【第二期 欲求を開発しよう!】Part 2.1 Twitter振り返り ー克服への鍵を掴んだ直後ー

2020.01.24

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【第二期 欲求を開発しよう!】
Part 1 コペルニクス的転回

2-1. Twitterを通して振り返る

前作、愛着障害・AC克服記録では、僕自身の行動・経験は2019.10.15で止まっていた。

ここからの話を、Twitterを丁寧に読み解きながら、「極めて当事者目線」で振り返ってみよう。

ちなみに…

Twitterの検索欄に、「from:moyashimonnoda1 until:(年)-(月)-(日)」と入れると、
その日までの記録を遡ることができる。
例えば、「from
:moyashimonnoda1 until:2018-11-01」ならば、2018/11/01から、僕がTwitterを始めた2018/10/08までを簡単に見ることができる。

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2-2. 2018.10.16-2018.10.18

克服への鍵を掴んでから、どうやって納得したのか?(10.16の間違えでした。)

細かい部分は間違いも多いけど、とにかく「思考のプロセス」を重要視してほしい。

メインのツイートを載せつつ、読みやすくなるように多少手は加えますが、内容はほぼ当時のままです。

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・克服の鍵「愛情ー感謝サイクル」を発見した日

2018.10.16

数分後とか明日とか、少し後の自分が「あの時〇〇してよかったな、ありがてぇ」と思える行動をするのはどうか?
例えば、
『今日風邪気味な僕が薬を飲む』
→『明日体調が良い』
→『あぁ、ありがたい』
ここには、(よくできたから)褒める、(無理やり)自分を愛する、
などの条件・違和感がない、当たり前のこと。
解決策か?

「褒める」との違いを考える。
僕は、「褒める」= 評価と感じる。
「薬飲んだ→偉い!」は本質的に、
「薬飲まない→よくない」を抱えているから、
続けるほどに息苦しくなりそうで怖い。
「薬飲んだ」→「ありがとう」の逆は?
「薬飲まない→風邪で苦しい→飲めば良かった」と後悔が出てくる。

もちろんここで、
「だから自分はだめだ」という評価になったら逆戻りだが、
克服が進むと自己否定しない技術が身に付く。
(僕もある程度使えるようになった)
自己否定しない後悔はどうなるか?
せめて今からでも飲んどこう、とか次からは飲むようにしよう、とか
「行動」に焦点が向くように思う。

偉いか、偉くないか、という評価を前提とした軸から、
「できた→ありがとう(完結)」
「できなかった→今やろう、またやろう」
という「行動」に意識を向けると、とても生きやすい気がする。
ほんの微妙な違いだけど。

ここから、「愛着障害」克服のための理論構築が始まった。

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・当事者としての寂しさ

2018.10.17

アダルトチルドレンを自認する全ての人に読んでほしい。
1997年の時点でこのレベルの認識に達しているのは慧眼。
一方で、以下に回復・克服するか、という方法論は得られなかったか…というところが当事者として率直に寂しい。
とあるツイートのリンク(今一生さん@conisshow)
リンク先の記事(信田さよ子氏のJ-Stageの記事)
日本家政学会誌 Vol. 48 No. 9 823~828 (1997)

ちなみに、この時期にはちょうど、エヴァンゲリオンとかジョジョの奇妙な冒険の第5部が放映・連載されていた
僕は、ACの概念はこれらの作品に影響を与えている、と考えている。

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・思考訓練①(完璧主義)

2018.10.17

現状
「完璧じゃないと(今の自分が)気が済まない」
→完璧にする
→完璧になった(不安と残尿感)
これは「まだ完璧にし足りない」と、
「どうせ悪くなるからまた完璧にしないといけないな」
が無限に続くからきつい。

視点を変える。
「完璧なったら(その時の自分が)気持ちいいだろうな」
→完璧にする→ありがたい、気持ちいい(完結、というか成仏)
一回一回、しっかり成仏させていけば、
完璧主義も軽減されていくと期待したい。
(思考訓練は、そうゆう観点でも物事を考えられる、という経験が重要。
徹底する必要なし)

・思考訓練②(寝起きで、もぞもぞしながら)

2018.10.17

「夜のうちに缶・ペットボトルゴミを捨てた」について。
これを褒めると「捨てて偉いね、素晴らしいね」となる。
昨日は評価がなんか嫌だなぁと感じたが、
別の視点で考えると、
「褒める側が実はなんとも思ってない」感があるように思えてきた。

「まぁわたしにとっては当然の行為だけど?
君にとっては素晴らしいことなんだよね?
じゃあ褒めてあげよう」みたいな。
すごい上から目線。
だからなんか、すごく、むかつくのか。

感謝的視点でごみ捨てを捉え直す。
「部屋のペットボトルゴミ箱がすっきりしている
(満杯でもう入らんわ、とはならない)、
朝わざわざ起きなくて済んだ
→これは夜のうちに捨てといたからだな
→助かる」

現在の自分から考える。
「今の状態(部屋きれい)」がありがたいし、
「悪い状態(ゴミ箱満杯、早起きしなきゃ)が回避できた」もありがたい。
→現在をそのまま受け入れている。
さらに、そうゆう行為をしてくれた過去の自分への感謝・尊敬もある。
(たかがごみ捨てに言い過ぎか)

では過去の自分はどうか?
この時はこの時で、
「今やっとけば、明日の自分が楽だな」という、愛情・配慮の念がある。
(明日褒めてもらえるぞ、でも同じかもしれないが)
書きながら、この「双方向性」の思いやりってのが鍵な気がしてきた。

この、種をまく「行為」と、その実りを受けとる「感謝」の構図か。
これは…究極的には、
自分が、ただ存在することに「感謝」するためには、
両親の営みという「行為」に想いを向けなければ成立しないのか!
そりゃ自己肯定感も出てこないわけだわ。
終わり

・思考訓練③(無条件の愛は手に入るのか?否か?)

2018.10.17

(愛着障害・アダルトチルドレンの傷を癒やす技術を取得した状態(実践中)の考え)
今朝、寝ぼけながら考えた結果、
「ゴミを捨てる」という簡単な行為でも、
視点を変えることで愛情と感謝を生み出せることが見えた。

要約すれば、
「ちょっと先」の自分が喜ぶ行動が「愛情」のある行動。
その時の自分が、「少し前」の自分に抱く気持ちが「感謝」。
少し視野を広げれば、
「現在」の自分は、「未来」の自分に愛情を注ぎ、
「過去」の自分に感謝する。
一方で、「過去」の自分から愛され、
「未来」の自分から感謝される。

すると、
これら一連の行動は螺旋状に、過去と未来を行き来しながら続いているし、止まったら止まったで、簡単な一歩からまた再開できる。
(止まることに対して恐れる必要がなくなる)
しかもこれらは、
自分ひとりでできて他者が不要という点で「自己完結的」でありつつ、
原理的に「永久機関」でもある。

まず、
この「自分の中での愛情・感謝」が満たされれば、
「現在の自分」が
「他人」との愛情・感謝の関係を育むステップに進めると思う。
無条件の愛、手に入れることができるのかもしれない。

あ、この考えは恋愛にも応用できるかも。
愛情の結果自分に返ってくるのは、愛情ではなく感謝。
いくら愛されたくても、自分にコントロールできるものではない。
(相手が自発的に愛するしかない)
自分にコントロールできる愛情は、過去の自分からのものだけ。
でもそれができる人は自然と他人からも愛されそう。

・思考訓練③(終盤)

2018.10.18

愛着障害・アダルトチルドレンを本当の意味で克服するには、
解毒の先の段階に「ただ自分が存在することをありがたく思う」
という段階があると思う。
ここを模索する。
自分のために。

あえて思考訓練と銘打つのは、実践する前段階として、
頭の中では論理的に成立することを納得したいから。
粗いメカニズムは前に書いたので、
ここでは感謝・愛着・褒めるが持つ性質を深掘りする。

解毒が済むと、克服の過程は突然再び霧の中に入る。
なぜなら、ここからの手順は抽象的、
もっといえば宗教的な言葉でしか表されないから。
親に感謝しましょう、自分を愛しましょう、
受け入れましょうなどが最たるもの。

もう少し現実的なものだと、「毎日自分を褒めましょう」がある。
たしかに「褒める」という行為は誰でもできるから、一見解決策に見える。が、いざ自分を褒めるとなるとやはりわからない。
できないと諦めるか、無理やり「よくできました!」と唱える。
僕には拒絶反応が強すぎた。

ここで突飛だが、愛情と感謝、という、
愛着障害・ACが最も無縁で忌み嫌う概念を考える。
今朝の「ごみ捨て理論」の中で、愛情と感謝は双方向的であり、循環的である可能性が見えてきた。
つまり、「愛情のある行動」を受けることで、「感謝の念」が生まれる。

つまり、ここすげぇ大事な気がするけど、
「愛情」には必ず「行動」が伴い、
相手がそれを受け取り、
ありがたい、という「感謝」が生じることで、
初めてサイクルが成立する。

では、愛情と感謝はそれぞれもっと具体的に言い換えることはできないか?
それにはまず、感謝のほうがわかりやすい。
一番、素直に、ありがたいって思えることの1つが、
医療技術だと僕は思う。
風邪を引いて抗生物質を飲んで治ったときに、
自然と「抗生物質ありがたい」と、僕は思う。

この「抗生物質ありがたい」が持つ方向性と性質は何か?
まず方向。
これは、
抗生物質の「存在そのもの」であり、
発見した「行為」であり、
究極的には発見者の「存在そのもの」だと思う。
(ここで、青カビはありがたくないのか?という人とは距離を取りたい)

全ては過去の「行為・存在」に向いているのがポイント。
まず、感謝とは過去に対してするものだとわかる。
(感覚的にも、未来に感謝ってやつはやばい気がする)

では感謝の性質とは?
それは、「行為・存在」に対する、
良い・悪いの評価でもなく、
認めるという権力・支配でもなく、
「無い状態なんて考えられない」という必然性ではないか?
(必然性よりも前提・当たり前のほうがしっくりくる)

そうすると、「過去の自分」に心からの感謝ができれば、
それは自分の存在そのものが当たり前、
= 違う親のもとに生まれ変わらないと手に入らないと思っていた、
自己必然感が得られると思う。
(肯定という概念には評価が含まれるから、あまり使いたくない)

一方、感謝と対になる「愛情」はどうか?
それには子供や好きな人への愛情がイメージしやすい。
(僕にとってはフィクションの世界しか参考になる情報がないのが悲しい)

愛情には、
子供の成長、パートナーの成長、病気の知人なら快方へ向かうなど、
「良い方向」への変化を期待する気持ちがある。
(好きな相手に、一生変わらずそのままいてほしい、という感覚に
狂気を感じるのと比べるとわかりやすい気がする)

また、「良い方向への変化」は未来に対する期待でもある。
つまり、「自分を愛する」ための行動は、未来の自分が良い方向に向かうための行動といえる。
そうすると、「愛情は未来に」、「感謝は過去に」と噛み合わなくなる。

どうしたらいいんだんだ?
鍵は連続性だと思う。
映像的イメージは、
合わせ鏡を来たときに自分の姿が無限に並んでいる状態。
愛情は、一方の合わせ鏡の果て(過去)ににいる自分から、
脈々と自分まで伝わってきて、
もう一方の果ての自分(未来に)に向かっていく。
感謝もまた、その逆向きを辿る。

つまり、
現在の視点だけで愛するとか、感謝するとかを考えようとするから、
訳わかんなくなるんであって、
時間の軸を取り入れればすっきり納得できる。
よって、
「現在」の自分が「未来」の自分に愛情を注ぐことで、
「過去」の自分が感謝されるようになる。

実践的方法論は後日考えてみたいが、
「ペットボトルを捨てる」だけでも論理的には成立するのだから、
方法自体は多種多様だろう。
それよりも、以下に自分の心が受け入れるか、
いかに継続するか、が難しそう。

最後に。
愛着障害・ACの元では愛情↔感謝のサイクルが破綻しているかを確認して、
寝る。

まず、毒はないけど愛情もない親。
(うちみたいなこうゆう親を、僕は #塩親 と呼ぶことを画策している)
ネグレクトは言わずもがなだが、
親が愛情を知らない場合だと、愛情を物質的に補おうとしてしてしまう。
だから、愛情↔感謝の情緒的関係を伝えることができない。
→サイクルの破綻。

愛着障害・ACは上の性質が共通するから、
ここで終わりの気もするけど考えてみる。
虐待、あるいは体罰はどうか?
どれぽど親側が愛着があるんだ!と主張しようと、
受けた側に感謝の念がなければ、サイクルは成立しない。
これは過干渉も同じ。

忘れてた、
"褒める"との比較が重要だった。
褒める、という行為を言い換えれば、
評価者が持つ評価軸の中で、
対象の「行為・状態」はどこに位置するかを判断する、
という性質を持つ。
何かに似てる。
「感謝」と同じで、
方向が過去(限りなく直前の現在)に向いているんだ。

こう考えると、
評価するからやだ、というポイント以外に2つ問題がある。
①愛情のつもりで「評価」しても、「感謝」は過去にしか向かないから、
「評価してる自分」に何も帰ってこない。
→だんだん何かへの飢餓感が膨張していく。
(でも愛情・感謝のどちらも得られいから辛くなる)

②では、過去の行為(=AC克服で行われがち)ではなく、
「現在の状態」への褒めならどうか?
それは評価することの問題点の振りだしに戻ったようなもので、
ここには「現在の他人」との比較が前提になる。
(頭いい、運動できる、きれいetc)
これが、僕が"褒める"メソッドが克服に敵さないという論理的根拠。

わーーー
書き過ぎました…
TL邪魔してすみません
寝ます
おわり

追加で。
TL見てると、
愛情障害・AC=詰んでる、一生の苦しみだから諦めろ、
という言葉を目にする。
とても悲しいし、僕は嫌だ。
三面式の鏡台の両側の鏡を動かして、合わせ鏡を作るような手軽さで、
愛情・感謝のための最初の一歩を踏み出したい。

「愛の証明」の雛形となる理論の思考過程です。

おわり 

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【第二期 欲求を開発しよう!】
Part 2.2 Twitter振り返り ーサイクルの実践と思考回路の暴走ー




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