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その33:海外剣道交流(3)

樫の木剣友会との27年2⃣

 1990年6月、日本から野間道場の先輩蓑輪勝先生が一週間滞在して一緒に稽古をしたことがあった。「形」の稽古で蓑輪先生が打太刀、マンディが仕太刀をした。小太刀2本目の残心で蓑輪先生の頬がポーッと赤くなって目を伏せた。後で聞いたら、見詰められて恥ずかしくなったと言った。トレバーとも形を行った。普段は優しい目をしたトレバーだったが、瞬きをしないし、目を離さないでジーッと見る目が怖かったとも言った。蓑輪先生と知り合ってからもう50年以上過ぎたが、この話題になると今でも二人で腹を抱えて笑ってしまう懐かしい思い出である。

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(中央マンディ、右蓑輪勝先生)

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日曜日の稽古の後は

 イギリスの6月は1年中で一番良い季節だ。

 ノッティンガムでの稽古は、4月は週3回(月・水・金)、5月になると皆の希望で土曜日も稽古をするようになり週4回に増えた。ところが6月になったら、季節が良いので日曜日もやりたいと言う。私はどうせ暇でやることがないから二つ返事で了解。ということで6月には週5回になった。

 日曜日の稽古は午前10時から12時まで2時間行った。私はキャンパス内に住んでいるから、体育館に行くにも目と鼻の先の距離で便利だったが、通って来る人たちは近い人もいたが遠くから来る人が多かった。デニスは一番近くてトレント川を挟んで反対側に家があり20分、トレバーは40分、バーローさん(ダービシャーの消防士)は他県のダービシャーから通って来たのでかなり時間が掛かったことと思う。カニントンさん(ノッティンガム市の消防士)は車を持っていなかったので毎回バスを利用していた。時にはバイクで2時間以上掛けて来る熱心な人もいた。

そのころトレバーは「樫の木剣友会」という名の道場のリーダーだった。木曜日が稽古日だったので、デニスが私を迎えに来てオラートン(Ollerton)村のスポーツセンターでも稽古した。2005年から行っている剣道セミナーはこのスポーツセンターなので本当に懐かしい。

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 日曜日は12時に稽古が終わった後、近くのパブに行くのが恒例だった。皆が昼間からビールを飲むのである。車で通って来たマンディもビールを飲んでいるのかと思ったらビールと同じ色のノンアルコールの飲み物だったので安心した。

 マンディはマンチェスター大学薬学部のドクターコース終了後、製薬会社の研究所に勤務する薬学博士だった。この写真の数年後、研究所の仕事が忙しくなって剣道を止めたということをトレバーからのメールで知った。「形」だけではなく、剣道も筋が良かったから残念だった。まだ研究所に勤めていたら、新型コロナウイルスのワクチンを開発するメンバーになっているかもしれないなどと想像している。

 トレバーも車だったのでやはりマンディと同じ飲み物を飲んでいた。一度飲ませてもらったがあまり美味いものではなかった。私はいつも1パイント(568ml)が入るグラスに2杯飲んだ。こうしてパブで世間話をして過ごし、約1時間後解散した。私はほろ酔い加減で宿舎に戻り昼寝をするのが日課になった。日曜日はこうして至福の時間を過ごしたのだった。

 イギリスに滞在した40歳のこの時だけは、毎週日曜日昼間からビールを飲んでいた。日本では太陽が出ているうちはお酒を飲まないことにしていた。この習慣は埼玉の田舎の環境にある。

 周りは農家が多く、太陽のお恵みで生活をしている。子供の頃から、「太陽が空にある間は酒を飲むことは禁物だ。お天道様に申し訳ない事をしていけない」と言われて育った。農家のお父さんたちは、毎夕空を見上げてお天道様が沈むと「取り敢えずビール」を飲むのである。そういうことだったので、昼間ビールを飲むことは日本に帰ってからは止めた。しかしよく考えたら、太陽は世界中の空に輝いているのだから、埼玉の田舎もイギリスの田舎も同じなのだが、この時は「郷に入れば郷に従え」で素直にイギリスの習慣に従った。

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稽古がない日の夜は

 ノッティンガム到着の翌朝、担当教授に挨拶をしに行ったがすれ違いで顔を合わすことができず、秘書の女性にいろいろと説明を受けて終わった。忙しい教授だったので秘書から研究室の鍵を預かり、ドアを開けたら私が使う立派な机と椅子が用意してあり自由に使っていいですよと言われて喜んだ。理科大学では教授しか支給されない両袖机(両サイドに引き出しが付いた机)だった。立派な机を自由に使えたが、しばらくの間は何をしてよいか分からないので、相変わらず400字詰め原稿用紙5枚ペースで好きなことを書いて過ごした。

 大学初日は稽古がなかったので、午後は部屋に戻って荷物の整理と片付けをした。そろそろ食事にしようかと思った頃、ドアを叩く音がしたので開けたら、バーローさんとカニントンさんとトレバーが缶ビールとつまみを大量に持ってやって来た。いきなり酒盛りとなって意気投合した。

 テレビで日本のことを知ったとかで、朝の通勤ラッシュは本当かとか、桜が咲いている様子を見たとか、富士山に登ったことはあるかとか、日本の風景や満員電車の通勤事情をテレビで見てよく知っていたが、確信が持てないというので私に確かめに来たと言った。私も面白おかしく拙い英語で説明をした。それ以後、稽古のない夜は毎回誰かが私の部屋にいた。そこにトレバーは必ずいた。テレビはないし、何もやることがないので退屈しのぎになり楽しかった。

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1990年6月ノッティンガム大学体育館にて
前列左トレバー、私の右はヘンソン、右蓑輪先生、後列左からデニス、バーロー、一人置いてカニントン

 別の日には、カニントンさんが禅の英訳本を携えてやって来た。その中には宮本武蔵が描いた「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」の絵があり、鵙(もず)が止まっている枝のすぐ下に尺取虫がいて、鵙に近付いている絵だった。これはどういう意味ですかと尋ねられたが、禅の知識がない私には難しくて答えられなかった。今なら増野さんにメールを送って調べてもらう事ができるのだが……。

30年経って大分時間が経過したが、この機会にインターネットで調べてみた。

 「鵙と尺取虫は動作においては『静と動』、力関係では『強者と弱者』、そしてその運命は『生と死』である」。

「人生における剣術修錬の一環として画技を磨いてきた武士の最高傑作とみることができるのがこの『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』である」

と書かれていた。

 今頃になって「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」を中心に改めて宮本武蔵について調べたが、調べれば調べるほど深い。虎を描いても猫にしか見えないほど絵心がない私だが、これを機会に『五輪書』だけではなく、もう少し武蔵について調べてみたいと思う。ノッティンガムではその機会がなく今になってしまったが、何かを調べたいと思うことに早い遅いはない。言い訳だが……。

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 彼らが初めて私の部屋に来た時、帰宅する前に言った。「夜8時以降一人で町中に出てはいけない。行きたくなったら私達に行ってくれ。もし10時以降一人で市内に遊びに行って何があっても自分の責任ですよ」。それを聞いてイギリスは治安が悪いというイメージが出来上がった。そういうこともあって、滞在中夜一人で出歩いたことは一度もなかった。

 彼らは稽古がない日の夜、毎回私の部屋で2時間前後歓談し、帰る頃は10時を過ぎていた。そのため稽古があってもなくても帰宅時間は11時前後だったことだろう。こういう生活が滞在中続いたが、イギリスでは奥さんを蔑ろにすると大変なことになる、と聞いていたので皆さん大丈夫だったのだろうか。

令和3年(2021)5月21日
於松籟庵




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