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繋がる。意味

僕は最近「類は友を呼ぶ」を実感しまくっています。そして、「類は友を呼ぶ」のメカニズムを解き明かした気がします。
それは、個人の特徴・特性・性格によって行動が決まる。その結果似た行動をするものたちが、同じ場所に集まる。と言うこと。
そして、何かに引き寄せられて出会った仲間同士は、その事象を「類は友を呼ぶ」と呼ぶんだと思います。
簡単なことです。
でも繋がるだけじゃ、意味なくね?と思う人や、別につながらんでいい。と思う人もいると思います。
それでも僕は、繋がることって素晴らしくて、重要なことなんだと言い続けたいです。
小学5年生の頃の書道の授業で、僕は「逢」人生は巡り逢いでできているから。と書いていました。なんてマセたガキなんやと思いますが、今となっては納得するのみです。

このnoteでは繋がる意味と僕の将来のビジョンについて書いて行こうと思います。

①繋がることの意味。
それは心的安全性の担保です。
関学サッカー部の友人からこの話を聞き、まさにだなって思いました。
僕の経験上、同じ志を持った「類」は同じような悩みを持つことが多いです。その時に、心強い同志がいる方が頑張れるのは自明ですよね。 

心的安全性を担保した後は、自由です。
一緒に何かをやるもよし。ビールを飲みながら情熱をぶつけ合うもよし。好きにすればいいんです。
大事なのは1人ではないと言うこと。
イメージして欲しいのは、ワンピースやアイシールド21。
「類」が集まって、強い集団になりましたよね。
思いや感情を共有した時に、人は強く、幸せになるんじゃないんですかね。

そして、類は友を呼んだ結果、そこには「出会い」がありますよね。
僕は「出会い」こそ人生を豊かにする最強のツールだと思っています。
出会いを生み出す行動を取り続けたものが最も人生を楽しめる。そう信じています。

そして僕も実際に、出会いで人生が大きく変わってきました。人生のあらゆる時に身近なスーパースターがいて、その人を越えようと努力することで成長してきました。同じ熱量を共有できる人間がいて、頑張れました。

小・中学生の頃は実家から徒歩10秒にサッカーが上手い先輩がいました。その先輩と一緒にサッカーをしたくて、高校までついて行きました。
高校サッカーでは同期のアホみたいに負けず嫌いなやつに憧れて死ぬほど練習しました。
大学受験では、3年間クラスも同じ、部活を引退するタイミングも同じで志望校も同じレベルの仲間がいました。
大学では同じ目標に向かって走る仲間が出来、最近はもはや大学を超えています。
関わった人の多くが僕にとってプラスの何かを与えてくれました。
全ての出会いが、僕が取った行動の賜物で、まさにルイトモです。

②僕の将来の話。
ここからは僕のビジョンの話になります。
どうしても長ったらしくなるので、簡単に書いていこうと思います。
就職活動をするにあたって、僕が1番大事な軸にしていたこと。それは、企業の「採用」に関わること。
自己分析を通じて、僕は「出会い」によって社会を豊かにしたいと考えるようになりました。
企業活動における出会いとは、まさに採用ではないでしょうか。
企業にとってヒトは、最重要経営資源であり、最大の固定費であり、最も大きなポテンシャルだと考えています。
一方で求職者にも、人生を豊かにし、楽しいと思える時間を過ごせる環境を選ぶに越したことはありません。
つまり、企業にとっては事業をパワーアップさせることができる優秀な人材を集めること。個人にとっては人生を豊かにする環境を選ぶこと。が大事ですよね。当たり前です。 

しかし、今現在、「最高の採用」=「最高の出会いを生み出すこと」ができていないと考えています。
それは、ビジネス的に考えると、有名な「6%」と言う数値(米:ギャラップ社の調査 熱意を持って働いている社員の割合)や、30年前時と今の時価総額ランキングの比較にも現れていると思います。
何が原因なのか。就活の構造なのか、企業-求職者間の情報の非対称性なのか、僕はまだ確信が持てていません。来年からは、自分なりの原因を見つけ、「最高の採用」のあり方・やり方を作れるように、働いて、学んでいこうと思います。

キャリア選択において最高の出会いが当たり前になるように。
人生を振り返り、未来を見た時、今の僕はこんなことを考えています。


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