手作りと自動化の話
おはようございます。kouheiです。
今日は妻が手作りでランチョンマットを作成していて思ったことを書いていきます。タイトルの画像がそうです。すごい上手ですね。惚気でした。
妻が手作りのランチョンマット作っていた
職場の同僚より使わないからと綺麗ながらの布を頂いたらしく、妻がその布を利用してランチョンマットを作ると言い、子どもたちを寝かしつけしたあとにせっせと作っていた。
創作時間的には2時間位かな?
スゴくきれいなランチョンマットを作っていた。その布をくれた同僚に見せてあげるんだと妻は上機嫌に話していた。
おそらくランチョンマットを見せてもらった同僚は喜ぶだろうと思った。
なぜ喜ぶのだろうか?
時間を割いてくれたというのが嬉しい
なぜ渡した布をランチョンマットにしてくれた同僚は嬉しいのか考えてみたけど、おそらく「時間を割いてくれた」という行為が嬉しいのだと思う。
時間というのは有限で誰にでも平等に配られている。そんな中でも自分のことに時間を割いてくれるという行為そのものに嬉しさを感じる。
手作りというのには費やした時間が上乗せされる
手作りの物にはそれを作成するのに費やした時間が上乗せされるからこそ、オンリーワンな価値を生み出している。
ちょっと話飛ぶかもだけど、これが自動化で全部ボタンのワンクリックで住んでしまったとしたらどうなのだろうと考えた。
AIやIoTの発展によって、家庭用の器具でも全自動でランチョンマットのような物を作り出す商品が出てきてもおかしくないなと思う今日このごろ。
仮にそういった機器があったとして、家庭内でその機器を使用したランチョンマットは、果たして手作りと言えるのか。
相手も全自動で作られたというのを知っていたとしたら、手作りのときほど喜ぶだろうか。
おそらく手作りほどは喜ばないだろうなというのが私の答えで、何でもかんでも自動化するのは良くないな〜と思う駆け出しエンジニアでした。
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