【メモ】はまること・掴み取ることとエヴァの話

2020.05.29

1. はまること


やりたいことを考える上で、昔ハマってたもののことを思い出してみる。

例えば、昔やってたゲームのプレイ動画を見ることは楽しい。

当時、アホみたいにはまってた。
クラッシュ・バンディクーとか、最近リメイクされたFF7とか。
そんなもん見たってしょうがないじゃん、といったらそれまでなのだが。
人の目とか、いい評価とか、そういったものを気にしなかった幼い時期に純粋にハマっていたあの感覚。
あれに近いものがほしい。
(もちろん、ゲームは熱中・没頭しやすい性質があるし、そうゆうふうに作られたものであることも注意は必要だ)

昔ハマっていたものの性質を思い出すことで、
自分は純粋になにかにハマることができるということは確認できる。


2. 掴み取ること


ハマる上で大事なことは、「自分自身で掴み取ること」だと思う。

先程のゲームでいえば、きっかけは家にあったゲームなわけだが。
誰かに強制されたのではなく、自分で気になって、ゲームを始めて、ハマる。

最近ハマっているジョジョの考察にしても。
自分で頭を動かして、「あ!こうなんじゃないか!」とひらめいて、それを検証する、という作業をしていく中ではまっていく。

最初は誰かに従ったり、与えられた課題みたいなものをこなす段階もあるが、
誰かに指図されるのではなく、「あ、これちょっと気になるな」と自分の好奇心に従って世界にふれる。

僕が提唱している愛情と感謝のアレだって、言葉にはしなくても気づいている人はたくさんいるのではなかろうか?
(最近はnoteのあのあたりの内容はちょっと気恥ずかしく感じている)


しかし、大事なのは「準備されているか否か?」だ。
研究の業界にいると、時たま聞く話がある。
「新たな発見というのは、計画して意図的にできるのか?あるいは、単なる偶然なのか?」
運も実力の内、とは少し違った次元の話だ。
もちろん、人間の頭で考えて、ああしてこうしてはいできました!的な研究もある。
一方で、人をあっ!と言わせるものは、通常の発想とちょっとずれたところに見られることが多い。
言われてみたら、「それな!」って感じるやつ。
新しい発見の種というものは、実はそこらじゅうに転がっていて、それらのものは人間に見つかるのを待っているのだ。
しかし、人間がいかんせん阿呆だから大概のものを見落としている。
そこに、「準備できた人」が通りかかる。
準備できた人というのは、その発見に必要な知識や経験をもっていることに加えて、その問題に対して意識を向けている準備状況にある人、という意味だ。
こうゆう「準備ができた人」は、常人が見過ごしていた物事に気づいて、それを発見という形で表現できる。

欲求問題、「好きなこと・やりたいこと」探しも同じようなことだ。

僕自身、他人の評価とか、未来への期待を可能な限り手放して、
「さて問題です、ぼくは何をしたいんでしょーか?」というクエスチョンに、
ここまでまっさらな状態で向き合っているのは人生初めての経験だろう。

要するに、いままでは「やりたいこと」を見つける準備段階に入っていなかったのだ。

今現在の「準備できた人」状態で、僕は何を見出すのか?
ささやかな楽しみである。


3. エヴァの話

おそらく、1年以上前。
このnoteを始めた頃に、「エヴァとジョジョの考察をする」って書いてた。
ずーっとほったらかしだったけど、最近ジョジョnoteを始めた。

エヴァに関しては、正直ちゃんとは考察していない。
・〇〇チルドレンって、何の第一、第二、第三なの?
-> たぶんACが背景にあるんじゃない?
・エヴァは母親をもとに設計されていて、そこに実の子がパイロットとして乗り込む。
-> まさしくAC問題の構図じゃん。
みたいな、粗い状態だ(今現在も)。

ただ、こうゆう路線で考えることが、僕の単なる妄想ではないぞ!という傍証を見つけたので紹介しておく。

エヴァのサントラに、こんな曲がある。
Mother is the First Other

「母は最初の他者」
これを見つけたときはかなり興奮した。
おおおお!
やっぱ考え方の方向性はあってんじゃん!

そんなプチ喜びを書き留めて置きたかっただけ。

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