思い出すために

〇忘れてしまいたい

忘れてしまいたい
みんなまとめて 今すぐ
思い出すために

(『寺山修司の詩による6つのうた「思い出すために」』より)

上記は信長貴富作曲の合唱曲(独唱版もある)より歌詞の引用です。最高だからみんな聞いて。歌いたいし弾きたい曲のひとつ。伴奏すごい難しいけどあほみたいに楽しい。歌唱は伴奏以上に技量が追い付かなくていまのところ無理……。

さて突然ですが、最近めちゃくちゃに立て込んでいます、人生が。頭も体もフルブーストで動かしています。なのにやることが次から次へと山積みでまったく減らないし、やれないとほんとにこの先飢えるか鬱になるかで死にそう……もしくは借金とか抱えそう……に思えて仕方がない……。
実際どうなのかわかんないけど主観としてはそんな感じ。
頭が働きっぱなしで余計なこともいろいろ拾ってしまう、そしてそういうキャッシュが全然削除できなくてため込んでいるので、ここらでいっぺん書き出して忘れてしまいたいなと思った次第です。そして必要なときに思い出したいね。
とりあえず、わたしが生きていることに関心を持ってくださる方はここを眺めてくださったら状況や心情はわかるよ、と言えるようにしておきたい。それも備えのひとつ。

恒例のトピックを。だいたいこんな感じ?
・現状について
・自分の言葉で表出して抑圧を払いのけることについて
・推してくれるひとがいると思えたことについて
・困窮と困難と社会のことについて
・宣伝やら主張の苦手さについて

さあ忘れるぞ~


〇現状について
折に触れて書いてきた気はしますが、今年は家と仕事を探す必要がありまして。現在、家は見つけたので引っ越し準備をしているところです。仕事もほんとに悠長なことは言っていられなくなってきていて、夏くらいまでにはまともに稼げる仕事に転職できないとまじの貧困で生活できなくなる。
楽器可物件になんか住もうとするから自分の首がしまるのだとわかっているんですが、音楽ができない生活をするという選択なんてそれこそ無理。会う人みんなに「音楽は贅沢な趣味」と言われるし確かにその通りなんだろうと実感するけれど、それはわたしの文脈に沿ってなにかを解決できる言葉ではないので、もう「そうだねでも仕方ない」と腹くくって言うしかない。音楽やってないと死ぬし音楽をやらないことを選んだ時点で死んでる。
贅沢な趣味をしておいて困窮するのは自己責任だ、なんて、わたしは他者に対して言いたくないしね。劣等処遇の原則とか、相対的貧困を認めない態度とか、まっぴらごめんです。どんなやつにも文化的な生活を保障するのが社会福祉ってやつです。わたしがどんな態度で過ごして、どの程度のことを困窮と呼ぼうが、わたしがそう思う限り「わたしの文化的な最低限度の生活を保障しろ」と要求する権利はあることがともかく大切だ。
(現状説明とはかけ離れてきた……このところ思考のまとまりが全然なくって、何を書いてもこんな具合になる)
ともかく。まじでサバイバル(わたし定義)な気持ちです。だってひとり暮らしになるという時点で心身の健康管理的には非常にまずい。そのうえ自分の助けになることに対してさえ全然支出する余裕が持てないというのは、あらゆる意味で貧しくなる、ゆっくりかもしれないけど確実に。
夏に転職できてなかったら、すみませんが誰かわたしにごはんを食べさせてください。いやー人生たびたび「ひょっとしてこの先取り返しがつかないことになるかな」って思ってきたけど金銭的にこんなに困るのははじめて。お金がないってほんとに脅威なんだなあ。心は毎日折れそうだし、でもそうは言ってられないくらい日々タスクに追われているし、嫌な夢ばっかり見てあまり寝れないから頭痛も消えない。うける。あげたくもないのに活動量をあげてるのつらいな(そういや先日すごく久しぶりに軽躁だねと言われてこれまたひどく笑った、そしてそのあとめっちゃへこんだ)。これはたぶん引っ越し後にひどい鬱がくるのでは。
重複しますがこの文章のまとまりのなさがすでに笑えますね……


〇自分の言葉で表出して抑圧を払いのけることについて
さて上記でお察しのような感じもありますけど、こうも鬱陶しいような内容含め、ガツガツと心情を吐露し、振りまき散らすことはつくづく大切だと思います。
困窮の表明もそうなんだけど、もっと多岐に渡って。最近のことで言うと、自分の心身状況についてもそうだし、ジェンダーやセクシュアリティについての考え方とか、社会保障の不備やら政治についての愚痴とか、いやほんと、すべて。
今さらすぎるけれど、わたしはあまりSNS得意じゃないよねって最近すごく思っています。♡ひとつ押すだけでもいろいろ考えちゃって苦手。基本的に多項関係で、でも性質としては壁打ちで、半端に二項関係も持ち出せて、たくさんの相手の動きと思考がどんどん入ってくる。どう振る舞うのって自問が生じて息苦しくなる。筋の通った態度をとる難しさに振り回されたりする。わたしに対してありがたい態度で接してくれるひとたちに、同じようにできなくてつらかったりとか……。
なんかすっごく抽象的なことしか並べられないんだけど、とにかく苦手なことは多くあるし、元気がないときには余計に使い方がわかんなくなって何も反応できなくなる。一方で上に書いた通り、いろいろと心のまま吐き出して人目につくところに置いておくことは大切に思ってもいる。(面倒~!)
RTするのは楽だしそれによって伝えられることもある、けど「わたし」が言うことに意味があるということもたくさんある。RTは基本傍観者というか、「わたしはどの意味でなにを語ったのか」をいかようにも出来てしまう。
なぜわたしは精神疾患について、ジェンダーについて、社会保障や政治の動きについてものを言うのか、もっとちゃんと説明できるようになりたい。ダケドマダムリ……(@キンプリススス二章)
でもとにかく、表題にしたとおり「抑圧を払いのける」効果があるからです。うまく言えないけど自分や他者の助けになる。RTじゃなくて自分の口で言うことによって得られるものなのだと最近つくづく思ったし、そういうの込みで運用しないならわたしは別にSNSやっててもむなしいだけでは? とも改めて思ってしまった。
だめだまったく書けない、今度リベンジしよう。いまは書いて忘れる、そして転居が済んだ頃にでも思い出したい。


〇推してくれるひとがいると思えたことについて
もう少し穏やかな話題に移ります。最近、わたしの生存や幸せを願い、わたしが作るものを認めてくれたり、(わたし自身もしくはわたしの創作物に)課金しようとしてくれたりするひとがどうやらこの世には居てくれるらしいぞと思うようになりました。すごない? まさに神様でしょ、だって冗談じゃなくその気づきに生かされてる感ある……。
実際のところは、たぶん前々からそういう方はいてくださって、そのことに気づいたり受け入れたりする構えが自分にできた(あとそういう機会が最近多くあった)ということだと思う。
頼るのは迷惑なことだし、信じるのは裏切られたと思い込んで被害者ぶることとひとつらなりになってしまう、なんて長く思っていましたがそれもいい加減変えたい。身を守る思考だったのは認める。けれど身を滅ぼす思考であったこともよくよくわかってきたから。
いよいよ困窮しているわけだし、頼れるものを頼ることを身につけないと先々詰んでしまうなと……。頼ることは搾取じゃない、不平等でも不誠実でもない、相手の感情まで引き受けようとしないで、シンプルな享受と感謝ができればいい。あと相手が同じく困窮したときにはお返しができれば。
あとわたしも、推したい方のことは同じように推せるようになりたいなあ。これがまた難しいのだけど……その意味で更に尊敬する……。
つまり何が言いたいんだろう。ありがたさが認められるようになったから、自ら裏切らないようにしたい。信じられないときがあるのは脳機能だから仕方ないけれど、そこまで不調になる前にちゃんと頼るという誠実さ、自己コントロールを心掛けたい、という表明かな。


〇困窮と困難と社会のことについて
家の契約に行ったり、いろいろ減免とかの手続き調べたり、職場で利用者に関わったり、そのたび思い知るのが「現行の社会保障体制は落ちるとこまで落ち切らないと人を救おうとしないな」ということ。防貧機能が全然ない。いまどき、正社員か非課税世帯しか世の中にないと思ってんのか。生活保護も非課税も最低賃金も基準がおよそ納得できないし、消費税の逆進性もひどいものがある。
あと既に書いたけど、困窮者にはそれにふさわしい態度や理由を求めようとする。恩情にかけられるに値する哀れっぽい態度でいろと言う。権利の主体であれと賦活しない。めちゃくちゃにむかつく。
まあこういう表明を十分できていないからこうなっているのだとは重々わかる。わかるけどこんな勝手が許されるものかって、やっぱり愕然としたりもする。政治の程度は市民の程度……。
やっぱりなんも具体的なことが語れないね。思い出すために忘れよう。


〇宣伝やら主張の苦手さについて
これはSNS苦手話の一部なんですが。いろんなタグでかまって~ってしたり、創作物の宣伝したりするのがめっっっちゃくちゃに苦手。ひとのを見るのはほとんどの場合歓迎できるし、タグとかは楽しそうだなやりたいな~って思う。でも実際できることがあんまりない(自分が同じタグで呟くのも、または人がやってるのに反応するのも)。いろんな心理がこのときあるんだけど言語化しきれない……。もう条件反射的な嫌悪感がこみ上げちゃう。でもたまにそうならないときもある。どっちかというと、どんな反応があるか(ないか)と先回りして不安になる、のを一瞬でこじらせるような感じがある……。わたしはお呼びじゃないなとか思うのもザ・面倒屋さんってかんじでほんとやめたい。
いや宣伝はほんと……気軽にしたほうがいいよ……してほしいよ……他人にはな! でも気持ち悪いんだよ、わたしが宣伝するときは相当に勇気をしぼっているか捨て鉢な気持ちになっているよ、極端~! しかし最近はごくまれに適切な自己肯定感を持っていることもあるので育んでいきたい。
あと日ごろからいろんな反応するのが苦手だから、自分は反応しないのに他者には求めるのか、みたいな……いやほんとSNS不向き思考だな……。


〇思い出すために
というわけでこれまでになくカオスな記事となりました。あまりにひどいが、仕様だし目的は達成しているのだと思うことにする。夏を過ぎたときにこれを見て笑って、思い出してちゃんとひとつずつ対策を打てるといいね。それまですべて忘れてひたすら生き延びたい。
ほんとに心身の状態が悪くて、しかしほぼすべて外因によるものだとわかっているから、ちょっとこれまでにないタイプの危機なんだよなあ(いつもは内因か心因なので)。
そしてこれを見てくださっている優しい方は、わたしが危機に陥ったときにはごはんを与えて撫でてくださるとたいへんな勢いで恩に着ますので、どうかよろしくお願いいたします。
それにしてもひどい記事だ。でもそういうものをまんま表出するのは、ひとつの進歩ということで。

サポートをくださるとお茶代か書籍代になってこうあまが少し生きやすくなります。