見出し画像

サプライズ!

「こっち、こっち!」
 俺にわかるように千夜(せんや)は跳び上がって手を振った。そのたびにブリーチした金色の髪がふわりと舞い上がる。細身な上に中性的な顔立ちで、ただ見ただけでは物静かそうに見える千夜だが、これでいて案外男気溢れる気質だ。
 よく言えば、即決即断即実行。悪く言うと短気で落ち着きが足りない。今ももう見えているというのに、もう一度跳び上がって手を振っている。
「もう見えてるよ、千夜君」
「だって星斗(せいと)はぼんやりしているから、僕を見落としてそのまま通り過ぎて行っちゃいそうだもの」
「酷いなぁ、俺はそんなにうっかりしてないよ?」
 とはいえ、読書に夢中で降りるはずの駅を通過したのは、一度や二度ではない。その前科があるので、この発言につながったのだろう。千夜は俺に疑うような眼差しを向けた後、ふっと溜め息をついた。
「ま、いいけど。それより時間ないから急いで!」
「どうしてこんな急なの? たまたま休みだったからいいけど」
 千夜から電話があったのは一時間前。唐突に千夜は「陽(ひなた)の家でパーティーをしよう!」と言い出した。
 記憶にある限り誕生日でもなければ、なにかしら特別なイベントがあるでもなく、何かあったの? どうして急に? という俺の疑問に、千夜はこう答えた。
『何かなければダメ? 僕たちは理由がなければ会うことも出来ないの?』
 狡い解答だ。こんなことを言われたら、行かないわけにはいかない。
 そんなわけで、唐突なパーティーのお誘いだったので、事前に何かを用意していたわけではない。家にあった貰い物のスパークリングワインがあったので、それと途中コンビニで買った安いカマンベールチーズを持参した。三人とも大酒のみではないし、このくらいで丁度いいだろう。
「ところで陽君は?」
 肝心の陽の姿が見当たらない。千夜とは違い、見かけどおりに落ち着いた性格の陽はことさら千夜を甘やかす。千夜の無茶ぶりを受け止めるのは、どちらかというと俺ではなくて陽だった。俺はそんな二人を見ているのが好きだった。
「もうすぐ帰る。だから僕たちは急がなきゃ! 陽が帰る前に、部屋で待っていよう!」
「……状況がわかるようで、わからないんだけど?」
 陽が外出していることはわかった。三人でパーティーをしようということも理解した。だがどうして俺たちは急がなければならないのだろうか?
 すると千夜の表情に陰りがさした。
「うん……最近ね、陽が疲れた顔をしているんだ。理由を聞いても何でもないって言う。悩みがあるなら聞くよ? って言えば、悩みなんてないって言うんだ。でも疲れた顔をしている。だからパーッと騒いだら、少しは気持ちが晴れるんじゃないかなって」
「なるほど。千夜君は陽君をサプライズで励ましたいのだね?」
「そういうこと。だから千夜には内緒なんだ」
 千夜は口元に指を押してあて、目を細め笑った。千夜のこういう気遣い方は嫌いじゃない。
 俺たちはエレベーターの前に移動して昇降ボタンを押した。三階に停止していたエレベーターが動き出す。
「しかし目に見えてわかる落ち込みようとは、いったい何があったんだろうね?」
「わからないよ」
 陽は大抵のことは卒なくこなした。手先が器用だし、落ち着いている。人付き合いも悪くはない。ストレスをため込んで、一人で落ち込むようなタイプでもない。頑なになって殻に閉じこもるような性格でもなかった。
「言ってくれたらいいのに」
 少し寂しそうに千夜は言った。千夜は良くも悪くも裏表がない。必死で隠していても周囲はそれに気付いてしまうし、千夜は自分ではどうにもならないと思えば、ちゃんと相談もする。もちろん自立もしていて、自分こそがやらねばという場面では、しっかりとしていたものだ。
 何かを隠しているだろうことに気付いているのに、自分を頼ってくれないという事実に少し拗ねているのだなと思う。俺は少しだけ苦笑した。
「まぁ、言いたくないことの一つや二つはあるものでしょ」
「星斗はあるの?」
「あるねぇ? ないとは言わないよ?」
 そう言って笑うと、千夜は俺を意外そうな目で見上げてきた。
「何? どういうこと?」
「言いたくないというのに聞き出すのかい?」
 そう言って苦笑すると、千夜は軽く唇を尖らせた。
「きっといやらしいことだ」
「違うよ?」
 そう言って笑っていると、エレベーターが下りてきた。早速乗り込もうとしたところで、背後から聞きなれた声が聞こえた。
「千夜、星斗? 二人そろって、どうしたの?」
「あ……」
 そこにいるのは黒髪の長身の男。そう陽だった。俺と千夜を見て目を丸くしている。約束していたわけでもないのに、急に訪れているのだから驚きもするだろう。ましてや俺はそう頻繁に陽の家に遊びに来ることはない。千夜に至ってはあまりに頻繁に遊びに来るために、合鍵を持っているそうだが……
 結局、サプライズで励まそうと思っていた相手に追いつかれてしまった。けれど俺が遅刻をしたわけではなく、唐突な呼び出しだったのだから、これは仕方のない事だ。
 エレベーターは三人を乗せて上昇する。
「えーっと……」
 咄嗟の言い訳が出てこない。さてどうしたものか? 適当にただ飲みたいと思ったからと言うべきか? それとも近くに来たからと言うべきか?
 しかし前もって口上を用意していたわけでもなく、本人を目の前にしてから考えるのではもう遅い。不自然な間が、陽に不信感を植え付けたようで、怪訝な表情を浮かべて俺と千夜を見比べて、それから最後に千夜を見た。
「千夜?」
 千夜は本当の事を言うか言わないかで悩んだあげく、上目使いに陽を見上げた。
「陽が落ち込んでるから……」
「俺が?」
「うん……最近、元気ないし、食欲ないし……」
 だからサプライズでパーティーを……する予定だったのだが、主役が先に到着してしまったわけだ。
 すると要はしばらく千夜を見た後、小さく笑い出した。
「誤解だよ」
「誤解じゃないでしょ? ここ最近、ずっと悩んでいるみたいな顔してたじゃない」
「だから、そもそも落ち込んでない」
「嘘だ。いつみても辛そうな顔してた」
 千夜に問い詰められた陽は、しかしどこかおかしさを隠しきれないという顔で口元を押さえた。
「参ったなぁ。それ、たぶん、虫歯」
「虫歯?」
「うん。もう痛くて痛くて。でも病院休みで見て貰えないし、ずっと我慢してたんだよね」
 陽の答えを聞いた俺は、堪らなくなって吹き出した。千夜の顔が瞬く間に赤くなる。
「もう、バカ! 陽のバカ! だったら虫歯が痛いって言えば!」
「言いたくなかったの。病院に行くのが怖くて痛いのを我慢してたんでしょ! って、言われそうで」
 エレベーターが目的の階に到着する。先に陽が下りると、その背中を千夜が叩いた。
「なるほどなぁ。虫歯が痛くて落ち込んでいるように見えたってわけか。そりゃ、食欲も落ちるし、しゃべるのも億劫だし、顔色も悪いし、気分も落ち込むよね。ははは、千夜君の早合点だ」
 俺がそう言うと、陽は頷きそして千夜は恥ずかしそうにそっぽを向いた。俺はそんな二人の肩を抱き、笑いかけた。
「じゃぁ、今夜は虫歯が治っておめでとうパーティーをしよう」
 そう言って二人の顔を見比べると、千夜も陽も笑っていた。
「賛成」
「ピザも頼んでおいたから、もうそろそろつくよ。星斗の差し入れを冷やしている間はビールで乾杯しよ!」
 そう言って数歩先に駆け出した千夜がくるりと向きを変えて、楽しそうに笑いかけた。
 結局、目的は変わってしまったけれど、予定通りのパーティーを俺たちは楽しむことにしたのだった。

終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?