人類補完計画を拒絶した碇シンジは人間になれたのか?
2021年が何の年だったか、皆さんは分かりますか?
・・・
そう、エヴァンゲリオン新劇場版がついに完結したんです。
僕は高校生の時に、初めてこの作品に出合いました。
物語の複雑性や、謎めいていて魅力的な美少女、かっこいいロボット(正確には汎用人型決戦兵器で人間に近いもの)の戦闘シーン
そういったものに惹かれてこの作品を見てきた人もいると思います。
でも、僕にとってこの作品は、自己嫌悪に悩んでいた自分自身を映し出す鏡であり、そんな自分に生き方の指針をもたらしてくれたものでした。
そんな風に人生の半分を連れ添ってきた作品が終わるというのは、本当に感慨深いもので、
「一つの時代が終わった」
冗談抜きでそんな感覚になりました。
おりしも2021年は、僕自身も『人間になる』ことができてきた年。
碇シンジそのものだった自分のマインドから、ようやく抜け出すことができた年でもありました。
エヴァという時代が、世間的にも、僕の中でも、ようやく終結した今、改めて、『人間』という観点で、碇シンジの変化に迫っていきたいと思います。
人類補完計画を拒絶した碇シンジは、果たして『人間』になれたのでしょうか?
※『人間じゃない』or『人間』という文脈でずっとnoteを書いていますが、まだなじみがない方は、以下の記事を参照ください。
物語の超大雑把なあらすじ
使徒がどうとか、アダムがどうとか、リリスがどうとか、その辺の細かい話は忘れてしまったので、すごくおおざっぱに書くことをお許しください(笑)
エヴァを理解する上で重要なことは、『人類補完計画』です。
人類補完計画とは?
人類補完計画とは、『できそこないの群体としてすでに行き詰まった人類を完全なる単体へと人口進化させる計画』のことです。
人と人が分かれて存在してしまっていることによって、戦争とか差別とか、そんなことが起こってしまいます。
そんなことが起こるくらいなら、人と人との区別をなくして全員合体させてしまえ!そうすれば、誰も人を傷つけない、誰も戦争を起こさない、そんなユートピアが訪れる、というものです。
思想は、ナルトの無限月読と一緒ですね。いやっ、、、こっちが後発か。。。
そして、この人類補完計画を秘密裏に起こそうとしていたのが、『ネルフ』という組織になります。
秘密裏ってどのくらい秘密裏かというと、トップの碇ゲンドウとNo.2の冬月コウゾウしかその狙いを知りませんwww
他のネルフ職員やエヴァのパイロットは、そんなことは露知らず、ただ襲い掛かってくる使徒を倒すために頑張っていると信じて戦います。
人類補完計画完遂の是非が碇シンジにゆだねられる
残念ながら人類補完計画は起こってしまいます(サードインパクトって呼ばれるやつと同じです)。
そしてあろうことか、この人類補完計画を完成させるかどうかのジャッジが、碇シンジの手にゆだねられます。
つまり、
①人類補完計画が未完に終わり、人と人が分かれて存在する元の世界に戻る
②人類補完計画を完遂させ、人と人が融合した世界を生きる
この2者択一の決定者となってしまうんですね。
他者が存在する世界を選んだ碇シンジ
幼いころに母親を亡くし(正確には死んでいない)、父親の碇ゲンドウに捨てられ、愛情のかけらもない叔父、叔母の家で育った碇シンジは、自分に自信がなく、自分が嫌い。
自分が嫌いだから、他人も信頼できず、いつまでたっても他人が怖い。
そんなマインドを持っています。
さらに、自分の手で友人を握りつぶさせられたり、恋心を抱いた少女が目の前で死んだり、、、絶望的な経験を通じて、自我も崩壊してました。
そんな状態のシンジに、先ほどの二択が突きつけられるわけですね。
①人類補完計画が未完に終わり、人と人が分かれて存在する元の世界に戻る
②人類補完計画を完遂させ、人と人が融合した世界を生きる
・・・
そしてシンジは、①を選びます。
相変わらず自分に自信はないし、他人は怖いけど、それでも、他人が存在する世界を望ぶんですね(もうこのくだりが本当に感動で何度泣いたか分かんないんですけど)。
そして、人類補完計画は失敗に終わりました。
というのが、エヴァのざっくりとしたあらすじです。
一言で言うとこうです。
自分に自信がなくて他者から傷つけられることを恐れていた碇シンジが、人類補完計画を拒絶し、他者が存在する世界を選択した。
つまり、エヴァンゲリオンという作品は、碇シンジという少年の心の恐怖とその(本当にわずかな)成長を描いた作品なんですね。
ちなみに、この文脈で言う旧劇場版と新劇場版の違いは、
旧劇場版:人類補完計画が発動し、人類が一体となった後に、なんとか「他者がいる世界」をシンジが選んだ
新劇場版:人類補完計画が発動する前に、シンジは成長し、「他者がいる世界」を望むようになった。そして、人類補完計画は発動したが、シンジがその進行を止めた。
シンジが成長するタイミングの違いだけです(ちなみに僕は旧劇場版が圧倒的に好きです)。
碇シンジは人間になれたのか?
大雑把とはいえ長かった前置きが終わったので、ここからは本題に入っていきます。
他者がいる世界を望み、人類補完計画を拒絶した碇シンジは『人間』になれたでしょうか?
結論から言うと、まだ『人間』にはなれてないと思っています。
人間になるための必須条件は、感情の共有と愛
ここから先は全力で僕の経験論です。
サンプル数が1です。
それっぽく書いてますが、どこかで論理破綻してるかもしれません。
このことはご承知おきください。
人間になるために必要なことは、自分自身の感情をしっかりと共有する体験をすることです。
なぜなら、人間でない存在の根本にあるのは、『存在意義の欠如』であり、それは感情の共有を行うことを通じて、埋められるものだからです。
人間でない人にも、もちろん親しい人はいます。
でも、何かの拍子に1人になってしまうんじゃないか?
そんな寂しさを常に抱えているんですね。
これを解消するには、『どんな自分でも愛されている』という比較不可能であり、根拠がないゆえに論破不能な論理で自分を包んであげるしかないんですね。
そして、この感覚を得るために必要不可欠なことが、感情の共有です。
なぜなら、感情は、一番生々しく、自分のありのままを反映したものだからです。
特に重要なことは、快も不快も含めて両方を出すこと。
不快な感情を悪とラベリングしてしまうと、不快な感情を出している方の自分を認められません。
善と悪を共に有するのが、人間であり、ありのままの自分なのに、それを否定することになってしまうからです。
このような生々しい感情の共有を通じて、人はありのままの自分でも、どういうわけか受け入れられる、ということを学んでいきます。
たぶん、これが愛ってやつで、この過程を経ると人間でない人も、人間っぽくなっていくんですね。
シンジ君は感情の共有を体験していない
人間になるための必須条件は、快も不快も含めた感情の共有なのですが、残念ながら、シンジ君はまだそれを経験していません。
他者が存在することを認められた
彼の不遇を思うとそんな変化だけでも大したものだと思いますが、人間になるには、多分もうちょっと修練が必要かな、というのが僕の見立てです。
大人になったシンジは人間になっていたのか?
ただ、新劇場版の最後に、大人になったシンジが、マリと手をつないで駅の階段を駆け抜けていくシーンがありました。
人類補完計画を拒絶した後の世界で、どのようにシンジが生きてきたのか、そこまではさすがに描かれていませんが、マリや他の登場人物に揉まれながら、きっと感情を共有する経験を積んでいったんだと思います。
そうだったらいいな。
さようなら、エヴァンゲリオン
人生にはいろんな分岐点があって、
「あの時この道を選んでいたら、もしかしたらこうなっていたかも」
という想像ができたりします。
でも、エヴァンゲリオンに出会っていなかったらどうなっていたか、
僕はその先の分岐を想像することができません。
そのくらい強烈に、自分を救ってくれたのがこの作品でした。
人間でない存在から、人間に近づいてきた今、僕はようやく、この作品がなくても生きていけると思います。
ありがとう、そして、さようなら。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
人間修行は続く。
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