僕は朝井リョウが読めない

特別な作家

僕は朝井リョウの作品を読んだことがない。短編、長編に限らず一作もない(『桐島、~』の映画は見た)。興味がないわけではない。書店に行って、本棚に手を伸ばし、本を手に取って、ページをめくった経験は何度もある。そして本に印刷されたインクの黒い線を見たこともある。しかし、それ以上ができない。インクの線を「文字」として認識し、その「意味」を取ろうとすることができないのだ。だから僕は朝井リョウの作品が読めない。こんな経験は、ほかの本では一度もない。だから朝井リョウは僕にとって「特別な作家」である。なぜなのか、考えてみる。

同級生の小説家

僕にとって朝井リョウが「特別な作家」になったのはいつからだろう。

2010年秋頃だろうか、ある友人が「同級生に小説家がいる」と口にした。その友人は「ブンコウ」、つまり早稲田大学文化構想学部の3年生で堀江敏幸ゼミに所属していた。そう、友人の言う「同級生」とは、2009年に『桐島、部活やめるってよ』で小説すばる新人賞を獲得した朝井リョウだった。

朝井リョウは2008年早稲田大学文化構想学部に入学し、2012年に卒業する。同年に発表した『何者』は翌2013年に直木賞を受賞する。僕は朝井リョウと入学年・卒業年ともに同じというだけでなく、同じキャンパス(戸山キャンパス)に通った。僕と朝井リョウは、同じ場所で、同じ時代を過ごした。

しかしそれだけならば僕にとって彼は単に「同じキャンパスに通っていた同世代の小説家」の一人だ。僕にとって朝井リョウが「特別な作家」になったのは、まず、在学中、朝井リョウが運動系のサークル(男子チアリーディングサークルだったっけ?)に所属していると聞いたときである。いつ聞いたか忘れたが、たぶん友人に聞いたのだろうと思う。僕は最初、「そりゃ高名な小説家である堀江先生のゼミに所属するような文学青年なら、作家になることもありますよね」と思っていた。しかし朝井リョウはヒョロヒョロした「文学青年」でも、「太ったオタク」(僕だ)でもなかった。爽やかスポーツマンだったのである。

決定的だったのは大学卒業後、朝井リョウが専業作家にならず、就職したと知ったときである。僕が大学院の博士前期課程に進学したころ、朝井リョウはサラリーマンになっていた。新人賞を取って、コンスタントに作品を発表する能力があるのにもかかわらず、朝井リョウは就職を――というか、そもそも「就活」を――していたのだ!

運動系サークル、就活、労働、そして何より小説の執筆。「天は朝井リョウにいくつ物を与えるのだろう?」「なぜ朝井リョウはそんなに色々なことができるのだろう?」大学卒業後、僕は朝井リョウの名前を聞くたびにそんな答えの出ない問いと焦燥感を抱くようになった。気づけば、朝井リョウは僕にとって特別な作家になっていた。

もしも僕が朝井リョウだったら

もしも僕が朝井リョウの立場ならどうしていただろう。

①サークルを辞める。自分は小説家なので、運動系のサークルをしていたら疲れるし無理だと思い、サークルを辞める。「選択と集中」だ!

②就活はしない新人賞を取るレベルの小説家である僕には専業作家として食べていく実力があるので、当然、就活はしない。それに、就活なんて俗物のやることですし。

③大学留年僕は小説家なのでもはや学ぶことはないと考え、大学の授業には出ない。その結果、留年する。しかし僕は大学生であると同時に小説家なので、作家として頑張っていれば大丈夫

④大学中退。早稲田大学には「中退一流、留年二流、卒業三流」という有名な標語(?)がある。中退する人が最も大成するとか「最も早稲田らしい」ということだ。僕は小説家なんだから中退しても痛くも痒くもない、むしろ箔が付く。現実の僕はストレートで卒業したけれども、「中退一流」という考え方にはかぶれていたので、僕が朝井リョウだったらまず間違いなく大学を中退していただろう。

朝井リョウは「小説家」を破壊する

朝井リョウはなぜ僕にとって「特別な作家」なのだろう。それは、僕の中の「小説家」を破壊したからだったのだと思う。僕は「小説家」とは、朝も昼も夜も酒を飲み、政治活動にもサークル活動にも勉学にも中途半端に挫折し、もちろん働くこともない、そういう「無頼」だと思っていた。

しかし、朝井リョウは違った。朝井リョウは運動系サークルに所属し、大学にきちんと通い就活をし、サラリーマンをしながら小説を書く、全く新しい〈小説家〉だった。「才能」に溺れず、「生活」を壊さず、「キャリア」を考える〈小説家〉。朝井リョウは僕の「小説家」像を破壊した。だから僕は朝井リョウが読めないのだ。

朝井リョウがデビューしてから干支が一周した今、朝井リョウではない僕は、文系ポスドクになり、生活に窮し、ようやく「キャリア」という考え方の大事さに気づいた。僕はまだまだ「何者」にもなれそうにない。

追記

これを書こうと思ったのは、一橋大学の大学院に通う友人に書けと促されたことと、お笑いコンビ「ニューヨーク」の『ザ・エレクトリカルパレーズ』(正確に言うと、同作についてのレイザーラモンRGのコメント)を見たからである。

尊敬、嫉妬、憧れ、今に見てろコノヤロー、朝井リョウには、色んな気持ちがある。この気持ちは僕のエネルギー源の一つだ。だから今後も朝井リョウくんには頑張ってほしい(「お前が頑張れ似非評論家」)。


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