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「援助交際」は糾弾されるべき? 〜援助交際調査の舞台裏〜

2000年代初めの援助交際調査

 2005年から2012年までに実施した「援助交際体験者インタビュー調査」(以下、援助交際調査と略)のことを連載で書いていきます。全国様々な地域の体験者10名に出会い、単発/継続的なインタビューに協力してもらいました。7年近くに及んだ調査で10名は少ない?と思う人もいるかもしれません。ですが、これが結構大変な調査だったことは言うまでもありません。東北、関東、関西へとバラバラに居住する体験者たちに、継続的にお話を聞かせてもらうために毎週末ごとに新幹線に飛び乗っていた時期もありました。もっとも多くお話を聞かせてくれた体験者のインタビューは40回以上にも及びました。

 当時はSNSがこれほど発達しておらず、出会い系サイトに書き込まれた内容に調査依頼のメールを送るという作業をしていました。突然送られてきた依頼メールに、体験者たちもさぞかしびっくりしたことでしょう。メールを何往復かして「協力します」とインタビューに応じてくれた体験者たちには、今でも感謝をしています。そして、彼女たちが語ってくれた「セルフライフヒストリー」は、どれも貴重なもので、大人たちの作り上げた支配的な社会の中で「女性」であり「子ども」である彼女たちが、どのような生きづらさを抱えているのかを教えてくれました。

 とはいえ「援助交際」は法的に規制される行為ですから、援助交際体験者に対して厳しい意見を持つ人もいるでしょう。良識のある大人ならば、「どのような事情があっても絶対に法は犯してはならない」というのが正しいのかもしれません。ですが、彼女たちの話を聞き、彼女たちが成長していく過程を見ていると「援助交際」という問題には、「カルネアデスの板」のお話のように割り切れないものを感じるわけです。

 この「カルネアデスの板」は、緊急避難(刑法第37条)の例示としてよく知られたお話です。古代ギリシアの哲学者カルネアデスによる難問と言われているようです。お話自体はシンプルです。一隻の船が難破して、乗員全員が海に投げ出されてしまった時。一人が命からがら、壊れた船の板切れにすがりつきました。そこに、別の人が同じように板につかまろうと泳いできます。でも、二人でつかまれば板が沈んでしまうかもしれない。さて、どうすればいいのか。

 カルネアデスのお話では、最初に板につかまっていた人が寄ってきた人を突き飛ばして、水死させてしまいます。救助された後に殺人罪が問われますが、最終的には罪に問われなかったというものです。ですが、当該行為が緊急避難として認められるか、認められないか、倫理的にも難しい判断を迫られます。援助交際体験者たちの語りにも、貧困や暴力など構造的な問題が絡んでいるケースがあり、同じ状況に置かれた時に、生存が脅かされていたとしても絶対に「非合法だから」という理由で「しない」決断をし続けられるのか、というテーマが見え隠れします。

 2007年に寄稿した論考(仲野由佳理、2007、「第8章 援助交際―「援助交際」体験者のナラティヴ」、本田由紀編『若者の労働と生活世界 彼らはどんな現実を生きているか』大月書店)では、この問題が対岸の火事ではないことを指摘しましたが、実際に彼女たちが直面したような「危機的な場面」にでも立たなければ、是非を論じることは難しいものです。

 こうした「困難」は、書き手である筆者にも当然影響を及ぼしています。「援助交際」について書くならば、筆者の立場性を明確にしておく必要があるでしょう。今回は「援助交際調査」で疑問に感じたことを取り上げて、筆者の「援助交際」現象に対するスタンスを説明したいと思います。


「援助交際」の何が問題か(1) 商品化したのは誰だ?

 「金品を得ることを目的として性行為あるいは(デートを含む)類似行為を行う」ことは、「援助交際」「神待ち」「パパ活」など様々な言葉でキーワード化されてきました。筆者が「援助交際調査」を実施した2000年代初めは「援助交際」をいう言葉を使用するのが一般的でしたが、「援助交際」という用語自体は1990年代に社会問題化された経緯があります。援助交際の形態は様々で、一緒にカラオケに行ったり食事をするなどの「デート系」、下着などの身につけているものを売買するなどの「販売系」、性行為あるいは類似行為を行う「売春系」などがありました。

 この一つ一つは、彼女たち自身が商品化したというよりは、大人たちが「商品化したものを踏襲」したものです。デート系は、いわゆる「デートクラブ」をもとにしたものと考えられます。デートクラブは、いわゆる男女のデートをセッティングして対価として「セッティング料」(仲介料)を得るもので、1990年代には10代の女子高生の間で「手軽に高額を得られるバイト」として広がっていきました(※東京都では「東京都デートクラブ営業等の規制に関する条例」で規制されています)。

 当時、女子高生のデートクラブは、多くがマンションの一室などでひっそりと営業されていました。男性客は、マジックミラーの向こうでテレビを見ていたり、雑誌を読んだり、お菓子を食べている女の子の中から、好みの女の子を店外デートに誘うという仕組みです。お店の多くが売春を禁じていますが、店外に出てしまえば、そこでどんなデートが行われるかはお店が感知することはできません。これが援助交際の温床となっていることが指摘され、問題化したというわけです。

 また、下着類の販売に関しても同様です。同じく1990年代に「ブルセラ」ショップが社会現象化します。「ブルセラ」は、学校の体育の授業で採用された「ブルマ」と制服・標準服として採用された「セーラー服」を合わせた造語です。その名の通り、学校で使用された制服関係のリサイクルショップという位置付けですが、「女子高生の使用済」が付加価値として、水着や下着、90年代の女子高生ブームを象徴する「ルーズソックス」などの販売も行われていました。とはいえ、一般的なリサイクルショップとは異なり、使用済みの衣服を性的欲求を満たすために販売・購入するという構図が問題視されました。ところが、当時は未成年者の下着等の売買を直接的に規制する法令はありませんでした。最終的に、2004年に東京都が「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の中にブルセラ規制の文言を盛り込むことで、一部規制に乗り出しました。

 売買春についてはいうまでもないことですが、デート系も販売系も結局のところ「大人がやっていることを子どもが真似をしてみた」という状況にあると言わざるを得ません。自分達に値段をつけ、売買の対象としたのはあくまでも「大人の側」。それに乗っかって商品を提供しているだけなのに、なぜ「(商品化した)大人の側」に規制されなければいけないのか?この論理に対して、彼女達が納得できる回答を用意するのは容易ではありません。

 筆者も調査の一環として、ブルセラショップへの立ち入り、デートクラブ経営者にお話を聞いたことがあります。ブルセラショップへの立ち入りは、様々な意味で衝撃的でした。「こんなものに、こんな値段がつくのか・・・」と「未成年」という付加価値に戦慄したのをよく覚えています。

 また、デートクラブ経営者のお話も興味深いものでした。クラブの様子を見せてもらうために、女の子達が過ごしているマンションの一室に入室すると、くつろいだ様子で過ごしている4〜5人ほどの少女達に出会いました。経営者は笑顔で「差し入れ持ってきたよ」とケーキの入った箱をテーブルに置くと、経営者にお礼をいう少女、チラッと見るだけでケーキに夢中の少女、「別のお店のケーキが良かったのに!」を文句をいう少女・・・様々な反応が返ってきていました。しばらく眺めていると、場の主導権が少女達にあるようだということがわかってきました。その後、クラブを出て別の事務所でお話を始めた経営者は、親しげに話していた彼女達を「商品」という言葉で表現していました。彼女達には様々な背景があり、ある程度のケアが必要だけれども、それは「商品管理の一環」であって、個人的な支援ではないというわけです。

 大人の思惑と少女達の思惑が一致する地点に「未成年者の売買春」が存在し、それが個人営業化されたものが「援助交際」というわけです。それは、大人の作り上げた仕組みの上に成り立っているということを認識しておかなければなりません。

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「援助交際」の何が問題か(2) 「援助交際」を選択させているのは誰?

 デートクラブ経営者が「様々な背景がある」と語ってくれたように、援助交際体験者達もそれぞれが「援助交際を継続しなければならない様々な事情」を抱えています。1990年代の「援助交際」イメージといえば、ブランド物の大人買い・・・ですが、私が行った援助交際調査では、そんな大盤振る舞いをする少女には出会ったことはありません。むしろ見えてきたのは「女性」「子ども」として搾取されてきた生き方です。いじめや貧困、性被害・・・。彼女達の置かれた環境は、程度の差はあれ、なかなかに厳しいものでした。深刻なレベルに達していなくても、彼女達に「親」に気を使い、迷惑をかけないような生き方を模索する中で、「自分で稼ぐ」(=援助交際)を継続している少女もいました。

 象徴的な例として、ヒロミさん(仮名)の事例を紹介したいと思います(事例は、個人情報保護への配慮として、内容を損なわない程度で一部を加工しています)。インタビュー当時、ヒロミさんは18歳でした。高校1年生で高校を中退して、昼間は接客業、夜は援助交際をして生活をしていました。彼女の援助交際は中学生から始まります。ヒロミさんの親は、彼女が中学生の頃に離婚したそうです。ヒロミさんは父親と生活を始めますが、この時期、ヒロミさんの父親は職を失い無職になってしまったそうです。しばらくは貯金を切り崩しながら生活を続けたようですが、生活の質はどんどん悪くなっていったそうです。

 離婚のショックだったのでしょうか。ヒロミさんの父親は再就職を目指すことなく、お酒を飲んで1日を過ごすようになりました。ヒロミさんは学校の給食で空腹を紛らわせながら生活を続けていました。そして、受験の時期を迎える頃になると、ヒロミさんの父親は「中学校を卒業したら働け」とヒロミさんに迫ったそうです。高校進学を希望していたヒロミさんは、なんとか父親を説得しようとしますが、父親は「そんなに高校行きたいなら、自分でなんとかしろ」と言い放ったそうです。ヒロミさんは悩みに悩み、最後に選んだのが「援助交際」だったそうです。受験勉強の傍ら、援助交際で高校進学に必要な費用(入学金、当面の授業料)を稼いで受験。合格した時は本当に嬉しかったそうです。

 でも、ヒロミさんの高校生活はあっという間に破綻を迎えます。ヒロミさんが援助交際で稼いできたお金を、父親が使い込むようになったのです。稼いだお金はあっという間に底をつき、再び学費と食費の捻出に頭を悩ませる日々がやってきました。援助交際をどんなに重ねても、とても賄うことはできません。結局のところ、わずか1年ほどで高校を中退したのだそうです。「援助交際までして入った学校だったのに。結局、途中で諦めちゃったんだよ」。このお話をしてくれた時のヒロミさんは、最後に寂しそうな顔で力なく笑ったのです。

 とはいえ、学校を中退したヒロミさんの生活が好転したわけではありません。「学校を辞めたのだから、どんどん働け」と父親はますますヒロミさんに依存するようになります。昼間の仕事だけでは賄えず、結局、援助交際を継続することになります。「年齢的には児童相談所に相談してもよかったと思うんだけど」と問いかけた筆者に、ヒロミさんは「実は、一時保護所みたいなところに連れて行かれたことがある」と話してくれました。ですが、一時保護所には同じように苦しい状況をサバイバルしてきた子ども達が集まっており、不信感を募らせた他者との生活は、ヒロミさんにとって厳しいものだったそうです。この施設生活の多くを、表情を曇らせたヒロミさんは語ろうとしませんでしたが、「辛すぎて、結局、逃げ出して。お父さんのところにしか帰る場所がなかった」とだけ教えてくれました。

 ヒロミさんにとって、援助交際は「生存をつなぐための手段」の一つでした。筆者が「今までの援助交際で対価としてもらって、一番高価だったものは?」と尋ねた時のことです。この質問は、出会った援助交際体験者には必ずしているものでした。地域ごとに異なる援助交際の「相場」と「価値」を理解するためのものでしたが、ヒロミさんは「一番高価・・・というか、わたし的に価値があって嬉しかったもの。それは、お米です」と答えたのです。この時のヒロミさんは、インタビューの時間で最もキラキラと嬉しそうな表情をしていました。ヒロミさんによれば、ヒロミさんの「援助交際での男性客」の一部には、ヒロミさんの窮状を知る人たちがいるのだそうです。それは、ヒロミさんの健康状態は父親に多くお金を取られてしまえば途端に悪化し、ある程度で済めば少し回復し・・・ということを繰り返していたからで、長く付き合いのある男性客の中には、痩せていくヒロミさんを心配して頻繁に食事に誘ってくれる人もいるのだそうです。そうした男性客の一人から「抽選で当たったものだからあげるよ」とお米をプレゼントされたのだそうです(援助交際の対価として渡された)。

 ヒロミさんは身振り手振りを交えながら、「お米ですよ!すごく重たかったんです。でも、この重さで『ああ、これでしばらくお腹を空かせずに生きていける』って実感があって。感動して涙が出ちゃいましたよ!」と興奮気味に語ってくれました。ヒロミさんにとって、援助交際の継続は生活を成り立たせるひとつの経済的基盤となっていました。未成年のヒロミさんに父親を拒否するいう選択肢はありません。また、過去の福祉支援からの逃避経験が、専門家を頼ることに対する心的ハードルになっていました。ヒロミさんは、成人したら父親の元を離れて生活をしたいと考えていました。そのための数年をなんとかやり過ごし、自立のための資金をも確保しようとしていたのです。

 次にヒロミさんに会った時、ヒロミさんは疲労感いっぱいの顔をしていました。喫茶店に誘ってお茶を飲みながら話を聞くと、18歳になったので夜の接客業を始めたのだそうです。ヒロミさんは「できれば援助交際からは抜け出したい」と考えていました。前掲のような、ヒロミさんを文字通り支援してくれる男性客もいましたが、一方で暴力的な男性客が皆無だったわけではないからです。少なくとも「労働」と認められた範囲で、店側に権利を守られながら自立の資金を整えたいと考えたようです。とはいえ、18歳のヒロミさんにとって夜の接客業も簡単な仕事ではありません。昼間の接客とは異なるスキルを磨き、会話を盛り上げるためには知的な話題に対する理解も必要です。高校を早期に中退したヒロミさんは「会話を盛り上げる」ための前提となる知識の不足を痛感しているようでした。「早く大人になって、普通に稼ぎたい」。インタビューの中で、ヒロミさんが繰り返していた言葉です。

 こうした「援助交際」の背景に、貧困や家庭の問題が絡んでいる場合、テキスト通りに「援助交際はよくない!やめるべきだ!」と説得しても意味がありません。援助交際を始めなければならなかった中学生のヒロミさんには、合法的にお金を稼ぐ手段はありませんし、だからといって父親の言いなりになって中学校卒業で働き始めても「女の子」にどんな仕事が見つかるでしょうか。父親や周囲の大人たちが動き出さずに、ヒロミさん自身が「ヒロミさんの家の問題」を解決することは不可能です。さらに、ヒロミさんは高校生の立場で「生活費(2人分)・学費・諸経費」を一人で稼がなければならない状況に追い込まれていて、その二人分の生活費が「アルバイト」の労働報酬で賄うのが難しかったことも容易に想像できます。こうした状況に対する打開策を講じずに、「援助交際を辞めさせる」ことに躍起になっていたとしたら、彼女の生存は危うかったでしょう。特に、ヒロミさんのケースでは、ヒロミさんが「主たる稼ぎ手」であったために、父親からは決定的な暴力を受けずに「同居」できていた可能性もあります。

 ほぼ唯一といっていい「援助交際」というライフラインを断つならば、その前に、「援助交際」が必要なくなるという状況を作り出す必要があります。実際のところ、出会った10人の「援助交際体験者」の多くは、インタビュー期間の間に「援助交際を卒業」/「卒業予定」でした。その中の一人、当時高校3年生だったマキさん(仮名)は、予備校代を捻出するために援助交際をしていましたが、希望する大学に合格したら「援助交際を卒業」する予定だと話してくれました。マキさんの高校はアルバイトが禁止されており、公的には収入を得る方法は実質的にありませんでした(近隣の店舗を教師が定期的に巡回しているので「隠れてバイト」も難しかったそうです)。マキさんの家庭も決して裕福ではなく、予備校代を捻出することは楽ではありませんでした。どうしても希望の大学に合格したかったマキさんは、援助交際で資金を稼ぎ、受講する科目数を大幅に増やしたそうです。受験が近づき、模試の結果が満足のいくレベルに達したそうで「そろそろ辞めるよ」と話してくれました。マキさんは、ある事情で「援助交際」に強い否定感情を持っていました。そのため、予備校代のためとはいえ苦しみながら援助交際を続けていたのですが、大学生であれば単価の高いアルバイトを探すこともできると嬉しそうでした。

 同様に、進学によって環境が変わる、希望するレベルのアルバイトができるようになることで「援助交際」を卒業していく体験者たちが何人かいました。それは「援助交際は良くない、やめなさい」と、彼女たち自身を否定して行為から遠ざけるよりも自然な「やめ方」のように見えました。そして、私が出会った10人の「援助交際体験者」のうち、援助交際自体を(ある程度)楽しみながら続けていたのは2〜3人ほどで、多くは「やりたくないけど、お金のため」といって傷つき、苦しみながら「辞められる時」を心待ちにして日々を過ごしていました。

 私たちは「援助交際」という現象が、どのような文脈のなかで起きているのかをマクロな視点から理解する必要があります。「援助交際」だけを意識して取り締まりを強化しても、第一次的・第二次的な問題が解消されなければ、「援助交際ではない別の非合法的に稼ぐ手段」が選ばれるだけだからです。「ダメ、絶対!」だけでは、彼女たちの日常を本当の意味で救うことには繋がりません。

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筆者のスタンス 〜「援助交際」をしなくても生きていける社会へ〜

 もちろん、すべての「援助交際」の背景に「社会的困難」があるわけではなく、なかには「援助交際」という虚像の中で繰り広げられる人間模様に楽しみや癒しを見出しているケースもあります。とはいえ、私たちが第一に取り掛かるべきなのは「したくないのに、しないと生きていけない子どもたち」が、援助交際に参入しないで済む状況(社会)を作ることです。当事者たちを一方的に責めても問題は解決しないばかりか、場合によっては、彼女たちの唯一のライフラインを断ち、生存を脅かすことにつながる恐れがあります。

 同時に、日本の長い歴史の中で「子どもを性的な商品として扱う」文化が、脈々と続いてきたという「事実」を、客観的かつ冷静に分析することも必要でしょう。子どもたち自身がなぜ商品化されてしまうのか。この手の議論は、しばしは「卵が先か、鶏が先か」に陥りがちです。買う側がいるから売る側が減らないのか、売る側がいるから買う側が減らないのか。有責性の押し付け合いは、根本的な解決には繋がりません。彼女たちが「援助交際をやめられない」のと同時に、男性客のほうにも「買うのをやめられない」背景や事情があるかもしれません。その背景や事情が、より合法的な手段での解消では代替できないのだとしたら、そこにどのような手当てを講じる必要があるのか。こちらも客観的に分析する必要があるはずです。

 さて、この連載で「援助交際」について書いていくにあたって、筆者は「是非論では論じない」というスタンスです。援助交際体験者の語りから、彼女らの行為を責めたり、問題視するといった書き方はしません。その背景にある社会的問題や、その現象をどのような視点で読み解く必要があるのか、といった観点から書いていきたいと思います。

 多くの女性にとって「援助交際」は「一過性」のものである場合がほとんどだと思います(詳しくは、仲野由佳理、2015、「女子中学生の逸脱行動~何が彼女たちを<援交>に誘ったのか」、宮寺晃夫編『受難の子ども いじめ・体罰・虐待』一藝社)。「援助交際」という言葉が想定する年齢層は限られていて、彼女たちは「女子中学生・女子高校生」カテゴリーの付加価値を使えなくなる日をいつかは迎えなければならないからです。その時、別のキャリアへと移行していくのか、あるいは夜の街でキャリアを積んでいくのか、そこからは「彼女たちの選択」となるでしょう(もちろん格差構造の中で「選択させられる」というリスクは否定できませんが)。もちろん、個人営業である「援助交際」には、彼女たち自身の権利が侵害される恐れは常に付きまといます。暴力の対象となってしまったり、搾取の対象となってしまったり。その「危険性」は客観的な情報として伝えていかなければなりませんし、個人・管理営業に関わらず「身体・精神に対する暴力」は認められるべきではないと考えています。

 ただ、それでもなお「援助交際」を選択しないと救えない命があるならば、生きるための手段を強引に奪うことはできません。生存を最優先とした場合に、彼女たちが採用することのできる選択肢はあまりに少ないのです。だからこそ、やめたいと思う人が辞めることができ、続けたいと思う人には危険性を理解し、危険に対する対処行動が取れる状況(年齢・知識・スキル)を前提に、その道でのキャリア継続が認められるべきでしょう。そして「援助交際」を辞めた後、過去の「援助交際経験」で彼女たちが排除されることのない社会であればと願うばかりです。

 援助交際(体験者)を「糾弾するもの」ではなく「理解するもの」として考えること。

 これが、一連の「援助交際」に関するエッセイの基本的スタンスです。


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