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その29:始まり

 4月は新年度が始まる月である。入学式、入社式、そして新学期というようにすべて新しく始まる。誰もが希望に燃えている。しかし、昨年から始まったコロナ禍の影響で、今年も静かな始まりとなってしまった。昨年度、大学はオンライン授業で、一年間キャンパスに足を踏み入れる事が出来なかったところもあったようだ。今年はどうなるのだろうか。

 剣道界も大変だった。多くの行事は中止や延期で慌ただしく過ごした。さらには昨年延期になった東京オリンピック・パラリンピックもどうなるか分からない状況だ。

 興武館では『鬼滅の刃』ブームも手伝ってか、多くの少年剣士が入門した。概ね5ヶ月間の様子を見ると、挨拶がとても上手になり、道場への出入りの時の神前への「礼」や指導者の先生方への「礼」も大きな声でできるようになった。技術としては、「中段の構え」・「蹲踞」・「面打ち」もできる。5~6歳の子供達にしてみれば立派な基本技術だ。中には世間話ができる子もいる。着てきた上着やリュックを入れる整理カゴにキチンと上着をたたんで入れている子もいる。忘れ物もない。しかも私達が何も言わなくても、下級生が使ったそのカゴを片付けてくれる子もいる。指導者の先生たちは「成長したなあ」と毎回異口同音で褒める。雑巾掛けも先を争って、上級生が運んでくるバケツを並んで待っている。雑巾掛けが好きな子などいないと思っていたが意外だった。さらに、ほとんどの子が皆勤賞で、剣道ができるということは健康な証拠でもあり嬉しいことである。

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茨城県私立茗溪学園の村嶋恒徳先生寄贈(玄関を入って上がり端の右手に掛けてある)

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 世阿弥の『風姿花伝』(岩波書店)によると、能の世界では「藝事は、大方、七歳をもって初めとす」と言われている。現在の就学年齢でもあり、理解力が発達して、指導者の説明する内容を判断できる年齢だからだと思う。人間の成長や発達年齢というものは、知的にも身体的にも500年前とあまり変わっていないのだなと思う。子供に対してあまり厳しくし過ぎるとやる気をなくして嫌気がさしてくるから、遊び程度でよろしい、と世阿弥は書いている。

ただ単に剣道の技術を教えるだけではなく、自分たちが学ぶ道場の掃除をすることは「心を磨く」という意味ではとても大切なことだ。そういうことを何気なくやっていることの中から、自分たちが教えを受けている人に対する気持ちを身に付けていくことになるし、繋がりも出てくる。床の雑巾掛けなどというものは、今の近代的な造りの家ではなかなかできないことを経験することになる。たかが雑巾掛けだが……。

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 興武館の指導方針は、初代館長小澤愛次郎の昔ながらの「興武館修行の心得」であり、130年の歴史が変わりなく受け継がれている。

①    健康の保持・増進。

②    日本人としての礼儀作法を覚えること。

③    すべてのことに慈愛をもって育ててくれる両親に感謝、学校で勉強を教えてくれる先生に感謝、剣道では指導者の「面・小手・胴」を打たせて頂いて上達するのだから、教えてくれる指導者に対して感謝。つまり、「感謝の心」を育むこと。

④    ①~③ができた上で、試合に出場することになる。勝負を争うのは四番目なのである。

 これは初代館長小澤愛次郎の師である山岡鉄舟先生が、15歳の元服の時自身に課した『修身二十則』の一部である。

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始まりは白紙

 子供の感性はインクの吸い取り紙と同じで、最初に汚れた色を染み込ませると後からいくら美しい色を乗せても濁りは取れない。正に「最初が肝心」だ。指導者の資質で大事なことは、本物を知った目と手は偽物を見抜く感性を備えている。それはその人自身が本物に接した経験があり、それによって「技」を含めて、その周囲にあるものを無意識のうちに会得しているからである。その積み重ねが、子供達を指導する時の質を高めていくのである。

 そういう指導者は、子供達が本来持っている個人的な資質・持ち味を大切にしながら、厳しい中にものびのびと稽古させ、あまり細かいことを言わず子供達の持ち味をうまく引き出すことができる。そして良い指導者というのは、やる気をなくさせないように、むしろ意慾が出てくるように、目には見えないが心のこもった優しさを持って厳しく教える事ができる。

 子供達を指導していると、持ち味というのは年齢が低いほどはっきり表れるものだ、ということがよく分かる。子供は本能のまま、心が欲するまま行動しようとする。そういう子供の能力を親や指導者のエゴではなく、子供のためにゆっくり育くむのが本当の指導だと思う。

 

始まりの目

 稽古が始まる前、整列した時の目を見るとその日の心の状態がよく分かる。子供達の目は本当に正直だ。家や学校で何かいいことがあった時は、態度がきびきびしているし、それが目に表れている。稽古中も元気が良く「何かいいことがあったな」と感じる。逆に、「今日はやりたくないなあ」という時は、そういう目をしている。大人ならば心ではそう思っていても、顔には出さないで我慢するが、子供達は絶対我慢しない。分かりやすいと言えば分かりやすい。稽古中、その子の目が輝き始めたらその日の稽古は大成功だと思ってよいだろう。

令和3年(2021)4月11日

於松籟庵

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