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秋の東尋坊に感動

                         黄 文葦

今回は福井の旅。最初は東尋坊が目当てであった。三国の自然と伝統文化に魅了された。
 
知らない場所に行くと、まずは「取材」すること。駅前の観光案内所とか、観光協会とかに入って、資料を探し、人に聞く。ネットで調べるだけではなく、現地で観光スポット、名物、歴史文化の特徴などを把握すること。速やかに自分の旅のルートを決める。それはジャーナリストとしての一つの技だと自慢したい。
 
10月29日の朝、東京駅新幹線のひかり637号に乗って米原へ、特急列車のしらさぎ53に乗り換え、お昼頃、芦原温泉駅に到着した。芦原温泉駅は工事中。2024年春の北陸新幹線金沢〜敦賀間の開業に向け、駅周辺整備を中核としたまちづくりを進めているという。つまり、2024年、新幹線芦原温泉駅が開業する予定だ。
 
芦原温泉駅前の観光センターで東尋坊温泉三国観光ホテル行きのルートを聞き、バスの二日間券を勧められて、すぐに買った。
 
バスの中、ホテルと東尋坊どちらに行くのか、ちょっと考えていたのだが、東尋坊が先に通過するので、時間を節約するために東尋坊で下車した。バス停の傍のお土産屋さんで、無料の荷物預かりがある。スーツケースを預けてもらって、助かった。一人旅は、どんな体験をしても、どこに行っても、すべて正しい決断であろう。
 
東尋坊は自分が想像したよりもっと観光地らしい。観光商店街を構えている。焼きイカ、蟹の香りが街に漂っている。若者がわいわいしている。東尋坊はまことに自由な場所だ。チケットもいらないし、「欄干」と「手すり」もない…
 
正直言って、どこも崖っぷち、冒険の気持ちになるわけである。遠くから崖の端に座っている人間を見て、ちょっと心配になり、近くに行ってみると、その人はカメラを手に写真を撮っていることであった。
 
東尋坊の美しい波と崖は世界中唯一無二の存在。このような神工鬼斧な自然に出逢ったら、人生を謳歌したくなるではないか。東京で、「秋はどこへ行ったのか」と尋ねていたが、東尋坊でしっかり秋を見つけた。海の波は強くて穏やかで、木の葉は赤と緑の中間の色をしている。野草が鮮やか…秋の東尋坊は感動的であった。
 
東尋坊に一つアドバイスをすれば、十分立派な皆で楽しめる自然公園であるため、チケット販売をしたほうがいいではないか、ということ。
 
泊まるホテルはバスの終点、三国湊の丘の上にある。ホテルに入ったのは夕暮れ時で、部屋を紹介されたウェイターが最初にしたことは、カーテンを開けて「ほら、夕焼けだ!」と言うことだった。夕焼けは赤い夕焼けではなく、灰色の雲に半分覆われた夕焼けで、夕焼けの余韻を重ねた墨絵を形成している、再び感動を覚えた。
 
興味深いのは、ホテルのエレベーターに日没と日の出の時間表が掲示されていること。まさに、三国湊の日落和日出は当地の名物の一つ。都会では見過ごされがちな朝日や夕日も、ここでは大切にされている。
 
ホテルの傍に、三国のシンボルである文化遺産を一堂に集めた博物館の「みくに龍翔館」が佇む。あいにく現在改修工事中、来春に再開する予定だ。
 
福井県三国湊きたまえ通りは伝統的な街。ミニ資料館のマチノクラで展示されている三國湊の歴史的、文化的資料や竹下景子さん主演のガイダンスムービーを観賞した。「マチノクラ」の近くにある江戸時代の町家「旧岸名家」、大正の近代化遺産「旧森田銀行本店」を見物し、レトロな町を歩きまわった。「三国湊座」のハンバーガーはたいへん美味しかった。
 
三国祭りは毎年5月に行われる。現在、現地の方々が準備を進めているらしい。「三国」の読み方だが、「さんこく」と思っていたが、実際には「みくに」である。「三国」の名に勝手に親近感を抱いてしまった。来年の5月、三国祭りの際に、もう一度三国の旅をしようを考えている。
 
中国の偉大な思想家、文学者の魯迅が書いた「藤野先生」は、中国の中学校の国語教科書に載せているので、中国人ならだれも知っている名作だ。実は、その「藤野先生」の主人公の藤野厳九郎は福井あわら市出身だ。明治34年に仙台医学専門学校講師となり、明治37年、清国から1人の留学生が仙台医専に入学してきた。その名は周樹人(後の魯迅)。魯迅青年が藤野先生の講義のノートを先生に提出したことから深い師弟関係が始まった…
 
藤野厳九郎と魯迅のおかげで、1983年、あわら市と中国の浙江省紹興市の間に、友好都市が締結された。現在、えちぜん鉄道湯のまち駅の近くに藤野厳九郎記念館が構える。残念ながら、今回、時間がなりなくて、いけなかった。次回、じっくりと「藤野先生」を拝みたい。

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