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「デート援交」をめぐる困難 ①

1.「デート援交」に対する危機感

 「デート援交」という言葉は、援助交際の中でも「デート(買い物、食事、カラオケなど)だけを行為内容としたもの」です。性行為あるいは類似行為を伴わないという点で、現在のところ法的規制の対象外となっています。例えば、産経新聞が2018年に「「デート援交」拡大の恐れ 大阪府警が重点補導対象に」(2018年4月1日)という記事が掲載されました。SNSが出会いの場として挙げられていて、バイト感覚で気軽に稼げるので真的ハードルが低い、また児童買春へ発展する恐れがあることなどから重点的な補導対象として、対策強化を始めたと報じられています。これは、「デート援交」が以後の深刻な児童売買春を誘引するものとして「問題化」されているといえます。


2.筆者の経験した「援助交際体験者調査」から

 私が援助交際体験者にインタビュー調査を実施していた時期(2000年代初頭)にも、インタビュー協力者に数名の「デート援交のみ」の少女たちがいました(※1)。1回5000円から1万円程度で約2時間の「デート」がほとんどでしたが、デート援交の少女たちは、性行為・類似行為を含む援助交際をしている少女たちとは、また違った雰囲気を感じていました。

 個人的な印象としては、デート援交の少女たちはコミュニケーション能力が極めて高く、相手のニーズを見極め、適切な話題を振る、場を盛り上げるなどのスキルに長けているということです。インタビューに協力してくれた中学生(当時)のAさんは、男性の様子や話から自分に何が求められているのかを察知し、根気強く男性の愚痴を聞いたり、時には時間をかけて励ますこともあったと言います。また、高校生のBさんは、相手の男性が求めるものが、母親的な役割なのか、恋人的な役割なのか、妹的な役割なのかを考えながら、事前のメールで十分なコミュニケーションを行い、男性と会うようにしていると話してくれました。

 彼女たちの話を聞いていると「デートだけだと土壇場で値切られることもある」という危機感が、男性への細やかな気遣いにつながっているように感じます。一般的に、私たちが援助交際という言葉から連想するのは「性行為(類似行為を含む)をともなうもの」です。それは男性側も同じで、「デートだけ」に男性にとっての理由があったとしても「性行為を伴わないのだから」という理由で、「値切っても良い」「安値をつけても良い」と感じる人もいるようです。

 その点でいえば、「援助交際」業界(という言い方が良いのかどうかですが)のなかで、「デート援交」を行う少女は搾取の対象となりやすいということです。前掲の産経新聞の記事では、少女たちがバイト感覚で手軽に参入しやすいことが指摘されていましたが、本当の意味で「手軽」と言えるかどうかは微妙です。私が出会った「デート援交」の少女のように、性行為を伴わないことで男性側から搾取される/暴力的に扱われるリスクがある上、目に見えない「楽しみ」を売買の対象としている以上、そこにある程度の感情労働が求められます。

 この「売買の対象が見えにくい」という点が、性行為をともなう援助交際との大きな違いです。性行為そのものや類似行為、下着等など「目に見えるもの」を売買の対象としていれば、その質や内容をお互いに確認することは(ある程度)可能でしょう。ところが「デート」という概念は個人によって様々で、誰もが一致するデート観があるわけではありません。少女がどんなに一生懸命「デート時間」を演出しても、それに男性側が「満足できない」と考えれば「金額に値しない」と値切られてしまう場合もあるわけです。私が出会ったAさんもBさんも、かなりの回数を経験していたので「プロ」と呼んで良いレベルだったのではないかと思いますが、男性から値切られたり、サービス不足だと怒鳴られたり、性行為を強要されそうになったりと、様々な「被害」を経験していました。(それでも続けた理由があるわけですが、それはまた別の回に書きたいと思います)


3.法的に規制されていないからこその「危なさ」

 彼女たちのような「デート援交」は、法的な規制の対象外です。援助交際を規制するものとしては、児童買春禁止法(児童買春,児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)や売春防止法などが挙げられます。前者は買う側と、後者は売る側を規制するわけですが、そこでは「性行為」や「類似行為」(児童ポルノ)が射程とされていて、「デート」は対象外となっています。現状は、行う側を補導・指導していく以外にありません。こうした関係性に踏み込む法的規制は、規制を強化することで思わぬ「日常的行為」を侵害してしまう恐れがあるという点でも、むやみに規制強化ができないところがあります。

 法的規制の埒外ということは、現状で、搾取される可能性のある少女たちを守るものは何一つありません。ここでの「守る」は、危ない行為であるということを認識させる機会(売る側や買う側への処罰という方法での)を得るということで、現状ではその機会が極めて乏しいと言わざるを得ません。彼女たちの感情労働に値段をつけて支払うという一連の行為を通して、大人の側が「デート援交」を「バイト感覚」にしてしまっているにも関わらず・・・です。

 この問題をどのように考えたら良いのか、何を問題化していければ良いのか。「デート援交」をキーワードとして、連載していきたいと思います。


※1  仲野由佳理、2015、「女子中学生の逸脱行動~何が彼女たちを<援交>に誘ったのか」『受難の子ども いじめ・体罰・虐待』一藝社

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