わたしを保護するもの
最初にご案内を。
この記事は創作TALKをきっかけに書いたものの「さすがにこれは企画に乗じるにはあんまりだ」と思った内容の供養です。内容は今年のわたしの生活についてです。
この記事はわたしの超プライベートな生活をつづったものであることから、興味本位での閲覧はお断りします。ご遠慮くださいじゃなくてお断りだ。そしてあなたがこの記事を読んでどうお感じになっても責任はとりませんし、なにか反応をなさったとしてもわたしが「返答したい」と感じたもの以外には一切のお返事もしません。
ご承知おきのうえで見てくださいね。
今年の生活について
まずはざっくりまとめ。体調と生活について。
・1~3月はわりと元気だった(正しく言うとたぶんごく軽く躁だった)
・4月ごろから体調を崩して生活が詰みかける。親にあらいざらい泣いて打ち明ける羽目になり強制実家送還となる。そのまま5月末で仕事を辞めた
・5月末~7月まで生活保護を受けた。その関係で転院しようとしてなかなかできなかったりなんやかんやしながら療養する
・8月から雇用保険が入るようになる。実際に入ったのは9月になってからで、さかのぼって生活保護が停止になった。増薬したりカウンセリングを受けたりしつつ引き続き療養する
・11月、短時間の仕事(あるいは就労移行支援)探しの許可が出る
・12月、就活しつつ就労移行支援に通うことを決める(実際通うのは年明けから)
こんなところか。なおこの間軽い躁と軽い鬱をジェットコースターのごとく繰り返しています。ただこの夏から冬にかけてじわじわとその波を穏やかにしてきたのも確か。
なんで退職して即生活保護なの? これまでどんな生活してたの? とかは過去の記事を読むとそこそこわかりますので興味があればどうぞ。
話が前後している感もありますが、わたしはたぶん軽い双極性障害であるらしい。たぶんというのは今の主治医のカルテを見たことがないから。ただ口ぶりと投薬内容からはそう診断しているように思える。
年を経るごとに(あるいはひとり暮らしになったことをきっかけに)病状がくっきりしてきている。確かにわたしには波がある。11月はいつもダメ、というような長い波もあるし、毎日変動する短い波もある。誰にでもあるその波が、生活に支障をきたす程度には高く頻繁にくる。
7月に新しい主治医に出会い、じわじわ増薬して、いまはだいぶ楽になった。でもそれは躁と鬱の波の話でしかなくて、自己や社会への憎悪とか、仕事をすることの困難さは消えたりしない。わたしはすっかり自分と社会への信頼を失ってしまったままだ。
生活保護について
ところでこの記事を書いている目的はひとえに「生活保護を受けていることをオープンにするため」である。正しくは停止中だ(そして再開の見込みは現状ない)けど。
詳細は省くが、保護を受ける過程ですごく苦労した。わたしはこの制度に助けられて、借金を負うこともなければ家を失うこともなく生き延びたわけだが、同時にいのちを削ったように思う。そして、残念ながらこの制度だけでは生き延びられなかった。本気で言うが、実際のところわたしが死なずに済んだのは、生活保護が支給されるまで実家で過ごせたからだ(そしてこういうことがかなわないひとがものすごく多くいるはずだ)。
この制度には苦労が多く付きまとう。誓って楽な生活はできない。被保護世帯もさまざまだが、それぞれの苦労がある(そしてきっとその多くは給付水準の劣悪さに原因がある、とわたしは思っている)。周りの他者になんと思われていることか、という恐れもある(これもわたしの実感に過ぎないが)。
だが、生きるために必要な制度であり、淡々と使いこなして生き延びていくほかない。「生活保護を受給している」ということは恥も恐れも必要ないはずのことだ。だから口をつぐんでいるのが、つらくなってきた。
そういうわけでこれを書くことにした。
この状況下、あるいはそうでなくても、ひそかに困窮しているひとは多いはずだ。わたしが知らないだけで、友人や、フォロワーの誰かが受給しているかもしれない。わたしのフォロワーにいなくても、あなたのフォロワーにはいるかもしれない。少なくとも、わたしをフォローしている「あなた」には、わたしという被保護者がいるのだ。
そのことを知ってほしい。
この国には2020年9月時点で、約205万人(約163万世帯)の被保護者がいることを。保護率を、保護費総額を、適正な受給率そして捕捉率を。
調べてみたので、書いておきます(出典をメモするの忘れたけど厚労省と国立社会保障・人口問題研究所ホームページのどこかです)。
保護率:16.9‰(2016年) ※単位はパーミル
保護費総額:3.8兆くらい(2018年)
適正な受給率も書きたかったんですが諦めました(が、不正受給は金額ベース0.4%くらいというデータはあるので99.6%の保護費が適正受給されているとは言える)。
同じく捕捉率ですが、厚労省発表だと22.9%(2018年)というデータがあるそうです。(出典見つけられませんでした)
さて、捕捉率たったの2割の(つまり、保護を受けるにしかる水準で生活しているひとのうち8割が保護を受けていない)この制度は、いまも誤った説明と水際作戦が行われ、バッシングとスティグマの対象になり、政権与党により基準が引き下げられ、司法がそれを「国民感情だ」と追認している。これはこの国で実際に起きていることです。わたし調べですが。
たかだかお金がないというだけの困難に対して、それを助ける制度に引っかかるための困難こそ、ものすごく大きい。
ところで生活保護基準は他制度他施策に関係することを知っているだろうか。就学援助、保育料、各種医療費助成。住民税の非課税限度額を参照するあらゆる福祉サービス、そして最低賃金などだ。ここまでいろいろ出てきてもなお「自分には関係ないな」というひともいるだろうけれど、それはあなたがことさらに恵まれているというだけのことだ。恵まれているというのは、親とその健康状態や、出生前を含む発達や、自力では不可避な事故や事件への遭遇など、ありとあらゆるガチャの引きが「たまたま」良かったということだ。おめでとう。
そういうわけで、一銭を笑う者は一銭に泣く……ではないが、生活保護を笑うものの大半は泣くどころか自分の首を絞めているし、そうじゃなくても確実に社会の首を絞めている。
生活保護のバッシングは著明に加害的な行為なのだと肝に銘じてもらいたい。
わたしを保護するもの
ここまで生活保護を受けたという話と、生活保護のざっくり説明を書いた。今年の総括として、「で、どうだった?」ということを書く。
生活保護はわたしを保護し、わたしのいのちをつないだ。
だが、わたしはこの制度が好きではない。
バッシングをするなと言っておいて……というふうに思った方もいるかもしれないが、そうではなく。
お金を出す、基本ただそれだけのこの制度につきまとう弊害ときたら。うんざりするくらいあるのである。
わたしの場合、その最たるものが医療だ。7年は通っていた主治医のもとに行けなくなってしまった。同じく義務教育のころから通っていた歯医者にも。
ひとによっては保険も解約になるし、車や家も処分するはめになる。申請のための書類を山ほど揃えなくてはならず、親ときょうだいに扶養照会がいく。物件によっては引っ越しの指導も入る。
(念のため言っておくと、いずれも必ずではないです)
あげていくときりがないが、わたしにとって生活保護は「自立を助長」する制度ではないのだ、とうてい。生活保護はわたしの急死を防いだが、根本的にはなんの助けにもならない。このまま抜け出せなかったらわたしはいつか死ぬ。はるか遠い未来の話ではないだろう。
保護とはなんだろうと考える。
わたしは保護されている。保護という言葉に気持ち悪くなる。アリ地獄のようなイメージを浮かべる。這い上がれるわけのないそのすりばちの上には、さらに透明な丸いドームがかぶせられている気がする。スタバのクリームもりもりな飲み物についてるやつみたいな。(飲まないから名称がわからない)
ではなにがわたしの助けになるのかを考える。
それはこれまでと変わらず、ピアノを弾くことであり、小説を書くことであり、最近では短歌を詠むことも含まれる。わたしはたとえ残高がマイナスになろうがピアノを手放せないし本も作るにんげんなんだな、とこのごろ実感している。
保護するものと助けになるもの、どちらもなくては生きていけないな。なのに保護するものを、こんなに憎まないとならないとは。
いまは生活保護は停止になっているが、それは雇用保険を受給しているからであって、これが切れたらたぶんまた再開になる。来年の5月の話だ(それまでに生活を立て直せている気がしない)。そのときはもう少し憎まずに、素直に感謝していられるだろうか。たぶん無理だろう。
(ちなみにいまわたしを「保護するもの」は生活保護だけではなく、就労移行支援という障害福祉サービスもそのひとつなのだが、これも同様に憎いなあと思っているこころがある。この先つながるであろう障害者雇用も)
わたしを保護するもののことをわたしは憎んでいる。でもうまく付き合って生きていかなくては。わたしには、まだ死にたくないという気持ちがある。
さいごに
実は2019年11月から、カクヨムでずっと生活の記録をつけている。
生活保護の座標
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892389731
この記事を書いた目的のひとつは、この記録の存在をここに記すことだ。こそこそ隠しているみたいで嫌になってしまったから。(これを大っぴらにしてないばっかりにカクヨムに小説をあげることができない……とかってモヤモヤするのにうんざりした)
ここまで読んでなお、ひとりの被保護者の生活が知りたい方はどうぞ。現時点で10万字ありますし、だらだら書いているだけなので面白い読み物でもないですが。
ただ誰かが見守ってくれているとか、実態を知ってなにか考えてくれるとか、そういうことはわたしにとって希望になる。
だからこの年末に、この記録の存在は改めて開示しようと思いました。どうぞよろしくお願いいたします。
わたしを傷つける意図がないと自信を持てる方は、この記事やリンク先の記録について「読んだよ」「読むよ」とお声かけしてもらえると嬉しいです。
今年も各位お疲れさまでした。来年がいい年になりますように。
サポートをくださるとお茶代か書籍代になってこうあまが少し生きやすくなります。