見出し画像

「芸術家」の基準

 先日、芸術家一覧に登録させて頂いた漫画家Fukiさん『アイルランドWWOOF体験記。「どうしたら人間は幸せになれるの?」』を読んで、私が芸術を続ける理由や、人生の目的のようなものが、ぜんぶここに詰まっている!と、あらためて胸が躍りました。


画像2

「人間の暮らしは、ものすごいスピードで変わりつつある。伝統的な暮らしは失われ、仕事も農業も人間社会も、みな「組織的」に組み込まれている。でも、私たちはロボットか?違うだろう。私たちは、機械のように組織的に組まれたものに動かされているのではない。人間たるもの、もっと「精神的に」生きるべきなんだ。音楽を愛するように。アートを愛するように。それはすごくシンプルなことなんだ。生きることは、本当はもっとシンプルなことなんだよ。」

 そう、生きることはシンプル。でも、なかなかそう在れない。誰もが誰かに対して、「何ものか」で在ろうとしたがる。芸術なら、作品として「残るもの」を作ろうとしてしまう。


人生とは、何かを成したり、しなければいけないことをこなすための時間ではなく、ただここに生きているという事実があるだけで、空間を誰かと分かち合い、暖炉で温まった部屋があって、喜びがあって音楽があって、笑いがあって太陽があって、動物にも森にも命があって、人々には誰にでも必ず優しさがあって、しかしそんな私たちも、大地の一部でしかないということ。

 ただここに生きているという事実、みんなが大地の一部でしかないという事実に「立ち帰ること」を「成す」とする解釈のもと、芸術家は芸術をつくり、起業家は金を稼ぎ、その他あらゆる個人が背負う義務の終着もまた、すべてそこ(何も成さなくていい在りのまま)へ向かっているとも言えるでしょう。過程の形や趣向は人それぞれでも、人が「目的」とする処はみんな同じということです。それは「子供の頃の魂を取りもどす」ということでもあります。

画像1

(私が小学一年生の頃に書いていた日記)


 私は現在、「アート工房KOU」の運営とは別に、都内の清掃会社に勤めているのですが、先日、都内の某路上を清掃中に、見知らぬ高齢の男性に呼び止められ、こんなことを言われました。

「突然すいません、いや何というか、あなたの仕事ぶりを遠くからみていて、声をかけずにはいられなくなってしまって……こんなに一生懸命掃除をするって、本当にすごいことですよ!ありがとうございます!あなたはきっと大物になります!」

 嘘でも大袈裟でもありません。実際私はどんな汚い仕事でもマジメにやります。体が大きいので目に付くこともあるでしょう。とはいえ、見知らぬ人にわざわざ呼び止められて、ここまで褒められたのははじめてです。

 私は自分が褒められたことの嬉しさより、わざわざ私を呼び止めてまで気持ちを伝えたかったこの人の子供のような純粋さ(純真性)にとても驚きました。これこそが「魂の衝動」=「芸術の核」となるものといえるでしょう。いわば、魂の衝動にどれだけ誠実であるか?が、芸術とそうでないものの違いなのです。

「魂の衝動」には、さまざまな種類や形があります。りょういちんこZさんの「クソマンコ動画」も、「魂の衝動」の一つです。



 そう、一生懸命掃除をする私の姿をみて感動した初老の男性が、居ても立っても居られず私に声をかけてきた瞬間……。おそらく誰もが「美談」と称えるだろうその瞬間と、りょういちんこZさんの「クソマンコ動画」というおそらく誰もが「ドン引き」或いは「戦慄」してしまうだろう瞬間を、私はまったく同列に評価しています。



 それが間違いなく「魂の衝動」であれば、種類や形、常識や倫理を論じるのは不要です。両者とも、生命の輝き、エネルギーに満ちています。その事実こそがすべてです。先の文章に戻っていえば、両者とも、ただここに生きているという事実、みんなが大地の一部でしかないという事実に、「立ち帰ること」を目指しているということです。

 その証拠に、一見まったく毛色が違うどころか、「美」と「醜」に二分されてもおかしくない、FukiさんりょういちんこZ(旧しまるこ)さんは、魂の底でお互いを認め合っています。


 私が芸術家一覧に登録している方々は、無意識であれ、意識的であれ、ただここに生きているという事実、みんなが大地の一部でしかないという事実を目指して進んでいます。というか、私自身が勝手にそう判断しているわけですが……ともあれ、芸術家や芸術家志望者を広く募集はしているものの、私の基準でそれに至っていないと思う方については、芸術家一覧に掲載することはできませんので、あらかじめご承知おきください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?