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完璧を目指すよりも全力を尽くす。

先日久々に仕事の関係ない食事に行った時の事。僕が本格的にSNSを使うようになり、文章を書くことを勧めてくれた友人からこんな事を言われた。


『タムは完璧主義に見えるから、もっと弱さとか隙を見せた方が絶対良い!完璧に見える所が近寄り難くしてるから、もっと自分を見せていこ!』


最近でこそ僕は自分らしく生活できていると思う。シェフになりたての頃は、『シェフとはこうあるべき』という先入観で、なるべく隙を見せないように、完璧であるように努めていた。写真でも笑わない。笑顔を見せることがとてつもなく苦手だった。真剣=真顔のようなどうしようもない考えがあったからに他ならない。



今まで働いてきたレストランのシェフたちもそうだった。常に評価にさらされ、新しい変化を求められ、好き勝手に罵倒される。そんな中で隙を出そうものならば、いいように突かれてしまうから。それはいつも誰かからの評価軸の中で生きてきたからだろ。本質はそこではないはずなのに、レストランという業界がそのシステムを作り上げてきた気はする。その世界にどっぷりと浸かってきた僕は否応無しにその感覚で生きていた。


だから隙を見せず、笑顔も見せず、強い自分を演じていた。本当は自分の弱さを隠すためだったのかもしれない。初めて自分の料理を出した日はまともに食事もできず、常に吐き気を催すくらいにストレスを感じていた。自分が美味しいと思って作る料理の味がわからなくなり、不安の中模索していた。お客様の美味しかったの言葉も素直に受け入れられず疑心暗鬼。それを悟られないために必死だった。


それは何もお客様だけではない。スタッフに対しても感じていた。自分の作る料理に魅力がなければ人は離れて行ってしまう。自分の中にあった根拠のない自信は見る影もなくなり、自分を保つのに必死だった。今まで一緒に働いてきたシェフたちが皆超人に思え、数々の無礼を心底反省もした。


そんな日々が落ち着いたのはいつだろう。二ヶ月が経ち、お客様のリアクションが明らかに良くなってからか。その頃には自分は何者でもない、ただの一シェフだと理解してがむしゃらに突き進んでいたからか。何にせよ、完璧な自分を演じるくらいなら、全力の自分で戦おうと思えたからだろう。全力で戦ってそれが受け入れられなければそれは仕方ない。でも完璧じゃないからと中途半端に諦めるのが一番良くないと。


そう思えてからは、スタッフとの関わり方も変わっていった。今まではミスがあるたびに怒り、怒鳴る時もあった。なぜ出来ない、なぜ間違える、なぜ確認しない。そんな事ばかり言っていた。自分に余裕がなく、誰かのせいにしたかったのだ。自分だってミスする事はある。スタッフだってミスをするのは当たり前だ。そんな時にどう対応するのかが、シェフの力量が問われる場面なのだと分かったのはここ2年の話。


完璧なんてものは存在しない。ただ、職人として目指すべき高みは存在する。その為に何をするのかは人それぞれだが、その時いるメンバーとその時出来ることを日々積み重ねていくしか無いと思う。全員が毎日全力で過ごす事はなかなか難しいが、そうなれる環境を作る努力もまたしなければならない。


そして、しっかりと休む事も必要で、そのバランスは難しい。特に僕は休む事が極端にヘタなので、自分なりに勉強していかなければいけない。シェフだから、職人だからという言葉に甘えず、1人の人として、経営者として。


物を落とすと怒鳴られる。そんな世界で生きてきた僕だけど、今こうして色々考えながら働けているのは、沢山の素晴らしい人達と出逢えたから。決してひとりでここまで来たわけじゃない。だからこそ僕も誰かにとってのキッカケになれるような、そんな人で在りたいと思う。


賄いが全然美味しく作れなくて、米のスイッチ入れるの忘れて怒鳴られて、味噌汁ひっくり返してスーツ汚したり、年末最後の仕込みを床にブチまけたり。そんなダメな自分でも、完璧なんて程遠くても、続ける力があったから今の自分がいる。


続ける事でしか培えない何かが絶対にある。続けられる環境を作る。1つのミスで、その人の成長の芽を潰してはいけない。完璧を求めるより、全力で向き合えてるかどうかを大切に。


なんだか何が言いたいか分からなくなってしまったけど、僕は全然完璧でもないし、ミスはするし、割と人の話も直ぐに忘れる様な、何処にでもいる人間なんですって話でした(苦笑)


なので、皆さん是非助けてください(笑)


チーズケーキやサラダの新しい事業を手伝ってくれる人を募集しています。



皆様の優しさに救われてます泣