You are not necessary.

またの表題をアイアム英語できないマン。
なんというか、びっくりするほどというか、かつてないサバイバーっぷりである。よく生きてる~!(二言目にそれ)
仕事、「辞めたらやばい」と思っているから辞めてないけれども、そろそろ「辞めずに働き続けているほうがやばい」に転換されかねない。うっかりしてたら微熱やら涙やら出てくるのは過去の例に倣えばもう辞め時だ。わたしの適応の範囲を超えている。
でも今回は辞めたい原因が今の仕事自体にはそんなにない。単純に生活できないジリジリ感でやられているのが一番大きい。もちろんそこから派生して、そんな仕事をなにをせっせとやって消耗しているのかとか、そういうろくでもない思考にはなってくるのだけれど……。
もし今の仕事、生活できるだけの待遇であったらどうなんだろう、とありもしないことをキリなく考える。それでもたぶんむなしさや無力感は拭えないだろうな。でも、今より持続的に働けるのは間違いないだろう。あくまで「今より」に過ぎないのだが。

わたしは仕事というものがほんとにできない。業務そのものではなく、とにかく長期に労働に従事するということができない。業務もまあ、人並みにできない(こともちらほらある)んだけど。
仕事ができないというのはただそれだけにとどまらない話で、つまり生活ができない。そして社会的にもちょっと無能感というか問題のあるひと的な価値観をビシバシ受ける。(この国ではいまだジェンダー観ってものがものすごいやばいので、男性だったらもっと悲惨だろうなと思う。無業がそのまま無価値になる度合い、男性のほうが桁違いに高いように傍観している。)
今の社会で生きる以上、仕事以外にどんなことができても、仕事ができないことを認めるのはなかなかにたいへんなことだと思う。実際働かないと生きていけない立場なのでいっそうおかしいというか、もう状況も思考もそりゃバグを吐くしかないよねという感じ。
わたしは仕事以外の領域でいろんなことができる。ピアノを弾けて小説を書けて、ひとの話を聞くのだってたぶん人並みより得意だ。けどそこに一体どんな価値があるのかと冷笑する自分(なのか正体の知れないもの)がいる。考えているのは自分だけど、自分以外の誰かの価値をささやいてくるだけのようでもある。ここをつっこむとカウンセリング不可避なのでいまは置いておくしかない。
でもわたしの根にはどうにもしがたい自己否定があって、それがすべてを無に帰していく。なにを弾いても作っても虚しさがあり激しく後悔するのを免れない。自分でやったことに自分で充足するということを知らない。できないことや未熟なことばかり目に付くし、そういう技術面をさておけたとしても、「自分が弾いた/作った」というだけで嫌悪しか感じられないときも多々ある。
滑稽だけど、まったく同じことをわたし以外の誰かがやったなら、たぶんわたしはそれを称賛できるだろう、と思う。自分がやった、ということがとにかく気に食わなくて気持ち悪くて耐えられなくなる。
あんまり自己否定を振りかざすのもまた趣味が悪い気がするので、日常では糊塗して振る舞っている。けれど本心はまぎれもなく塗りつぶした下にあるので、なにをしゃべっていても欺瞞のように思えてくる。ひとを欺くのはしんどい。しかしそれ以上に、自分のむちゃくちゃな感情や思考に付きあわせるのは耐えがたい(なおこの理由、相手を慮っているからとは限らないからほんとどうしようもないし、言葉にするには醜すぎる)。

最初の職場でデイケアの責任者やってたひとに言われた言葉が忘れられないな。リワーク(うつの方向け)の利用者さんよりもずっとわたしの認知や思考はごちゃごちゃらしい。わたしはあのとき「やっぱりそうなのか」と思った(ような気がするがいかんせん数年前のことなので、どんどん思考がゆがんだ結果じゃないとも言い切れない)。
周りに、うつになった友達はそりゃもうこんな世の中だから何人もいる。けどほとんどのひとが脱していく。もともと十分な労働への適応能力があり、それを発揮できなくさせた原因があり、療養し原因を改善して、また働けるようになる。
それ自体は喜ばしく思っている、でものんきで間抜けなほど幸せだなと正直思ってしまう。まさにこういうケースは「こころの風邪」に過ぎないのだろう。うつという名前がついているけれども、実態としてはストレス性障害の一部だと思う。
慢性的で先天的な脳機能の偏りとはわけが違うと思うし、気分障害や思考の障害と呼ぶのはそういうケースであってほしい。精神疾患、ほんとややこしい。「うつ」という概念(そのスペクトラム)は実際のところ、長期に渡る経過や、幼少からの因子や、いろんな社会的な背景を含みうる。

あなたはいらない、とささやいてくるひとと場面が多すぎる。実在する声ではない。価値観の話。
仕事ができないひとはいらない。
病気のひとはいらない。
文句をいうひとはいらない。
意見を持つひとはいらない。
女(とりわけ子を持つか名誉男性にならないもの)はいらない。

意味も意欲もありやしないというのに、わたしはどうやって生きてゆけばいいのだろうかと今日も考える。いやほんとは必要なのは療養だよねどう考えてもね……冷静(さがまったくないわけではない)です。
書いててまったく水位が下がらないからもうどうしようもないかもしれないな。水位とは感情や思考のコップ(いやバケツ)の中身みたいなものなのだが、この表現エン先生にもさせたな……。いっぱいになったらもう、まともな生活はできなくなる。雨は降り続いている。
大丈夫生きられる。死ぬ理由もない。

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