【第二期 欲求を開発しよう!】Part 0 最後の砦と虚無の話
2020.01.21
1. 問題の視点を「過去」に向けることから始まる
上に書いたとおり。
最初は、「いま困っている問題」「いま自分がいかに劣っているか」
などなど、「今現在の自分の問題」を解決したいから、カウンセリングいったり、お医者いったり、悩みを相談したりするわけです。
もちろん、「今現在」を見るだけで解決することもあるでしょうが、原因がはっきりしないこととか、昔からの問題ってのは、「過去」に目を向けることで解決に進んでいく(かもしれない)。
その中で、アダルトチルドレンとか、愛着障害とか、うんたらかんたらの概念に触れていくわけですが…
最終的な課題は、「無条件の愛情」をどうやって手に入れるか?
ということい行き着く。
なぜだろうか?
2. なぜ、最後の砦は「無条件の愛情」なのか?
問題を解決していく上では、2つの視点が重要になる。
「時間的な階層 = 自分の過去ー現在ー未来」
「空間的な距離 = 他者との関係」
いろんな克服作業は、もつれ合った諸問題をこの2つの視点から徹底的に観察して、丁寧に解きほぐすこと、と言い換えていいだろう。
「時間的な階層 = 自分の過去ー現在ー未来」
過去に目を向けて、どうして今現在の問題が起きているのだろう?
と考える。
ここで大事なのは、それぞれの時期に起きた問題を別個のものとして片付けるのではなく、地層のように折り重なったものとして捉えること。
克服当時28歳の僕だったら、作業開始時は「対人恐怖」とか、「自己否定」などそれぞれの問題ごとに過去にさかのぼって考えて、
「あの時あんな嫌なことがあったな」とか「もしかしてあの出来事からかな?」などなど問題の輪郭や始まりをなんとなく掴む。
そしたら次、は丁寧に、順番にさかのぼっていく。
そして、すんごーーーく当たり前のことなんだけど…
28歳のときに発生している問題は、25歳の時もあったかもしれないし、18歳でもあったかもしれないし、15歳のときに原因があるのかもしれない。
だけど、その逆はない。
つまり、25歳や18歳のときに発生していた問題は、28歳の時のことが原因になっていることはありえない。
具体的にいえば、社会人になって、仕事とか家庭を持ったあとに起こる問題が、思春期や幼少期の問題に端を発している、ということはあっても。
思春期の時の問題が、仕事のストレスとか、自分の子供との関係、などが原因になることはないのだ。
ということは、「今現在」起きている問題ってのは、「過去」のどこかで生じた問題から派生したもの、絡み合ったものなわけだから…
地層を丁寧にはぐように、長い河川を海辺の河口から山奥の源流にさかのぼるように、たどっていくわけですよ。
そうすると、とどのつまり、幼少期の親子関係とか、赤ちゃんの時の母子関係になっちゃうよね、ってこと。
問題がドミノ倒しのようにつながっていて、「過去の問題が解決すれば、今現在のことも解決に向かう」わけだから…
最初の1ピース目、母親からの「無条件の愛情」問題を解決しない限り、諸問題を本当の意味で解決することはできない。
これが、最後の砦が「無条件の愛情」に行き着く「時間的な階層」的理由。
「空間的な距離 = 他者との関係」
一方で、克服の順番的には、「時間的な階層」問題のほうが自己完結的で着手しやすいので後回しになる、「空間的な距離 = 他者との関係」。
最初は、他者との比較をやめるところから入っていく。
経済的な差とか、容姿とか、能力とか。
確かに重要だし、すごく気にしちゃうものなわけだが…
結局、上には上がいるわけですよ。
小さなコミュニティの中だったら、一番になれるかもしれない。
でも、ちょっと外の世界に出れば、
「あ、自分より優れてる人なんてたくさんいるんだ…」
となって、自尊心とか自己肯定感がメタメタに傷ついちゃう。
この、他者との比較はキリが無いし、上位のものが下位のものから搾取するゼロサムゲームなわけですから。
ここで勝つことに生きる意味を感じても不毛です。
そして何により、
「で、それがあったとして、自分は何のために生きてるの?」
この問いが出てきちゃうと、そうゆうものが手に入っても心の中の虚ろさを消すことはできない。
そうすると、他者との関係性は、
「自分は他者から何かをもらえるのか?」
「自分は他者に何かを与えられるのか?」
このあたりに行き着く。
先に、「自分は他者に何かを与えられるのか?」を考えてみる。
こいつは…難しい。
「ギブアンドテイク」
何かあげるから、何か返してよ。
相手に何かをして、その見返りとして承認とか、感謝とか、存在意義とか、愛情とか。
そうゆうのがほしいから、相手に良くしたり、振る舞ったりするわけだが…
先程の時間的階層問題の結論として、
「母親でなくてもいいんだけど、無条件の愛情ってやつ」がほしい!
という認識に到達しちゃってるわけで…
がんばったらもらえる承認とか、いいことしたからもらえる感謝とか、君がいなかったらこうはならなかったよ!という存在意義とか…
そうゆうのじゃ、ないんだよ。
もっとこう、よくわかんないけど、なんかぬくぬくしたヤツなの!
って思っちゃってる。
「あげっぱなし = 無償」
いやー…こいつはなおさら無理だよ。
ギブアンドテイクだってだめなんだから。
ということで、「他者に何かを与えることで、愛情とか存在意義を手に入れよう!」ということは、頑張らないといけないこと = 条件付きだとわかる。
さて、では、「自分は他者から何かをもらえるのか?」
それも、無条件で。
このへんのことは昔書いたことにまとまってる気がするけど。
「頑張らなくても、自己否定しちゃう自分でも、他人より劣っていても。しかも、いつでも(時間的)、どこでも(空間的)、一切の○○ならもらえるよ?という条件がつかない」
条件ってのは、「if」、つまり分岐のこと。
成立するかもしれないし、しないかもしれない。
そんなものは、他人からはもらえるはずがない。
他者から、そうゆうぬくぬくした愛情をもらうためには、その前に「どうやって無条件の愛情を他者以外から手に入れるか?」という問題の解決が必要になる。
これが、最後の砦が「無条件の愛情」に行き着く「空間的距離」的理由。
3. 虚無とは?絶望とは?
何か失敗をした時、辛い経験をした時。
こうゆう時に(通常の)絶望に到達するわけだが…
最後の砦に到達した時の絶望は種類が違う。
通常の絶望は、いわば「どん底」。
後悔もするし、自分を否定するし、あるいは他者とか、運命とかを恨んだりもする。
でも、逆に言えば「底」だから、這い上がることもできなくはない。
一方で…
最後の砦=無条件の愛情問題に到達した時の絶望は。
克服に向けて、頂上が隠れて見えない山を登るようなもので…
「雲の先になにか明るいものがある気がする!」
という希望感もある。
だけど、「無条件の愛情」問題という頂上は、過去への囚われとか、他者への興味関心が限りなくなくなった状態だから…
精神的には実はかなりすっきりしている。
だけど。
「そこが、頂上」
「その先 = 望みはない」
選択肢は、
辛さもないけど望みもない状態=虚無状態にとどまり続けるか。
それとも、頂上を見なかったことにして、登ってきた道に戻って、「別の登山口もあるかもしれない…」といって、山登りの「ふり」を続けるか?
はて、これを『絶望』と呼ばずになんと呼びましょうか?
虚無状態にとどまり続けるのは、たぶん危険です(僕は経験してない)。
おそらくだけど、常に「虚無」に支配されるから、悲しさも楽しさもなーんもなくなって、生きててもしょうがないなぁってなっちゃう…と思う。
こわいねぇ
4. 「第2期 欲求開発事業」も書いていこうかしら
第1期 愛着障害・AC克服記録では、この虚無に打ち勝つ「概念」自体は書いてあるわけですが。
(僕としては、「愛の証明」の途中が抽象的になりすぎていて良くないと思っている。
基本的に、「序編」「破編」「急編(最終回)」だけでいい気がする。)
「実際問題として、具体的に、どうしたらいいんですかー!!」
ここはあんまり書いてないよね。
というのも、僕自身がこの1年間いろいろ試行錯誤している状態だったので、書きようがなかったのです。
けど、やっと最近、このあたりも目処が立ってきてまとめられそう。
鍵は、「欲求というものをどのように取り扱い、マネジメントして、時にコントロールして、最終的に『新たな欲求を開発していくのか?』」
どうやって書いていこうか…
おわり
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