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ラオスへの憧憬
知り合いが、バンコクでレストランを経営している。
そこで驚いたのは、従業員がみんなラオス人だったことだ。
ラオス人との接点は、まだその程度しかない。
ラオ族という三つの民族が一緒になって国を作り、ラオスということらしい。
前々から、ラオスには行きたいとおもっていて、特に最近は、夢にまで見るほどだ。まあ、そのうちふらっと行くであろう。
新井綾香著『ラオス 豊かさと「貧しさ」のあいだ』を読んだ。
農業・農村開発担当のNGO職員としてラオスに派遣されることになった著者は、まだ現地入りして間もないころに、「田植えのときに子どもが病気になると、薬を買うか米を買うかの選択に迫られる」という、ある母親の言葉を聞く。その言葉に突き動かされるようにして、ラオスの農村で、開発というやっかいなものと、日々格闘する。
彼女は、外からきた支援者なのだが、やはり現状を変えようとすると、どこかにしわ寄せが行き、その狭間で、あれこれ思い悩みながら活動していく。
そんな折に、ある村人のつぶやきが彼女の胸に突き刺さった。
「外から人が入ってくるようになって、自分たちは貧しいことを初めて知った。」
この言葉が、貧困とは何で、開発とは何なのか、現在でも彼女に問いかけ続ける。
資本主義経済の観点から眺めると、ラオスの農村は貧しいのかもしれないが、しかし、そこに住む村人の暮らしの本質は、その価値観のみではとても推し量ることはできないと、この本は訴えている。
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