お金を稼げれば周りに認めてもらえると思っていた
昔からマウントをとられるのが嫌いだった。
学生時代はことあるごとにマウントを取られて、というか男ってそういう生き物だからある程度は仕方がないのだろうが
それがとにかく悔しくてたまらなかった。
だから、マウントをとられないように強くなりたかった。
そして、お金を稼げること、はマウントを回避するための
一つの防御札になると思っていた。
だから、防御力を上げるために
稼ぐことをお金を増やすことを頑張っていた。
そうして、小金持ち目前になって、ようやく気づいた。
それは違うよと。
お金を稼げるようになると、お金を稼げる人が周囲にいるようになる
モテたくて慶應大学に入ったら、周りはみんな慶應生なのでモテなかったとYouTuberの誰かが言っていた。
それを聞いて、こいつアホだなと思った自分に呆れてしまう。
20代で前半で年収1000万稼いだら、きっと自己肯定感が上がるだろう。
そう思っていた。
でも、自分が年収1000万に到達したとき、周りの同僚も年収1000万だった。
それはそうだ。20代に年収1000万を払ってくれる会社
似たような仕事をしてる同僚の年収も同じくらいに決まっている。
ああ、そんなアホは自分だった。
稼げる人の周りには稼げる人がいる。
だから、そこは差別化にはならない。
お金持ちアピールができない
周囲より少しだけお金を持てるようになった。
でも、お金を手に入れる過程で
お金もってることを周囲に言ってしまうと、損をすることが多い
お金そのものには価値がないこと
上には上がいること
を強く実感するようになってしまった。
だから平均的な人と比べて
収入が高いこととか、資産があることとか
それをアピールすることはできない。
同級生と久々に会っても、
貯金は200万くらいとか、NISAは5万円積み立ててるとか
適当に流すようになってしまった。
結局同級生から見える私というのは凡人のままだろう。
目的と手段の過ち
昔からマウントをとられるのが嫌いだった。
お金を稼ぐこと。それはマウントを回避するための防御札になると
信じて疑わなかった。
そうして手に入れたお金という手札は、自分の防御札として役に立つことはなかった。
なぜなら周囲の人には見せない隠し札となってしまったから。
本当に呆れてしまうのだけれど、目的と手段を間違える。
そんな初歩的なことをしていた。
サッカー選手になることを夢見ている少年が
毎日野球の素振りの練習をしている。
そんな、目的と手段を間違えている例え話がある。
サッカー選手になりたいならサッカーの練習をしないといけない。
それくらい、初歩的なミスをずっとしていたようだ。
でも、経済的なゆとりというのは、自己肯定感とかそういう話以前に、
人生のゆとりを生んでくれるものであるので、
自分だけの隠し札として持っていても、十分すぎる価値があると思う。
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