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その9:臆面もなく原稿取材

 もうすぐ71歳になるが、一回だけ冷や汗が出るような取材の思い出がある。それを剣道に例えると、人生で一度だけ野間道場で持田盛二範士十段にお願いしたことに匹敵する。しかし、これも持って生まれた私の好奇心の現れなのである。あまりにも突拍子もないことなので、自慢ではあるが人にはほとんど公表していない。そのため初めて知る人が多いのではないかと思う。

 昭和56年(1981)、日本で初めてノーベル化学賞を受賞した福井謙一先生にインタビューをしたことだ。先生は、昭和27年(1952)に発表した論文『フロンティア軌道理論』の功績によって29年後の受賞だった。

 私のインタビューは論文の内容を聞くためではない。私はそういうことにまったく興味がない。では、何故そんなとんでもないことができたのかを少し説明して置く。

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 実は、先生が書かれた『学問の創造』という著書を読んだら、旧制高等学校時代の3年間剣道部に所属して剣道に没頭した、という記述があったのだ。それを読んで急に親近感が湧き、単純な私は無性に会いたくなったという訳である。いろいろ手を尽くして知り合いを探したが、私の周囲には先生を知る人がいなかった。最後の手段に出た。当時、京都工芸繊維大学の学長だったので学長室に電話してしまった。秘書が電話に出て、「一応伝えておきます」という答えが返ってきた。先生は学長職に加えて、臨時教育審議会の委員長を兼務され、週一度上京して都内のホテルに宿泊しておられた。その後秘書に2~3度連絡したら、「まだお返事がない」と言う。最初に電話してから3ヶ月程過ぎてから秘書から電話があり、「ホテルに来てくれれば1時間くらいなら会ってくれる」と言った。夢を見ているような気分だった。

 待ち合わせは、昭和62年(1987)10月6日午前10時、場所は帝国ホテルのロビーだった。何とそれまで帝国ホテルなどには行ったこともないので、正直なところ面食らった。当日、先生は開口一番こう言った。

 「私が生きている間は、この取材は発表しないこと、テープに取らないこと、写真を撮らないこと、この三つを約束してくれればあなたの質問にお答えしましょう」。

 最初随分警戒されたが、質問が大阪高等学校時代の剣道部のことばかりだったので、和やかに笑顔で応じて下さった。

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 大阪高等学校では迷わず念願の剣道部に入部して稽古に励み、

「高校の頃の勉強の思い出は剣道のあの掛け声と稽古着に染みた汗のむせ返るような臭いの彼方に、すっかりかすんでしまうかのように見える」と著書には書いてあるが、インタビューではこう仰った。

 「高校に入り迷わず剣道部に入った。私の高校の思い出は、剣道に打ち込んだ思い出だけであとは何も覚えていない」。

 小手の臭いのことも言われた。あの汗の臭いと、何とも形容しがたい小手の臭いが話題になると、途端に意気投合してしまうから剣道人は不思議だ。試合は強くなかった、と首をすくめて謙遜された。もうノーベル賞の顔ではない。昔話をする古き良き剣道人の顔になっていた。勝負については師範から以下のようなアドバイスをされたという。

「お前は勝とう勝とうと思うから負けるのだ。勝ち負けを考えず、敵の誘いや動きにかまわず打ち込んで行け」。

それからは少しずつ勝てるようになったそうだ。最後は三将を務めるほどの腕前になったと胸を張っておられた。自分でも稽古は熱心にやった、と胸を張るくらいだから相当なものだ。そして、稽古を終えて寮や家に帰るといつもぐったりして、教科書を開くのがどうにも億劫で仕方なかった。途中で勉強を放棄して寝床にもぐりこんでしまうことの繰り返しだったそうだ。

剣道部在籍3年間の思い出はやっぱり試合のことだ。中でも強烈な印象は、中学からやっていた人は上手ですばしっこかった。立ち会っていると、剣道をやっているという印象ではなく、

「何だか巾着切りにあったようだった。打たれたという感触ではなく、通りすがりに巾着切りにふところの物をかすめ取られたという感じだった」

そうだ。私はその話を聞いて、試合というのは今も昔も変わらないな、と思ったものだ。先生は身振り手振りを交えて説明されるので、周りの人たちは怪訝な顔をしてこちらを見ていた。

 大学では化学という専攻科目の関係で剣道部に入部することは無理だった。化学科というのは、実験結果が出るのが夜中まで掛かるので稽古の時間が取れないのだ。それで大学以後、研究生活に入ったが振り返って大事なことを挙げて下さった。

① 専門に凝り固まることなく、学問の視野をできるだけ広げること。
② 自分が学問している分野において先見性を養うこと。学問をするには先見性がなくてはならない。それには「勘」を養え、と言われた。どうしたら養えるかというと、「勘」は子供の頃からの体験によるものだ。悩み抜いた結果、ピカッとひらめくもの。集中した状態でひらめくというのは、子供の頃からの数々の体験によって生み出される。つまり、幼時からのいろいろな体験が大切なんです。主に、自然を体験し、感性を養うことなんです。先生の子供の頃の愛読書は、『ファーブル昆虫記』だったそうだ。
③ その分野が世の中にどうかかわっていくかを見通す眼を培うこと。
④ 応用をやるためには、まず基礎をやること。
⑤ メモを取ること。メモをしないとすぐに忘れてしまうような着想こそ貴重なのだ。

 「応用をやるなら先ず基礎をやれ」という言葉を聞いて私は喜んだ。まさに剣道と同じだ。

 高校時代に剣道に明け暮れて体を鍛えた。何らかの形でノーベル賞に繋がった剣道について最後に以下のように仰った。

 専門に凝り固まることなく、学問の視野をできるだけ広げるための体験の一つでした。剣道人として嬉しい一言だった。現在行われている剣道が、独創的な発想や個性を伸ばすことに繋がることを期待している。

 

 最初の3つの約束の中に、「メモを取らないこと」と言われなかったので、できる限りメモを取らせて頂いた。33年前の11ページのメモ書きは今でも大切に保管し、私の宝物になっている。この時、福井先生69歳、私は37歳だった。何かを本気でやろうと思ったら、情熱をもって思い切ってぶつかってみることだと思う。

令和2年(2020)10月6日
於松籟庵

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