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三女はじめての演奏会で、ドレスを着る。

三女が大学に入ってはじめての演奏会に出る。
クラシックの演奏会だ。
それに伴い、衣装を探している。「背中が開いてないやつがいい」そう言って小一時間、スマホをにらんでいる。

あんまりずっと探しているからわたしも見てみた。そしたら、ものすごく高い!

5万から、良いものは7万、10万するものもある。しかも、殆どがノースリーブ、背中がら空き、ショルダーなし。

露出が多すぎて、背中に布があるだけで「救われた…」と思うほどに感覚がマヒしてくる。「背中が開いてない」ドレスで雰囲気の良いものを探すのは至難の業なのだ。

「演奏会に出る」と聞いたときは、きらきら心躍ったが、いまは目がしょぼしょぼ、肩もこるし、最悪だ。

いったいなぜ、ドレスを着なければならないのか。

というか、ドレスはなぜこんなにも高価なのか。
もはや、ドレスをきなくてもよいのでは。「ドレス」の定義はなにか。

でも、大勢がドレスで着飾るなか、「ドレス」もどきというのもなんだかなあ。

こうなると、男性は、こんな悩みはないだろうなあ!?と怒りをぶつけたくなる。八つ当たりにも近い。でも、だれかにぶつけているわけではないから、いいであろう。
八つ当たりをするにも、知識が必要だから、調べてみた。
演奏会の場で、生物学的男性はタキシードを着ることが多い。タキシードの相場は3万~7万くらい。何より形や色がほとんど同じだ。露出もない。なんなら、男性のタキシードの質感や色合いが演奏会の場で話題の中心になることはほとんどない、言ってみれば、男性は見た目ではなく、演奏そのもので評価されているともいえる。

女性のドレスは演奏者間でも観客間でも話題になる。そして視覚に大きく訴える。目をつぶって演奏を聞かない限り、視覚的印象は評価にも大きく影響を及ぼすだろう。露出度が高い衣装を求められる女性は、体型や貧富の差が可視化されやすい状態に追い込まれるのだ。そしてそれは純粋な演奏そのものの評価をする際に、多少なりとも邪魔をする。

女性だから露出をする。女性だから着飾るというのは、はなはだ時代錯誤な考え方だが、しかし、女性が露出度の高いドレスを着なければならない風潮は一向になくならない。ドレスとタキシードではかかるお金が桁違いだし、お金のかけ具合が一目瞭然になってしまうことも問題であると言えるだろう。高いドレスと、安いドレスは見分けがつきやすい。(成人式や卒業式での女性のぼやきで多いのは、「着物は高いしそれっきり使えないけど、スーツは何度も使えるからいいよね」だ。)

どうしてここまでして、着飾らなければならないのか。靴だって、髪飾りだって日常的に使えるものとはかけ離れている。汎用性も低い。

おしゃれはたのしいけど、男女で、人生においてお金のかかり方が大きくちがうことに対し、何の打開策もないのはどうかと思う。
(実際、このような式典以外にも生物学的女性は生理があるのでナプキン代、ピル代、化粧を求められることが多いので化粧品代)

さらには、見た目が美しい女性は優遇される風潮もあることで、よりこの熾烈な課金ゲームは加速していくのだ。


はあ。


こんな風に私がもんもんと頭の中で思いを巡らせる中、三女はさっさと母に相談し、いいドレスを決めてきた。
一件落着。

演奏会が楽しみだ。

ドレスの画像をみまくっていたら、なんだかわたしも、ドレスを着たいな。なんて思ってしまう。キラキラの魔力。恐るべし。



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