分断された愛の言葉たち

二次創作を嗜む(?)ようになった話はずいぶん前にした。

2018年の8月くらいからあるジャンルにずっといて、もう二年近くになる。さすがに当初と同じ熱量でいるわけではないが、いまだに細々と書きものをしながら過ごしている。
上の記事は二次創作ってなんだろうという整理のために書いたけれど、ここにきても悩みは尽きていない。のでこの辺りで久々に、ちょっとnoteでも書いてみようかなと思った。
最近の悩みはカップリングという文化について。

〇二次創作はカップリングありきか

こうやって題を立てると、「いやそんなわけない」と自分でも即座に否定できる。
(そもそもカップリングという言葉があまり好きじゃないという話は脇道に逸れるので置いておく。どうもうまく言語化できないし、代替できる言葉もまだ見つけていないからというのもある。)
カップリングのない二次創作は当然存在して、カップリングのあるものと比べる必要もない。どっちも節度を持って、趣味に合う範囲で楽しめばいい。
ただ二次創作は、恋愛要素が入れば即座にそれはカップリングという枠組みで分類される、とわたしは感じている。一次創作であれば「恋愛もの」と「恋愛要素もあるもの」は別物であれるのに、このふたつが二次創作では別物でいられない。(とわたしは感じている!)
果たして当然だろうか?
確かに原作あるキャラクターを原作にはないかたちで扱っているのだし、どのキャラクターをどんな関係性として描いているのか案内があるのは大切だろう。趣味のすみわけ大事だし。正直わたしも閲覧する側としては案内が欲しいことはある。
ただその案内を試みるとき、カップリング表記で行うことが妥当だろうか? あるいはその表記をすることで取りこぼしてしまうもの、可能性を否定してしまうものはないのだろうか。

〇カップリング表記で案内したくない

完全に(架空の誰かに)怒られそうなのだが、わたしは自分が書くものをカップリング表記で案内したくない。
なぜなら「恋愛小説」を書いているわけじゃないから。「恋愛小説」を書いているのならば、カップリング表記で案内すると思う。
わたしがこれまで書いてきたもの/現状書いているものの大半は、「恋愛要素を(ときに)含む小説」だ。主軸は恋愛関係じゃない。
仮に一次創作において「この話は恋愛小説です」と案内するのはともかくとしても、「この話は(恋愛小説じゃないけど)恋愛要素を含みます」なんて案内が必要か? わたしはいらないと思っている。含まれていても含まれていなくても当たり前、そういうもののひとつではなかろうか。

〇愛は分類できるか

ところで「恋愛」は実際のところ、かなり狭い概念であると思う。細かく分ければ「性愛」とさえ違う。ロマンティックとセクシャルというやつ。便宜上、広義の「恋愛」という言葉があるのだとは思うが。
なぜ「恋愛」は「性愛」と結びつきがちなのか。「恋愛」は「友愛」とどのようにして線を引かれているのか。「恋愛」は果たして「家族愛」の前提となったり、連続性を持っていたりするものなのか。
真に正しく呼ぼうとしたら包括して「愛」としか呼べないものが、現実にも物語のなかにもある。「愛」は多様なかたちをしていて、どこにでもある。とわたしは思っている。
だがその「愛」を切り分けるための言葉をわたしたちはたくさん持っている。それが悪いとは言わない。だが、「愛」は果たしてそうやって分類できるものなのだろうか。
結局のところわたしが書きたいと願うものも「恋愛」ではなく「愛」と呼ぶほうが適当なものであることが多いから、カップリングで案内したくないのかもしれない。
(スキンシップするのは目的ではなく手段のひとつなんや、みたいな……)

〇現実が先にある

さて、「は?」って感じなんですけど、やっと本題です。
実は先日カップリング表記のことで悩んでいたら、「二次創作のカップリングは性交渉における関係性がすべて」「友愛を超えたら表記が必要」「精神性での定義や自己ルールは争いが起きる」みたいな意見をもらいました。
これが、自分でも驚くくらいショックだった。
長く作られてきた同人文化とか文脈というものがあって、それを親切に教えてくれたのだとはわかる。
でも、自己ルールは駄目と言うが「愛」を狭苦しく括っているそのルールは本当に妥当なのか? と感じた。友愛とそれを越えるものの境界線は実際引けないかもしれないし、性交渉がない愛の形だって当然あるはずだ。なのにそれを排するものをルールとして当たり前に信奉するのは、現実の誰かを傷つけているんじゃないかなあと。(あと「争いが起きる」って表現、「起こすなよ」という圧力ないしは脅しじゃないか?)
フィクションより先に現実がある。それを見落としてはいないか。

あと表記に付随して左右の概念というものが付きまとうと思うのですが、これが上記の「性交渉における関係性がすべて」にあたる話で、これまた好きではないというかよくわからない。
関係性と言うが、いわゆる棒と穴でそれを語れるとは思えない。どこかになにか入れることを性交渉と呼ぶという考えが好きじゃないし、女性同士だとどうなるの? とか思ったりもする。
しかしこれについては、わたしは同じ口で「推しは右固定」とか宣うどうしようもないやつでもある。これほんと~~~~~~にどうしようもない行いだと思っている。ごめんなさい。もっといい言葉を見つけたい。(ちなみに性交渉における関係性のことばかりを指して言っているわけではなく、もっとふわっとしたなにかに基づいて宣っているので、たぶん同人文化からすると余計に質が悪い)

〇分断しない言葉を求める

話がまとまらない。
わたしが教えてもらったカップリング表記の基準は言ってしまえば「性交渉における関係性」だった。もっと言えば同人文化は「男性同士の性交渉つきの恋愛もの」という文脈で発展してきたのかな、とも想像した。
(文化はいつでも発展途上のものなので)それ自体を否定するつもりはないが、このカップリング表記という概念に従い引っ張られていては、わたしはたぶん書きたいものが書けない。
書きたいように書いて野放しにしようとは思わないが、カップリングの枠で分類したいわけではない話を、必ずそこにあてはめて規定しなくてはならないとしたら悲しい。規定したとたん特定のかたちになってしまって、零れ落ちてしまうものが生じると感じる。
名前がつかない関係性(もしくは「愛」としか呼べない関係性)のままではいけないだろうか? 書かれたことが書かれたまま、それがすべてではいけないだろうか?
話の中身としてはそれでいいだろうと、わたしは信じている。だからその入り口にあるカップリング表記やキャプションのつけ方というものを、どうにかしたい。
これまでの文化を否定せず、迎合せず、よりよくしていくかたちで。
趣味としての棲み分けを尊重しつつ、自分の書いたものや、現実にもある愛のかたちを分断しない言葉を求めて。
そこに悩むのは二次創作をするうえで必要なことだと感じた。しんどいけれど、それを引き受けずに二次創作をするのはよろしくないかなと。
悩んだうえで、なるべく誠実に、自分の行動を選んで変える。そのためにこのnoteを記しておく。

サポートをくださるとお茶代か書籍代になってこうあまが少し生きやすくなります。