人間とは、記憶の住人である。

「人は誰かの記憶の中でしか生きていけない」
誰の言葉だっただろうか。覚えていないが、スッと理解できた記憶がある。 

てことは、両親が生きているうちは確実に”生きている”けど、誰にも記憶されずに両親が死んだ場合は”生きていない”ってことになるのかと考えてしまう。
確かに、自分がどんなに地団駄踏んだとて、目の前の人の記憶に僕がいなければ、その状況とは”無”であり、”死んでいること”と同等の状況なのではないだろうか。
そんな哲学的な問いを立てたくなる。

僕たちは日々、誰かの記憶になることによって生きている。意図せずとも、誰かが僕たちを記憶してくれている。と言ってもいい。

自分の記憶は脆いもので、死ねば無くなってしまう。誰かの記憶の中に残り続けるから、語り継がれるうちは”生きていける”。
では、記憶の住人である我々が、人生を通じて達成出来る最高のことは、「誰かにとっての素敵な記憶であること」ではないか? 

僕はそう思っている。と言うか、もはやそれでしかないんじゃないか。
お金だって、肉体だって、そんなもの燃やせばなくなってしまう。
写真も映像も、クラウド上に保存してようが何かのバグで消え去ってしまう。
残っていたって、それを見て思い出す記憶の中に生きているのだ
脆くて不確定なようだが、記憶の中にこそ、確かに生きた証を残すことができる。

では、自分は誰かの記憶の中に”どう在りたい”のだろう。どう”在るべき”なのだろう。
多くの人はきっと、プラスな何かを与えてくれた人として記憶されたいに違いない。
誰かを喜ばせたい。助けたい。そんな想いの原点はこれだと思う。

人に好かれたい。認められたい。そんな欲求は捨てた方がいいなんて言葉も聞くことがあるが、語弊を生んでしまっている。
人は、生きるために好かれたいと思い、認められたいと思うのだ。
そうしなければ、生きる意味がなくなってしまうからだ。 
これらの欲求を捨てろと言う言葉には、その人の未来の味方になりなさい。と言う意味が含まれていて、決して言葉通りの意味ではない。

未来の味方とは、あなたの未来を想って発言、行動してくれる人のことだ。
皆さんの人生にも、「あの時は怒られてばっかだったけど、今振り返れば恩人だ」みたいな人はいるのではないだろうか。まさにそれだ。
自分でその経験を正解にした。と言う捉え方もできるが、未来の味方であろうとしてくれたのだと言う視点も忘れないで欲しい。

誰かのいい記憶になるために、相手が望むことをやればいいってこと?なんて思う人もいるかもしれないが、それは違う。
それは、あくまでも生きていけるのは、自分の人生だけだからだ。
「他者の記憶の中に生きているのに、生きていけるのは自分の人生だけって、矛盾してない?」そう思うのも分かる。
僕が言いたいのはつまり、他者の記憶の中に残る”在るべき姿”を追い求める自分と、自分の”在りたい姿”を追い求める自分があって然るべきだ。その狭間こそ、人生だ。と言うことだ。

僕が10年以上バイブルにしているバンド、Mr.ChildrenのGIFTという曲に、こんな一節がある。
「白と黒のその間に 無限の色が広がってる 君に似合う色探して 優しい名前をつけたなら ほら1番綺麗な色 今君に送るよ」
どっちに没頭するわけでもなく、その狭間を自分なりの色で彩っていく。それが君に”与えられたもの”(GIFT=人生)なんて理解をしている。

だから人生は難しいのだと思う。
たかが21年間の人生かもしれないが、今までだってそうだった。
「自分なりに他者の為の行動をとったつもりが、全く誤解されていた。」
「自分ができる精一杯の行動をしたが、全く伝わらなかった」
「彼は喜んでいるけど、自分としてはあまり納得できていない。」
そんなことの連続だ。

相反する2つの自分と上手く付き合うためには、自分の芯を持たなくてはならない。
自分の内面に目を向け、他者からみた自分も受け入れる努力をする。
そうすることで、自分は他者にとって、何でプラスの記憶に残れるのかが分かり始める。 
それが、自分のこだわりや自分らしさに繋がっていく。
そして、自分ができることを最大化しようとし、2つの自分の狭間で考え続けたことが自分の哲学や信念になる。哲学や信念を持つものは、しなやかで折れない。
自分の弱さを認めた者が1番強い。なんて言葉は、こんな仕組みで生まれたのだと思う。

あなたには、芯があるか。
譲りたくないものがあるか。
在るべき姿に近づこうとするあまり、在りたい姿を捨ててはいないか。

僕は最近、在りたい姿と在るべき姿が繋がっていく感覚がある。
詳しく書くと長くなるため割愛するが、元来ある自信に、他者から見た自分を意識することができるきっかけがあったからだと思う。
そんなきっかけをくれたのも、全て人だった。
そのきっかけをくれた人は、僕の記憶の中で感謝し続ける存在として残り続ける。
きっとその人なりに信念があったのだろう。

あなたは誰かのために、何が出来るだろうか。
その言動は、どんな記憶となって、誰かの中に残り続けるだろうか。
自分なりのやり方で、目の前の誰かの人生が素敵なものになるサポートをしてみて欲しい。
きっとそれが、あなたを生かしてくれる。


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