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母と初めて『話した』話【10年ぶりに実家に帰って感じたこと】

第一子の出産のために、妻と一緒に僕の実家にお世話になっていました。

沖縄の離島に旅立って以来、久しぶりの母親との共同生活。

当時は人間ではなかったので、人間になってからは初めての母親との暮らしでした。

そして、今回の帰省で、僕は初めて母親と『話した』気持ちがしました。

今日は、そんな体験について書いていきたいと思います。

※記事中に『人間である』とか『人間じゃない』とかいう単語が出てきます。詳しく知りたくなった方は以下の記事を参照してください。

母と初めて『話した』話

今回の帰省での体験を説明するには、まだ人間ではなかった当時の自分の過ごし方を知ってもらう必要があります。
なので、昔話から始めてみます。

人間ではなかったときの家での過ごし方

僕は、家族に自分の悩みを話した記憶がありません。

物心ついたころからずっとそうでした。

「心配をかけたくない」という思いが強かったんですね。

なので、自分の悩みは自分の中に溜めこんで、時間共に忘れ去られるのを待つ、ということをずっと行っていました。

友人関係にはずっと悩んでいたし、自己嫌悪が強くてすごく苦しかった時期もあるし、、、本当はもっといろいろなことを打ち明けたかったのだと思います。

でも、そういった悩みを打ち明けることは出来ませんでした。

「そうやって自分の感情にフタをしていたら、『人間』じゃなくなっちゃうよ」

今だったらそんな風に注意できます。

でも、そんなことを露とも知らない岡本青年は、自分の感情を押し込め続けて、『人間じゃない人間』にすくすくと育っていきました。

感情のニーズを素直に伝えられた

今回の帰省で、人間になってから初めて、母親と数ヶ月暮らすことになりました。

いっしょに暮らすと、当然、些細な言動や振る舞いに「もやっ」とすることがあります。

これまでの自分だったら、その感情はやり過ごす、という選択を取っていました。

でも今回は、『自分が感じたことを率直に伝える』というアクションを取ることが出来ました。

「そういう言い方をされると、少し悲しい感じがするからこうしてくれない?」とか

「そんな風に言われると、『ダメな人』って思われているように感じちゃうんだけど、どう思ってそういう声掛けをするの?」とか

自分が不快に思ったことを伝えることができたんですね。

逆に、母が感じた不快も引き出して受け取ることができるようにもなりました。

初めて母とケンカをした

感情にフタをして過ごしていたから、ケンカをするなんて持っての外でした。

でも今回、なんと母とケンカをする機会に恵まれたんです!

きっかけは、赤ちゃんのお世話の仕方について。

3人の子どもを育てた自負が母にはあるので、「こうした方がいいんじゃない?」という意見を伝えてくることが多々あったんですね。

ただ、その意見が『自分の主観と30年前の経験』にしか基づいてないんです。

意見を言われ続けると「しっかりお世話をしてなくてだらしない」と責められているような気持ちになるし、子どもの発育に関わる大事なことなのにろくに調べもせずに印象だけで訴えてくるのが許せなかったんですね。

そんなわけで、ニーズを伝えるのがとても上手な妻も含めて、3人でケンカをしました(といっても声を荒げるほどではない)。

そのときに、どんな言動でどんな感情を抱くか、何が嫌か、なぜ嫌なのか、ということをお互いに深く共有することが出来ました。

ケンカをしたことも初めてだったし、お互いの感情を深く共有したことも初めてでした。

未だかつて、岡本家で生じたことのない『場』を体験できたんですね。

そのきっかけをくれた息子と妻に本当に感謝です。

『話す』とは、ニーズを伝え合うこと

これまでだって、会話が無いわけではありませんでした。

僕は口数は少ない方ですが、姉二人はいつもにぎやかでしたし。

でも、「自分が何を感じ、どう思っているか、そしてどうして欲しいのか」

ニーズを伝え合う機会は(少なくとも僕は)ほとんどなかったと思います。

ニーズを伝え合わない会話は、『話している』とは言えないものでした。

ニーズを伝え合わない会話には、相手との『感情の交換』が生じません。
『感情の交換』がない会話には、『相手の存在に触れる感覚』がありません。
それはけっこう寂しいものなんです。

論理的ではないですが、感覚的に何となくそんな感じなんです。

負の感情を共有できないと愛されていると実感できない

成人してからは、母のありがたみを感じ、感謝を伝える機会も増えました。

それでも、僕は母と『話せていなかったこと』に今回の体験で気付かされました。

肯定的な感情だけでなく、いらいらや不満など、否定的な感情を交換できないと、相手の存在には触れられないんだと思います。

肯定・否定という基準は、人間が勝手にラベリングしただけで、どっちも自分なんですね。

肯定的な感情だけしか認めないことは、その人の半分しか認めないことと同じです。

なので、否定的な感情の発露を認めてもらえないと「自分の存在全体が認められていない、愛されていない」と、心の奥底で感じてしまうわけなんですね。

最近たまたま目にした宇多田ヒカルのインタビュー記事にも同じようなことが書いてありましたので最後に紹介します。

親や周りにいる人が子どもにしてあげられる一番大事なことって、ある程度の大人になるまでは根拠がなくていいから、安心感とか自己肯定感を持たせることだと思うんです。自己肯定感は、なんでも「いいよいいよ、最高」って言うことじゃなくて、子どもが何かの理由で悲しいと思っていたら、大人からしたらたいした理由じゃなくても、「悲しいよね」ってその都度認めてあげること。そういうところから自己肯定感って芽生えてくると思うんですね。自分がこの気持ちであることはオッケーなんだって。その感情を他の人に認めてほしいとき、誰もいなかったりすると、そう感じている自分がおかしいんだ、悲しいって思っている私がいけないんだ、私が感じなければいいんだっていうほうにいっちゃうと思うんですよ。

「自分を愛するってどうしたらいいの?」──宇多田ヒカルの思考を辿るインタビュー、全文公開

まとめ

人間になってから母親を観察してみると非常に分かりやすいのですが、母は母で人に感情を伝えることが苦手なようです。

肯定的な感情は伝えられるのですが、否定的な感情(怒りや苛立ち)を伝えることには恐怖心を持っていて、だからこそ、人に否定的な感情を発露されることも苦手みたいです。

人間ではない僕が有していた「感情を共有すること」への恐怖感はこの家から受け取ったものだったのだな~と腑に落ちました。

今回の帰省をきっかけに、岡本家では未だかつて体験しえなかった時間を過ごすことが出来ました。

今回の出来事をきっかけに、何がどうなるかは分かりませんが、引き続き自分の中に生じる揺らぎと向き合いつつやっていきたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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