を反復するそれ自体を求めていたのではないだろうか。この幸と苦の反復は言い換えると、目の前にあることを拒絶していくような姿勢というか、自分がもらったものに唾を吐いていく姿勢のように感じる。現に私はそうだろう。

 この幸と苦の反復からは逃れることはできないのかもしれないけれど、なるべくなら振れ幅を小さくしたいと考えている。振れ幅が小さくなることが成熟なのかなというのは、なんとなくイメージが出来る。じゃあどうすればいいのかわからなかった。振れ幅が小さくなっている状態っていうのはどういう状態なのかも考えていなかったんだよね。

 お話の中にフランクルの『それでも人生にイエスと言う』が出てきた。この本を読みたいなとはあまり思わなかったのだけど、イエスねぇ・・・。と頭のなかに残っていたのか、全然違う方向に行ってしまう悪い癖が出たのか、映画『イエスマン』が気になって観てみた。

 自己啓発コメディっていうのかよくわからないけど、わりと面白かった。主人公は友達の誘いも上司からの話にもNOと言って、拒絶していくような生き方をしていたが、YESというようにして云々の映画だったのだけれど、正直いまの自分もこんな感じかもしれないなと思った。NOの方でね。

 よくよく考えてみると、そんなにつまらないことばかりの生活でもない気がするし、もう少し楽しめるような気がした。色んなことをもう少し大事にできるんじゃないかなとも思った。

 フランクルみたいに収容所での過酷な状況下でYESといえるなんてとてもじゃないけど無理。だけど普段の生活ぐらいならなんとかなるんじゃないかな。

目の前のことを大切にしていく。目の前のことを楽しんでいく。目の前のことから素直に受け取っていく。大切にするから大事になる。それが成熟というものなのかもしれないね。

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